あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

「女性を軽視した出版を取り下げて謝って下さい」に署名しなかった理由 / 謝罪しても事実は消えないから

 年末年始に話題となった表題の署名に、僕は署名しない選択をしました。

 

 


 まず大前提。僕が直接見たのは、Change.orgでKazuna Yamamotoさんが出したこの署名に、一人の女性の友人が署名をして、自分のSNSで署名したことを発信していたこと。それに、その投稿に何人かの友人が反応を示していたことです。
 見ていないのは、週刊SPAの当該の記事、です。


 さて、自分はこの署名には参加しませんでした。ですが、僕はこの署名運動に反対しているわけではありません。
 今回は、「自分がこの署名になぜ署名しないと決めたか」という、特に誰から求められたわけでもないその理由をまとめてみました。
 理由は二点です。

 

 


 まずは一点目、「署名の説明文、及び署名についていたコメント(署名ページ内で「賛同者のコメント」とあるところ)に賛同できなかったから」です。
 まず説明文。日本語の説明文では、まず「『ヤレる女子大学生RANKING』が先日、週刊SPAにより10/23日に出版されました。」と事実が述べられています。また、「週刊誌および出版社による、女性の差別用語、軽視する発言を今後一切やめる他、今回の記事の撤回及び謝罪をお願いします。」と今回の署名の目的がありました。


 しかしその後、性犯罪、性暴力、レイプ、痴漢、女性の投票権SNSでの発言、W20・G20など、自分にはとても意見を言える代物ではないほど大きな社会問題の存在が列挙されていました。
 この社会問題について特定の意見が言えるほど、僕はこのテーマに明るくありません。つまり今回の件についての意見ならまだしも、こんなにたくさんの「社会問題」については何も知らない、というのが僕の現状です。だから署名しませんでした。


 次に署名のコメントには、「日本人男性はダメだ」と逆に日本人男性を軽視・蔑視したり、「国の一員として恥ずかしい」「なぜ女性差別はなくならない?」など今回の件から内容が飛躍したりしているコメントもありました。
 僕は「日本人男性は本当に女性差別というものを理解していない」「女性差別は社会から今すぐ抹消すべきである」というメッセージへの署名をしたいわけではありませんでした。

 

 


 次に二点目、こちらの方が主です。「出版社が記事の内容について謝罪したとしても、自分が出版社を許す=今回の騒動を帳消しにすることはないと思うから」です。
 今回の署名では、そのタイトルに「女性を軽視した出版を取り下げて謝って下さい」とありました。このメッセージが、自分には当てはまりませんでした。特に、「謝って下さい」というところ。自分は出版社に特に謝罪を求めているわけではないのです。


 さてここで一度話の本筋をずらして、「謝る」→「許す」という行為について私が持っている違和感について、これまでに考えたことをまとめてみたいと思います(長くなります)。

 

 


 それなりに20年近く生きてきた中で、自分の思いをすぐに顔に出してしまう性もあってか、何度もいろんな人に謝る経験をしてきました。そんな経験の中で何度か、僕は「いくら自分が謝っても許してもらえなかった」経験をしました。そのときに、僕は自分にとって「謝る」ということは何をすることかを考えました。


 僕にとって「謝る」ということは、自分が相手にしたことで、相手がどんな気持ちをもったかを精一杯想像して、それを追体験することです。「もし相手が自分だったら」という想像力を働かせ、自分も相手の体験を想像を通して体験することで、もう二度と自分がそんなことをしなくなる、しようとすら思わなくなろうだろうと思うからです。言い換えれば、「謝る」ということは「二度と同じことをしないように自分を変える努力をすること」です。


