あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

隙をつくる

 ここ1ヶ月くらいで、自己紹介をする機会の人生最多記録を突破したと思います。少なくとも150名は超えていると思います。人間が記憶できる人数を遥かに超えていますので、記憶力の悪い私には到底全員覚えられるはずがない人数です。
 さて、せっかく自分の第一印象が、自己紹介――はじめて会ったときに話した自分の説明――によってどのように変化するのかを試す機会を大量に得たので、実験してみようと思い、ちょこちょこ自己紹介の内容を変えてみました。どれも嘘ではありませんが、切り取った場所がそれぞれ異なります。
 特段厳密に実験する気はなかったので細かなデータはありませんが、紹介を終えて相手の印象が良かったなあと感じるのは、自分の大学での専攻内容を説明したときでした。私の学部は工学部や経済学部など、ある程度の偏見をもって大枠をつかめる学部ではないので(名前もカタカナだし)、大学の話になるとだいたい説明を求められます。そこでの説明内容に、自分の価値観もちょいとくっつけて話すと、自分も話しやすいし(少なくとも「音楽が好きでしょっちゅうイヤホン耳に突っ込んで聞いております」から始まる自己紹介よりはかんたん)相手の印象も良かったように思います。
 
 自己紹介実験を終えて、自己紹介をする前とした後の相手の反応を比べてみると、自己紹介は「話しかけてもらえる意識的なすきをつくる」作業なんだなあとつくづく思います。私の情報伝達の原則は「さっさと伝われ」「さっさと分かれ」でありまして(それが自分や相手の誤解や早とちりを生む原因になっているところは反省)、加えて自分から話しかける・話を始めるのはめんどくさいという本音を持っています。何も言わないと誰も話しかけてくれなくて、仕方がないから自分から自己紹介をする、話しかけるという思考プロセスです。ああ、めんどくさい。
 心の底からめんどくさいのだけれど、ある程度自己紹介をしておけば、それを元に話しかけてくれる人がぼちぼち出てきます。話しかけられさえすれば、あとはこっちのもので、ああなんてこの会話楽しいんだとなります。そこからは情報伝達から一歩進んで、感覚の共有も入ったコミュニケーションが始まります。つまり楽しい時間のはじまりだぜ!なわけです。
 この楽しい時間のために、ドライな情報伝達ーー自分のことを客観的に説明し、相手にもそれを求めるーーをする。このことを、「意識的なすきをつくる」作業と呼びます。意識的なすきではない、無意識のすきというものは、例えばバッグの中の財布をすられるすきとか、SNSのアカウントを乗っ取られるすきとか、そういった類いのものですね。だいたいの方は「すき(隙)」と聞くとこちらのネガティブなすきを思い浮かべると思います。
 けれど、相手に情報を与えるということはそもそもすきを作るということです。もう少しツッコんで言えば、おしゃべりな人はすきだらけなわけです。ただ、そのすきは、他者に安心感をもたらしたり(少なくともこいつは危ない人ではなさそうだ)話しかけるとっかかりを与えたりすることになる。
 
 この「すきを作る」というときの「すき」という言葉は、2年ほど前に書いたこの記事(自由さ-作品-自由さ)の発想に基づいています。
 この記事には、作者と作品は切り取って解釈される自由がある、また作者も、作品と自分を切り取って考える自由があるといったことを書いたつもりです。当時は芸術に興味を持ち始めていた時期でした(このころに芸術に精通している教授のゼミに入ったと思います)。人の思いは決して三次元化されることはなく、常に目に見えず触れることはできない。しかし私たちはそれに似せた三次元のモノをつくることで、なんとか思いを共有しようとする。それが作品である、というようなことを考えていたと思います。
 つまり、コミュニケーションの基礎を論じていたわけです。私たちが日常的に行うコミュニケーションも、自分の思いを声(空気の振動=三次元)や身振り(身体運動=三次元)にして行います。これを通して私たちは相手の思いを「理解した」と錯覚する。その錯覚のすりあわせがコミュニケーションなのだと。このブログも、私の思っていることをとりあえず言葉にしてみようという試みの連続です。その試みに別の言葉がやってきて、それが連鎖する様子を見ているのが楽しいのです。
 自分の「すき」というのも、他者が自由に解釈し利用してよいものです。私たちが行うSNSの投稿のひとつひとつも、基本的には他者に開かれており、それは自由に他者に利用される。そういう性質を持つものだと思った方が気が楽だと思っています。
 