 その前提には、自分のどんな考え方があるか。それは、「過去の事実(過去に起こったこと)は絶対に変えられない」という考え方です。
 過去の事実は絶対に変えられません。昨日自分が夜食にラーメンを食べたという事実は、変えようがありません。そのラーメンをなんとかして吐き出すことができたとしても、食べたという事実は変わらない。これと同じで、相手が自分に謝罪を求めたくなるようなことをした、という事実は、いくら自分が謝って相手の気持ちを「なだめよう」としても、決して変わりません。
 だから、過去は変えようとせず、今後自分がそうしないようにする、つまり未来の自分を変えていこうとする。その姿勢を精一杯見せることしか、自分には謝罪といえる方法がない、というわけです。

 


 さて、ここから、僕の謝罪の欠点が見えてきます。それは、自分と相手の見ている視点が違うこともある、ということです。
 自分は、「過去は変えられない」から「未来を変える」=もう二度としない、つまり未来を見ています。しかし、相手は真逆であることもあるでしょう。すなわち相手が「過去」を見ていたら。過去に自分が受けた仕打ち、それに対するイライラやわだかまりなどを、それを与えたあなたになんとかしてほしい、と思うことだってあります。
 まずそこをなんとかしなければ、とてもじゃないけどあなた(自分)が今後こんなことをしない=あなたの未来のことなんて考えていられません。


 ではなぜ、それがわかっているのに、自分が「未来を変えていこう」という方向性で謝罪をしてしまうか。それは、仮にこの立場が逆で自分が謝られる側に立ったとき、いくらいわゆる「謝罪」をされても自分が相手の行為を許すことは決してないから、です。目には目を、歯に歯を、ですね。自分がされて嬉しくないことは、自分もしない。というより、できない。

 


 自分が謝罪をされても嬉しくない、許すことはないという自分の価値観が、人に謝罪を好んで求めない自分の姿勢に影響していることが分かりました。


 なぜ嬉しくないのか、まあ自分がひねくれているからと言ってしまえばそうかもしれませんが、やっぱり謝られても困るのです。
 いわゆる「謝罪」、例えば「ごめんなさい(謝罪)」だとか「どうやったら、何をあげたら許してくれる?(代償)」などと言われても、僕はいっこうに許す気になりません。正確には、僕がその人の行為を許すか許さないかというのは、その謝罪はあんまり関係ないんじゃないかなあと思っています。ちょっと気持ちが高ぶっていたなら、「とりあえず僕にかかわらないでくれ」とさえ思います。

 

 謝罪の何が嫌いかといえば、謝られたがゆえに「謝ったからもういいよね」と事実を「帳消し」にされることがあるのが嫌いなのです。謝罪されても「そんな口ひとつでなかったことにするなんてできないよ」と思うし、代償されても「あなたが苦しんでいる姿を見ても僕はちっとも嬉しくない(むしろ自分のせいであなたが苦しんでいる状況は辛いです)」と思います。
 謝罪でもなく代償でもなく、その過去の行為はそれとしておいてほしい。変にほじくり返して「記憶から消してください」と求めてこないでほしい、ということです。僕の頭にデリートキーはついてないので。

 


 さて、自分が謝られたときにこう考えるので、僕は「謝罪の意を示してほしい」とは言いません。僕は、人が謝っている姿を見ても楽しくないし、それを真に受けるつもりもない。


 もちろん相手のした行為を不愉快だと感じ、それを表明する権利は保障されるべきです。少なくともこの記事で槍玉に挙げられた「女性」が出版社に謝罪を求めるのは、そりゃ、そうだと思います。その権利にふれるつもりは全くありません。けれども、仮に自分がその「女性」だったとしても、出版社が出す謝罪文を読んで満足する自分は想像できないから、僕は謝罪は求めない、という結論としました。

 

 

 


 最後に。当初は当該記事の取り下げと謝罪を求めていたこの署名ですが、1月13日に、KazunaさんがChange.orgにて「対談を行います・We will be taling with the publisher」というタイトルのアップデートを出されました。署名運動がいい形で進んだと思います。Buzzfeed Japanによれば、1月7日に「SPA!」編集長が謝罪コメントを発表。1月9日に編集長、発行人が扶桑社のサイト上に「お詫び」を掲載したそうですが、やはりそれでは収まらなかったみたいですね。
 引き続き情報はアップデートされていくと思うので、気になる方は続報を追いかけましょう。