 さて、自分の「すき」を他者に利用されるためには、それを自分が容認する必要があります。方法は大きくわけてふたつ、ひとつは利用されていることに気づかないことあるいは気づいていないふりをすること、もうひとつは気づいていてもそれを受け入れることです。そして、容認するためには「ここまでは容認してよい」「ここからは絶対に容認できない」という自分なりの基準が必要です。この自分なりの基準があるからこそ、その基準を超えない「すき」を放っておくことができる。
 とかなんとか言っておきながら、私は部屋の窓もドアも徹底的に塞いで、ヤモちゃんが入れないようにしています。すきなし。すると今度はヤモちゃんが入れなくなったおかげでありさん天国になっている。すきまがあった方がいいなあと思いつつ何もせず。

 最後にその先のことについて。まだ言葉にすることができず、その過程を説明できずにいるのですが、「すき」をつくるために必要な自分なりの基準は、突き詰めると同一律になります。いわゆる信仰です。「だって、AはAだもの」というわけです。その基準を人がどこに置いているのかなーというのを観察するのが、私の趣味であります。

責任と権利を持つ教員になる!

 いよいよ明日から、私は「先生」と呼ばれることになります。つまり教員*1」のみなさんと出会ってから、私は自分の小中高の教員を、何名かを除いて嫌いになりました。教室という絶対的権力空間の中で、自分の権力を振りかざすことはおろか、自分が権力者であることの自覚すらない教員には、絶対になりたくない。自分が教育した生徒が社会に出ていき、自分を含めた社会の行く末を作っていく。生徒の裏に(文字通り)明日の社会が見えない教員にだけは、なりたくない。


 そうした重い責任と権利を持つ教員に、明日からなります。自分がこの、タイの片田舎で教壇に立つプログラムに選ばれてから、この重い責任をどう乗り越えるのかをぐるぐる考えていました。結局明確な答えは出ませんでしたが、同じ教員仲間としてタイ各地に派遣されている方々とのお話で、ぐるぐる堂々巡りしていた状態が、少し前に進んだような気がしています。
 

 


 まずは自分の望み通り、このワンヌアという町を知ることからはじめます。空間的―時間的要素、人、生き物たち。ワンヌアの人たちを知るために、ひとつ手がかりとなる問いも作りました。それは「ワンヌアの人々にとって、何がマイペンライで、何がマイペンライじゃないのか」というもの。つまり、何が大事なのか、何を大切にしているのかを見つけることを、この10ヶ月の目標にします。


 ひろーい問(大問)ですので、少し細かく小問を見てみますと…。

 

  • ジェンダーの違い、クィアの人について何も気にしない(マイペンライ)のか。
  • 軍事教育、宗教教育など、日本にない教育はどのようにして成されているのか、実践的か理論的かあるいはどのくらいの配分か(おそらくマイペンライじゃないところ)
  • ウチ/ソトの感覚はいかなるものか(例えばチェンマイバンコクをどのように表現する?「人が多い」「危ない」など。周辺国に対してどんな感情を抱いている?)
  • なぜ言語教育が盛んなのか(そもそも日本語なんかなんで学ぶの? 日本が好き以外の理由があったりするのか?)
  • ふだん何をしているのか、休みの日は何をしているのか、ON-OFFの感覚はあるのか、あれば何をする?
  • 階層をどう捉えているか、普遍的なものか変更可能なものか
  • 自分はどこまで彼らの感覚を「感覚的に理解できてしまう(できた気になってしまう)」のか

 

 メモ書き程度でまとまってないですね。
 目の前の人を「人」として見ることを大前提としつつ、学んでいこうと思います。なにか答えになりそうなことがあったら、また書くぞ。

*1:になります。


 大学に入り、自分にとっての「本当の教師((彼らこそが「教師」の例だ、現実態だと思い込みたい、信じたい方々のことです。自分が教員になるのなら、ぜひ彼らを目指したいと思える人たち。

「好奇心からです」

 ご周知の通り(サイドバーにリンク貼ることでお知らせとする厚い面でございます)、あと2週間でいよいよタイにおよそ1年間派遣されます。その前の研修として、3月下旬から先週の土曜日まで、まるまる1ヶ月埼玉某地に引きこもっておったわけですが、その思い出話をぼちぼちと。

 少し話を逸らしますが、どうも自分の記憶方法は、断片的な瞬間として記憶する、というものみたいです。例えば私がAさんとお食事に行って、少し固い話から入り、雑談へと移り、その後居酒屋でどんちゃん騒ぎした、という一日があったとしましょう。この日の記憶が私の頭の中に残ります。後日、私がこの記憶を再生しようと試みるときには、その日のある時間、ある瞬間の出来事が思い出されます。例えばAさんがふいにフォークを置いてまじめな顔になった瞬間。あるいは、Aさんのある言葉が発せられた瞬間。そうした瞬間瞬間の出来事の記憶が、写真あるいは短い動画のファイルとして存在して、それらがなんとか「一日」というあいまいなフォルダに収まっている、というのがだいたい私の記憶再生時の感覚です。

 いえ、もしかしたら「何を当たり前のことを言ってるの?」とおっしゃる方もいるでしょうが、これが意外とみなさん、各々違う方法で記憶を呼び出しているのではないかな、と思い立ったので言語化してみました。はい、以上です。

 今日もその瞬間の出来事の話です。

 

 派遣される前の研修には、タイ・ミャンマーシンガポールに派遣される日本語パートナーズ(以下、Nihongo Partnersの頭文字を取ってNPと略しますね)計80名以上が同時に参加しました。これがほんとに面白い。文字通り南から北まで、さまざまな世代のさまざまな職業の方がおいでです。学生として参加しているのが半分と、ううむと思うところはありましたが。それでもこれだけ強烈に「自分と違う」と思える人と、「同じNPだから」という理由で話しかけに行けるのは、本当に貴重な体験だったと思います。

 

 その中に、とある大阪の企業を勤め上げNPに参加したおじさまがいらっしゃいました。初めてお目にかかったときの第一印象も、「ああ、この人はザ・商人だな」でした。その方を始め若い方何名かと、お酒を交わす機会を持ちました。

 そのときに、私と同い年の大学生の女性が自分の将来について、「ベンチャー企業に行きたいと思っている」という話をし始めました。ふーん、なかなか勇気のある人なんだなーと思ってゆるく話を聞いていると、先ほどのおじさまが相談相手になって、というより説得相手になって?、「自分が生きるのにかかるコストを現実的に考えなさい」と話し始めました。

 

 おじさまの説得?はとても分かりやすいものでした。まずは自分が他人の仕送り等に頼らず生きていくために必要なお金、現在自分が「生きる」という選択を行っていることにかかっているコストを洗いざらい書き出します。家賃や生活費はもちろん、遊びのお金まで現実的に考えていきます。

 さて自分が生きるために必要とするこのコストを稼ぐために、自分は何をすべきかを考えます。そのコストが自分の得るべき収入、得るべき資金ということになりますが、この方法がやはりなかなか思いつかない。思いついたとしても、全くコストに到達しない。