「外部」に対する見方がぎゅるるんと変わることについて

 突然思いついたので、表題の件、書き付けておきます。

 

 この仕事をはじめるときに設定した自分の目標のひとつとして、タイで1年仕事をすると自分がどうなるのか、周りがどう見えるようになるのかが知りたい、というものがありました。これはこれまで、自分にとっての「外部」、つまり生活圏ではない=自分の共同体ルールが通じない場所では、そこで出会った人と一端の観光客あるいは友人としてしか付き合えなかった。だから、もしこの関係が仕事仲間になったらどうなるのかが気になった、というわけです。

 当然ですが、仕事仲間と友人、あるいはお客さんとの付き合い方というのは、それぞれ違うものですね。そもそも文化が異なる、言葉もあまりあるいはまったく通じない場合に一緒に仕事をするときに何が起こるんだろうということが知りたかったわけです。

 

 その経過報告です。

 

 

 まず、見過ごしてしまいそうな当然っちゃあ当然の変化ですが、大事なこと。自分の周りの人を「外部」の人と思うことが少なくなりました。最初は目新しく、何でも目につくものです。挨拶するときのワイ(合掌)をする基準から声の張り上げ方まで何でも珍しく、何でも意識的にマネしてみようとします。この、周りの人は当たり前で自覚すらしていない、でも自分にとっては珍しい、という観察の時間はとても楽しいものでした。

 ところがそれもある程度習得し、皆さんにも受け入れてもらえるようになった頃、ボーッとしてると自分の目がくすみ始めていることに気づくわけです。周りの人と自分がやっていることが同じだと、それが見えなくなっていくんですね。

 そうなると、僕が大好きな人間観察がやりづらくなり、楽しみが減っていってしまいます。いや、そこでより細かい観察をしていくことができれば楽しいんでしょうけど(もちろんそういうこともあります)、そんなに僕の目は根気強くセットされていない。自分のどこかにきちんと客観的な自分を置き、「今の現実は当たり前ではない」と菩薩のように思い続けるのは本当に根気の要ることで、それができる人は本当に尊敬します。。

 

 これは僕の意見ですが、自分以外の人を「外部」の人だと思っておくことは、自分にとっても相手にとってもいいことだと、より確信をもって思うようになりました。親密な関係が構築できている間柄こそ、これは重要なことです。親しき仲にも礼儀あり、なんて諺がありますが、礼儀・マナーとは基本的に「外部」の人に使うものですね。100%心を許した友人や家族にはそんな潤滑油頻繁に使うことありませんから(ゼロじゃないけど)。

 自分はこの人のことを根本的には知らない、だって「外部」の人なのだから、と思っておけば、その人の人格を尊重することもできます。間違っても変に馴れ合ってしまうことにはならない。そりゃあ、人に安心を求めて寄ってっちゃうこたぁあるけれど、全面的に依存することにはならないはずです。

 

 

 そしてもうひとつ、これは明らかな変化です。そうした自分の身の回りにある独特のしきたりやマナー、文化といったものを、自分がこの社会で生きる生々しい処世術として見るようになった、ということです。

 これまで、特にベトナムに足を向けたときには、そのファーストインプレッションを詳細に記述し、あまりいい言葉ではありませんが珍しがり、「文化」として発表したわけです。これはこれで、もちろん価値があることだと今でも信じています。ところが、その「文化」圏に1年も身を置きしかもそこで働く(生産活動を行う)となると、そうした「文化」を額縁に飾って入れておくことはとてもとてもできなくなります。むしろ額縁に飾りそうになろうもんならすぐにそのガラスを破り去って、自分に染みこませなくてはならない。いや、そんなに大げさなことではないですけどね。