 おじさまは最後、「そのコストを稼ぐためには、自分ひとりでは足りない。他人の助けがいる。信頼がいる。その信頼を手っ取り早く稼ぐ方法が、大学に行かせてある程度の知名度のある会社で勤めることだと考えて、君の親御さんは君を大学に行かせてるんとちゃうんかな。大企業、なめたらあかんよ」と締めました。おー、なるほど。そういう考え方もいいなあ、と思いました。

 

 で、いろいろと話していくうちに、今度はそもそもなぜこの派遣に参加したのかを全員自白することに。全員といってもおじさまと先ほどの女性、もともと日本語教師をやられていた20代の男性と私の4名ですが。

 20代の男性の方は、普段からお話を伺っていますが、教師としての熱意をビシビシと感じる方です。やはりこの方はこの自白でも、「まず自分がこの派遣に参加した理由は3つあって…」と、しっかりとした考えと覚悟を持って参加されているのだろうと思わせる答えを出しました。

 

 さて、いよいよ自分の番になったときに、私は自分でも予想外の答えを口走ったんですね。

 自分がこの派遣に参加した理由として、最も上位に来る理由は何だろうと考えたわけです。今回の派遣が決まるまでには、教授や先生、友人などいろいろな人に相談をし、助言をいただいてきました。もちろんこの派遣の前に面接もしましたから、そこできちんとした考えを持っているということを伝えるべく言葉も用意しました。けれども、自分に最も近い理由は何だろうと考えた末に、「好奇心からです」とだけ答えました。

 言った後に、「ああ、自分は好奇心で選んでたのかあ」と妙に納得してしまいました。タイに住む人たちが、どんな生活をしているのか、どんな暮らしをしているのか。どんな思い出を持ち、どんなことを夢見ているのか、夢見ていないのか。それは自分が無自覚に受け入れてしまえるものなのか、それとも面食らうほど自分の持つ価値観と違うものなのか。そして、なぜそうなっているのか。どのようにそうなったのか。そういったことに興味がある。今回は現地でいちおうでも職を得るわけだから、個人旅行やインターンなどよりも密接にその社会に関わることができる。きっともっと深く深く自分の好奇心の向く方へ掘っていけるだろう。だからこの研修では、第一に語学に力を入れる。第二に、ある程度きちんと職務を全うするために(自分には教師としての経験がないから)、教師になる・教育に関わるために学ぶべきこと、経験すべきことをする。

 と、こんなにはっきりとは言っていませんが(笑)、そんなようなことを適当に伝えました。

 

 という、エピソードでした。やっぱり自分の口から「派遣に参加した理由は好奇心からです」という言葉が出たのが、びっくりでした。俺はそんなことを考えていたのか…と、どこかよそよそしく感じた夜でした。

個人から政治へと問題意識が変わるとき

 前々から解決したいと思っていた自分ごとの問題を、「あれこれ社会の問題じゃね?」と見立てられるようになる臨界点があると思います。その視点を得られると、それはただの個人的な悩みから脱出され、具体的な行動に移しやすい形になる。

 久しぶりにブログを書き始めるようになり、このブログを始めたきっかけとなった恩師に言われた「ブログを書くことのメリット」を身に染みて感じています。自分の思考過程をどこかに保存しておくことで、後々自分が当時何を考えていたのかが分かるのです。そして、そのことで受ける恩恵がとても多い。しかも日記や手記などとは違い、ブログは人に読まれるものなので、ある程度分かりやすく書こうという努力はするようになる(あれでもしてたんですよ当時の私は!笑)。つまり後から自分で読んでも、まあまあ分かりやすい。

 文字メディアに限らず、音声メディアでもいいですね。とにかくブログを書くことで誰がいちばん得をするのかといえば、他でもなく自分なのです。

 

 で、今日は自分がふだんぼんやり考えていることのベクトルが変わってきましたよーというテーマで書いてみます。

 ここ最近は、正直冬眠していました。もうすぐ(といってももう明後日のことですが)自分の環境が大きく変わるわけですが(おそらく受験勉強以来の勉強をさせられるのだろう! がんばるドン!)、それまでの日にちが長すぎて退屈していました。國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読み返してどうやったらこの退屈を紛らわすことができるのか、いやいやそもそも自分は退屈している場合などではなくて、他に学ぶべき事柄があるのではないか、おいおいそもそもタイ語会話全然できへんぞ(文字はちょっとだけ頑張った)などなど。

 

 とはいえ「自然とやる気になるのだろう」と派遣の準備をすることは諦め、自分が興味のある本、つまりタイに行ったら読めない本が読みたいと思い、図書館・神保町・Amazonからざっくざっく本を大量輸入して読んでいました。

 どうしても好きなこと、しかも「あなたの好きなことはなんですか」という猥褻な直球質問にはちょっと答えられそうもない、いつの間にかやってしまっていることってあると思うんです。文字通りの仕事(事に仕える)が。決してそれをやっている自分に惚れ込んでいるとかそういうんじゃなくって。

 それが僕の場合、本を読むことと音楽を聴くことなんですよね。だからやる気が出ないときもやる気ビンビンのときも、暇なときはだいたいこの2つしかやってません。

 

 で、特に自分が読む本は、自分が考えていることに即する本を読むときと、おおなんだこれ面白そうと思った本を読むときとあるんです。ここで冒頭のテーマ、前者の「自分が考えていることに即する本」の内容がちょっとずつ変わってきましたよ、というお話に入ります。

 

 

 きっかけは、國分功一郎さんの「中動態の世界 意志と責任の考古学」を読み終えたことでした。久しぶりに自分ごとの問題を思い出して、何をしたら「責任を取る」という行為を完了したことになるのか、それを定式化することはできるのか、できるとしたらどのへんまでかというのを考えていました。

 その中でいろいろな「責任が取りづらい」事例を想定してみたんですね。例えば分かりやすいのが、友人とケンカしてボッコボッコに殴り合って友人を殺してしまった人。要は殺人なのですが。殺害した人は、殺害された人に対して責任を感じた場合、この責任を果たした、と思う瞬間というのはどのようなときなのか。

 あとはどこまでが自己責任と言うべきなのか。日本では以前、ISISにジャーナリストの後藤健二さんが殺害されたときにもよく議論になりましたね。その前にも戦地に赴くジャーナリストに対して同情や悲しみの感情を向ける人もいれば、「あなたが行くって決めたんならあなたの責任でしょ」と考える人もいました。他方、貧困や保育所不足など、もう「あなたの家庭が貧しいのはあなたが頑張らないから」「保育所足りないんなら都心から出れば?」なんて安直なアドバイスはできない問題が、けっこうな力で拡散され認知されてきています(未だにそう言う人っているでしょうけど)。

 

 この問題に関心が向いたひとつの原因に、自分が教師という立場になることが現実になったから、というものがあります。私は基本的に教師という生き物が嫌いです。正確には、「私は知らない相手に自分の知っていることを教えてあげるのだ」という考え方で教壇に立っている教師が嫌いです。いや、結果的にそういう行為をしている教師はいいのですが、教師という存在が生徒に対して持つ「権力」性に鈍感な教師が嫌いなのです。

 その自分が嫌いな教師に、自分がなるのです。絶対に、そうした教師にはなりたくない。その権力への自覚を自分にできるのかが、不安で不安で仕方ありませんでした。

 そこで「責任を取るためにはどうしたらいいか」という疑問が湧くのです。私は生徒人生の貴重な時間を一定時間拘束して授業をするわけだけれど、その行為について私はどのように責任を取れるのか、そもそも取れるのか。

(ちなみにこの話は、恩師お二人と先輩と飲みながら考えました)

 