 例えばワイをする基準やその形について。ネットでも調べれば分かりますが、同じワイでも自分と相手との関係性によってワイをしたりしなかったり、しても位置が違ったりします。また、小さいときに「模範的なワイ」として習うワイもあります。初めの頃はまったくうまくできませんでしたが、慣れていくと、初めて会う人との会話が比較的なめらかになったりします。

 当然ですが、これは1対1のコミュニケーションでもそうです。いつまでも「あー、タイ人ってホント時間守んねえわー」なんて言ってられないのです。タイ人は××だからという幻想を脱ぎ捨てて、目の前の人はどうなのかを考えて、じゃあこの人に動いてもらうためにはこうしなきゃ、というプロセスをよいしょよいしょとこなしていくんです。

 よく言えば、その「文化」はそこで初めて生きた「文化」になり、処世術になります。枠に飾った「文化」は知的好奇心をくすぐり、それは間違いなく素晴らしいのだけれど、この生々しい方も自分は好きなんだと気づきました。

 

 逆に考えれば、「自分の力で見聞きし、全身で感じて、自分で考えて文章にする」というあのプロセスは、とても貴重で楽しいことなんだと改めて思います。第一、大多数の人はそこで生きていかなくてはいけない状況だからそこにいるわけで、つまり自分がこれまで珍しい「文化」だと興味津々だった物事を、処世術として使う必要があるわけです。あるいは道徳として教わって、自然に身につけてしまう。いちいち客観視する悠長な時間も必要もない。

 自分が恵まれていたこと、そんな時間と方法を自分に恵んでくださった方に感謝でいっぱいです。

職探しの準備をしていますよ

 10月も末に入った。タイに来てからというものずっと暑かったから、季節感覚を失い時間感覚を失っていたけれど、もう10月なのだ。慌てて職探しの準備にかける時間を少しずつ増やしている。

 すべてを犠牲にして得たいものがまだどれか決められない空っぽ状態だ。けれど、いつまでも親の庇護にあるわけにもいかず、まず自分ひとりくらいは食わせなくてはいけない。そのために職を得なくてはならない道理は分かっているつもりだ。

 多くの企業が同じような「内定への道」を設定している。自己紹介シート(学業成績を含む)・学力テスト・面接。もちろん現実にはこれに「人と人」のコミュニケーションが入る(いわゆるコネというものだ)が、まずは形式的にでもこの3つを準備しなくてはならない。

 

 今の自分がさっとできる準備に何があるかといえば、まず一つ目、王道3点をクリアすべく準備することだ。志望先も志望業界を絞れていない状況であるが(おそらく大多数の職探しナカマがそうだろうが)、もし職探し中にトキめく職を見つけたときのために、準備しておきたい。

 それに案外やってみると、学力テストの準備というか、大学受験レベルの勉強は楽しい(これを機に数学を学び直そうと思う)。大学受験のときにはただの文字の羅列にしか見えず、文字と文字の対応関係がぜんっぜんピンと来ずに「数学は暗記だ」と豪語する友人にひれ伏していたけれど(それはある意味で正解だった)、哲学の勉強の真似っこを通してちったあ論理の訓練ができたのか、ちょっとだけ親しみが持てるようになった(今も頭ボッカンですけど)。

 

 さっとできる準備の二つ目は、今の仕事をより丁寧にこなしていくことだ。この仕事では、ほぼ毎週日本に関するトピックを紹介することを求められる。その内容は当然、日本を肌で感じたことのない人々を相手にちょっとでもイメージしやすいものが期待される。

 この本来分かりづらい、というか、理解できるはずのない(そもそも日本のことを理解するってなんすか?)ものを分かってもらう作業というのは、けっこういい仕事だと思う。いい仕事と言う理由は、まず自分がやっていて楽しい。あくまで自己満足としての楽しさだけれど、授業の中で生徒が生きたリアクションを返してくれるし、それを受けて毎時間伝え方に磨きをかけてみる楽しさがある。まるで演劇をやっているようだ。