 こんなあたりのことに考えを巡らしていたところで、「これは個人という視座を一度外して考えなければいけないのではないか?」と考えるようになりました。

 私は、これまで自分の視座を「個人」に設定していたわけです。もし私が他の誰かを攻撃したら、私はどこまでその反撃を受けるべきなのだろう。逆も然り、私が何か不道理なことをされた場合に、私はどこまでその被害を主張することができるのだろう、などなど。

 ところが、その思考の臨界点を迎えました。それって一人で(個人で)解決する問題ではないよね、と思ったのです。

 

 ここで初めて「個人」という視座が外れました。これは私にとっては大きな事でした。

 私は自分の所属学部を決定したとき、「個人が幸せに生きていけるような社会を築くための勉強をしたい」というような拙文を提出しました。大学でいろいろなことを学んできましたが、その基本視座は「個人」に置かれていました。自己なら自己、ある他者ならある他者が、どのように社会(他者の複合体、という程度の意味で使っています)を捉え、どのように社会で生きていくか、その社会はどのように設計されるといいか、というようなことをバカみたいに大真面目に、本気で考えてみたかった。

 もちろんその伏線はところどころありました。「個人」がどのように生きていくべきかを探りたいと思っているのに、「社会」を基礎に置く社会学に後ろ髪を引かれるのはなぜなのか。ベトナムホーチミンでのフィールドワークの後には、他者を理解したければ、それと並行して他者に自分を理解してもらわなければ、他者を理解することなどできないというジレンマにぶち当たりました。つまり、自分をある社会の「構造」の中の人間と捉え、かつそれを他でもない自分が他者に説明してみるわけです。当然ですが、これはとても難しいことです。

 

 個人の責任問題をなんとか「個人」の問題として解決しようとしていたときに、松岡正剛さんやドミニク・チェンさんと本を通して出会いました。ドミニクさんの早稲田大学の講義に潜ってみたり。一度だけゼミに伺ったのですが、その後勇気が出ず座学の授業だけ出ることにしてみたり。

 どうもお二人は、ある個(人)、ある主体にというより、その個、主体を結びつける線、つまり関係、システム、機構を設計することに注目しているみたいです。ロボットが垣間見せる人間味に対して、なぜロボットのこの動きに我々は「人間っぽさ」を感じるのか、この「人間っぽさ」とは、といったような、マツコロイドを作った石黒さんのような見方。あるいはドミニクさんが注目した「発酵」。松岡正剛さんは今でもあらゆる知・情報をくっつけたり並び替えたりして「編集」することをライフワークとされています。

 で、当時「責任問題は自分ひとり(個人)では解決できないのではないか?」と思っていた私は、お二人はじめ、お二人からリンクした皆さんの術中にまんまとハマっていったわけです。とはいえ当時の私は「なんかおもしろそー」ぐらいにしか思っていませんでしたが。

 

 

 そして極めつけは、國分さんの登場されている他メディアを覗いたことでした。國分さん、現在は高崎経済大学で哲学の研究をされていますが、ご自身は大学で政治学を専攻されていたみたいなんですね。当時はまだまだ「政治」と聞くと、権力争い、支配被支配などなど、荒々しい体育会系の筋肉マッチョな分野なんだろうなあと、お子ちゃまバリのことしかイメージしていなかったのです。

 ところが「中動態の世界」の後に「暇と退屈の倫理学」を読み返し、同時に読んでいた東浩紀さんの「ゲンロン0 観光客の哲学」(これも出会いは単に「なんかおもしろそー」だったのですが)も手伝い、ああ俺が考えていた問題は政治学にヒントがあるかもしれない!と妄想し始めました。

 こんな適当なことを書いていると政治学や現実の政治をバリバリやられている方に怒られそうですが、こりゃあうまい学問分野を見つけたぞと思いました。試しに政治学科の先輩とナショナリズムグローバリズムの両立について議論してみると、捗る捗る。

 

 やっと自分ごととして、政治学を学んでみたいと思うことができました。政治学を自分の引き寄せられるようになったのです。

 