 生徒が興味を持って自らネットで情報を漁ったようで、授業おわりに「芸者と花魁の違いってなんですか?」って聞きにきてくれたときの感動は今でも忘れない(その回答はとてもいい答えとは言えないものだったけれど)。

 

 前期は、一緒に授業をする先生が適度に自分の荒削りの提案を梳いてくれるのに頼りっきりだった。後期からは少しずつ、先生にとっても生徒にとっても親しみを持ってもらいやすい内容を、提案する前から自分で作り上げられるようになりたい。ひとつひとつの機会をもっと大事に使わなければ。

 

 

 さて、そういうわけでこの二つの準備に取り組んでいるわけだが、問題もある。それは、気にかけて取り組みはじめたものにけっこう囚われてしまう性だ。職探しよりも好きなこと、音楽を聴いたり自転車で町を回ったりといったようなこと、を気づかずになおざりにしてしまう。自分の行動やら思考やらをすべて、未来の仕事に最適化しようとしてしまう。現実にはない「未来の仕事」から逆算して、今の行動を変えてしまう。それじゃあ未来の奴隷じゃないかとハッとする。

 

 自分の未来を考えようとすると、不安が襲う。そして今が見えなくなる。だからあまり気にしないようにしている。未来のことを考えると、決まってあの「焦り」が出てくるから嫌いなのだ。

  いつだったか、「業界」ってそもそもなんだといろんな業界を眺めていたときに、偶然面接の流れを図解するというブログ記事に出会った。ノックの回数やら、いきなり座らないとか、面接のスタイル別攻略法など定番の情報ばかりで特に目新しい情報はなかったのだけれど、なんだかそれを見ていると、焦りの感情が湧いてきた。

 このよく分からない焦りが湧いてくる症状。タイに渡航するときに、タイでのマナーに関するサイトを読むことがあったのだが、そのときにも湧いてきた。

 そもそもこういうマナーの類は、「タイの人はやさしい」「何か困ったことがあったらマイペンライで乗り切る!」といったようなトンデモが混ざっていることが多いから、あまり好きではない。けれど、例えばむやみやたらと頭を叩いたり人に足を向けたりすることは御法度だというけっこう大事な情報があることもあるので、我慢して読んでいた。そうしたら、その面接の流れ、面接のマナーの情報を探していたときと同じような焦りが出てきた。

 

 どうしてマナーを気にすると、焦るのだろう。過去にマナー違反の行動をしていたことが自覚できたので恥ずかしい、という焦りか。それもあるだろう。自分が今後そのマナーを守れるか心配、という焦りか。それもあるだろう。しかし、それ以上に何か、この焦りの感情の源泉がある気がする。

 

 

 焦りは禁物。けれど、自分の頭でこの先のことを考えなくてはならない。引き続き精進しますよ。

BGMが流れる店

 タイの定番飯、チャーハン(カオパッ)、ラーメン(クイッティアオ)、鶏飯(カオマンガイ)を頼むと、他にはない味で出してくれるお気に入りの店が、ランパーン市にあった。

 けれど、その店には三度ほど行ったっきり、もう行かなくなってしまった。

 

 大音量で音楽を流す飯屋が、ここには多い。とっても大きくて立派なスピーカーが、場違いを存在でぶち壊すようにどかんと置いてあって、それに各々スマホを繋いでYouTubeやらJOOX(こっちで流行っているストリーミングサービス)やらで音楽をどかどかと流したりしんみり流したり、はたまたずっと使わずにインテリアと化してるスピーカーもある。

 とりあえずそういうスピーカーがたくさんある。

 

 その店は、流行りの音楽をBGMとして流す店だった。初めて店に入ったとき、Ed SheeranのShape of Youが流れていた。店には、欧米風の顔立ちの客がいた。

 店のおばさんは人なつっこく、明らかにタイ人っぽくない私に「何人?」と聞いてきた。日本人です、と答えると、にっこりした笑顔で「私日本にいたよ!」といいね!してきた。おばさんは10年近く日本で働いたことがあるそうで、日本語がペラペラだった。おばさんは僕が席に着くなり、扇風機と冷風機を僕に向けてくれた。

 そこで出てくる料理はどれも、最初に言ったように、ちょっとした変化球のスパイスが効いていておいしかった。久しぶりにごはんで元気が出た。

 

 ちょっとした世間話を終えて、おばさんはおもむろにスピーカー近くのスマホに向かい、流していた曲をRADWIMPS前前前世のカバーに変えた。後で聞くと、YouTubeに上がっている日本のヒットソングプレイリストを流してくれたそうだ。

 

 料理がおいしく、他にないこだわりの味だったので、また足を運んだ。そのときも僕が来るなり、それまで流していたタイ語の演歌が前前前世になった。さすがに聞き飽きていた。

 

 3回目に足を運んだとき、店の内装が変わっていた。それぞれのテーブル席に仕切りがついていた。まるで居酒屋のようだった。おばさんに話を聞くと、ちょっと気分を変えたくて、と言っていた。そして、「日本人こういうの好きでしょ?」と笑って言ってくれた。

 確かに好きだった。落ち着いた。おばさんは本当に気分を変えたかったのだろう。でも僕は、それ以来その店に行かなくなった。その日も、前前前世が始まった。

 

 

 どうして行かなくなったのか、自分でもよく分からなかったけれど、言葉にするなら、たぶんおばさんの店が「自分に合わせてくれる」度合いが大きくなりすぎたからだと思う。僕はおばさんが「うまいだろ?」と自信満々で出してくれる飯が好きだった。それはいつも変わらなかったのだけれど、内装が、そして音楽が、どんどん「日本人好み」になっていってしまった。おばさんがどんどんおばさんでなくなっていく気がして、距離を置きたくなったのかもしれない。

 

 どうせなら、おばさんが本当に大好きな内装の中で、おばさんの大好きな音楽を聴かせてほしかった。そこで小一時間ぼーっとして、ごはんを食べながら元気をもらっていたかった。

 

 

 翻って自分はどうでしょうね。絶対変えたくないところなんてあるんでしょうか。ありませんよ、そんなもの、と冷たくあしらうことができなくなるくらいには、大人になりました。大変です。

まっすぐな道とくねくねの川

今日もシンハーで天に乾杯!

 

おなじみバンコクから北西に100km、バスに揺られること2時間。カンチャナブリー県に来ました。気になっているある写真家さんが以前訪問されていて、それについての投稿をFacebookでお見かけした、というのがきっかけです。

目的は、JEATH戦争博物館と連合軍共同墓地に足を運ぶこと。ただそれだけ、の予定です。

 

ところでカンチャナブリーに来るにあたって、久しぶりに飛行機に乗りました。今年の5月に派遣地へと向かう飛行機に乗って以来のことです。

ここ最近の移動手段は、もっぱら車でした。100kmも離れたランパーン市内にすら片道65〜80バーツ(約300円)で行けるもんだからバンバン利用しています。

 

市内へ行くには高速道路を通ります。というわけで毎度毎度ドライバーのみなさんがまあまあの飛ばすので左右にGがかかって危ねぇなぁと感じるドライビンなドライブ三昧なのですが、この車窓から見える風景が好きなんです。少しこの風景についての話を。

 

大して驚くことではありませんが、この車窓から見える地域は、山間部を除けばほとんどすべてに人の手が加わっているんです。田畑だったりゴム園だったり、もちろん村だったり。そこに今人がなくても、ああここには定期的に人が来て、いつも何かをしているんだ、という息を感じます。

日本にいたときも、まあ私の実家はそこそこ田舎だったので、こんなような風景はよく見ていたはずなのですが。風景の見方が変わってきたみたいです。

 

日本にいたときは、いわゆる「田園風景」というものを「きれいなもの」「美しいもの」というように単なる観賞物、はいはい都会の喧噪から離れて気持ちいいねー、くらいにしか見ていませんでした。