 これまで全く関心が持てなかった知識に、余裕顔でアクセスできるようになることほど、楽しいものはありません。「スタバに行きたいけど、オシャレすぎて俺にはムリだ…!と思っていたけど、勇気を出して一回行ってみたら案外行けた!」みたいな話です。

 ちょっとだけ先が見えた代わりに、知りたいことは山積みになります。そもそも僕は高校時代政治経済をまったく勉強していない(理系クラスだったので。理系に政治経済教えないのどうかとは思いますが、今の学校のカリキュラムでは、先生も生徒も余裕なさそう)ので、国内外の選挙制度や経済発展の基本要素なんてまったくと言っていいほど知りません。これから勉強じゃ。

 

 

 というわけで久しぶりに個人の問題が政治の問題、個人がたくさんいる社会の中での問題に変わってきたよーというお話を、4000字、1時間ちょっとでババッと書いてみました。タイに教師しに行くっつってんのに、何やってんだ己は。トホホ。

自分のことばを失うことなんて日常茶飯事なんですよ

 何かを始めようとするときに、腰が重いのはもはや我が性としか言えないようになってきています。
 私にとって日常的に「やること」、例えばある友人に会うこと、学校の授業に出ること、料理をつくること、最近で言えば面接をすることなどなど、というのは、少しやらないとまた始めることがおっくうになることばかりです。ブログを書くのもそう。前回の記事で、なんとかその最初のハードルを下げたという体です。読者のことを一度忘れ、自分が書きたいことを書く。いつもブログをつけている時分にはまったく気も付かないことですが、「人様の目に触れるところに自分の思いの丈を綴る」という体験は異常なのです。
 
 それはともかく、その異常な体験をしばらくやらないと、自分がどうやっていたか忘れてしまう。そういった種の体験を失うことに一抹の寂しさを覚えます。それを失うことにすら鈍感になってしまうものです。
 私は自分の方言、つまり「自分のことば」というのを常々意識するようにしています。いや、意識しているというより、それを失うことへの恐怖心が意識「させている」というのでしょうか。たまに里帰りをして、自分の慣れ親しんだ方言で会話をしていると、どうも自分が方言を話すことは自然にできるのだけれど、聞くことがたまにできないことがあります。内容は理解できるのだけれど、ちょっとこうズレた感じがする。それで、話が途切れてしまう。そういうときに、自分の言葉が失われたというか、おっと少し忘れているようじゃな、と思います。
 話し言葉と書き言葉というのはそもそも違います。さらに話し言葉の中でも相手が年上・同輩・年下なのかで、相手との距離感で、話す場所で話し方を変えることはしょっちゅうですし、書き言葉の中でも学術的文章、エッセイ、メールや手紙、SNSではそれぞれ書き方が違います。案外、そのことに鈍感になりやすい。そして、いつの間にかどれかの話し方や書き方を失っていく。最近それをまた自覚したのが、このブログなのでした。
 
 ちょっとやらないと、自分がどうやっていたか忘れてしまうというのは、予想以上にたくさんあります。例えば楽器を演奏するだとか、人前でちょっとしたスピーチ(今はプレゼンの方が一般的でしょうか)をするといったようなこと。それなのに、それをやって「あれ、意外と自分、忘れてるな」と自覚する機会がないと、いいやそれくらい自分はできると思い込んだままになり、忘れます。

 そういったときに役に立つのは、自分が以前どのように書いていたのかを眺めてみることです。記録に残っていることならそれができます。つまらない映画を撮る監督は(素人の作る)学生映画を見ないからつまらないんだ、なんてな話を聞いたことがありますが、まさにそのことなのです。そこからまた書き始めることができる。
 困るのはいつでもそうやってリカバリが効くわけではない技術。方言での会話、というのもそうです。一度親戚との会話をスマホのレコーダーで録音してみようかとも思いはしましたが、ちょっとせこいかとやめました。
 
 そういった種の体験、皆さんにもありますでしょうか?