ところがこの地域に来たらそれが一変、この風景は人が作っているもので、決して自然(ありのまま)じゃないんだ!という見方になりました。例えば高層ビルを眺めるときのように、例えばタワーに登って街を見下ろすときのように、目の前に広がる風景の中に、たしかにここに人が生きていて、人の暮らしがここにあるんだと感じるようになりました。

 

みんなで田植えをして、あぜ道に米袋敷いて腰掛けて、酒飲んで騒ぐときの気持ちはどんなんだろうとか。町から新しい農具を買ってきて、畑に立ってさあいざ使ってみようとするときの気持ちはどんなんだろうとか。不作で種を新しく買わなきゃいけないのにその年偶然出費がかさんで十分に買えないと分かったときの気持ちとか。

そんな日々の暮らしの妄想が沸いてきて、この風景を前にして、とても手放しに「大自然だ!空気がきれい!清々しい!」と大きく空を仰いで安らぎを得る、、、ことができなくなってしまいました。

 

またひとつめんどくさい大人への階段登りました。けれど、この風景の中に自分が長く暮らしたからこそそう思うのかもしれませんね。

 

 

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さて、ひさびさに飛行機に乗りました。どうやら、自分の派遣地のこうした風景についていろいろ妄想を繰り広げてきた自分は、飛行機での移動に耐えられないほどの妄想力を異様に鍛えあげてしまったみたいです。

飛行機の窓から見える風景。日本と同じで上から見れば、あたりまえですが一部の都市以外はすべて田舎です。どこかで見たことのあるような田舎。人の暮らしが見えるところ、あるいはまったく自然のままであるところ。いろいろあります。

そこに見える、それぞれ違う形をした町々をひとつひとつ見て、もし自分がそこに暮らしていたらという目線で、目の前に広がる衛星写真的風景を眺めていくわけです。そりゃもう、妄想が追いつかない。

飛行機で来たことを後悔しました。飛行機は、ゆっくり妄想するのにはちょっと速く動きすぎる。

 

その風景の中でも目についたのは、平野にやたら多くそしてひとつひとつがとても長い、まっすぐな道路。それと、バンコクに近づくにつれて増えてきた、はっきりと区分けされ同じ形の建物がずらーっと並んだ住宅街でした。

日本では土地の広い北海道くらいでしかお目にかかれない、平野にすーっと引かれた直線と、どう見ても絵に描いたようにしか見えないくらいキレイに区画された家々は、なんとなく自分の「不気味の谷」を超えたように見えました。

特にこのまっすぐな道路や住宅街と対照的に、とても自然な形で流れている川が目立つんですね。タイを縦に走る川たちはどれも平野を走っているためか、龍のようにくねくねと曲がっています。そして川は、おそらくあまりその流れに人間が手を加えていない。だからなんとなく「ありのまま」の姿を感じるのです。この川と道路の対比が、さらに不気味の谷底を深くしている。

 

少し観点が変わりますが、まっすぐな道路をずーっと運転してると辛くなるんですよね。いつ終わるんだろ、この道、みたいな。刺激が少ないからなのか、あんまり楽しくありません。サイクリングに適した道というのを考えると、東京が懐かしくなります。

もちろんまっすぐな道を敷いた方が物も人も運びやすくなるからいいんだろうけど、さ。

 

 

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妄想ついでに。まだ車も高速道路もなかったころの移動って、楽しかったんじゃないかなあと思うことがあります。特に、五街道の移動。いくつか宿場に泊まって、道中も疲れたら茶屋に入ってひと休み。高速道路も飛行機もないから、移動はいくら時間がかかる分からないもの。けれど藪の中を通っていく必要はなく、誰かが作ったその道を、えっちらほっちら歩いていくというのは、何にも代えがたい楽しみだったんじゃないかなあ、と。

道中も含めて楽しめるような、そんな気持ちと時間と金に余裕のある生活が続けばいいのにと、心から思った日でした。

 

 

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