あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

声、大事にしていきましょう。

 少しずつ、「声」というメディアに対する興味が湧いてきています。

 

 せっかくなので、「情報を得る」という行為をするヒトの歴史を簡単に紐解いてみましょう。少し学んだことを羅列しますが、他人から聞いた話を右から左に受け継いでいるだけなので、読み飛ばしていただいても問題ありません。

 

 まずその視線が求められるのは、動物です。動物たちはどんなふうに周囲の情報を得ているのでしょうか。五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)は、まずすぐに思いつきますね。暗い場所でも草木の生い茂る森の中でも、耳を澄ませて目を凝らせば、次第に周囲の情報が把握できます。目の前にあるキノコは食べられそうか、目の前の崖は足をかけて登れそうかなど、舐めて嗅いで触ってみれば、なんとなく分かります。周囲の情報を察知することはもちろん、仲間の情報を察知することも、共栄していくためには必要です。相手は発情しているのか、病気になっていないか、私に何を伝えたいのか。

 さて、ここまでは動物として、他の動物にもみられる行動をとってきたヒトですが、あるとき驚くべきことが起こります。直立二足歩行です。それまで四つん這いになって移動していたヒトが、突如二足歩行になった。そのおかげで眼高が高くなり、より広い視野を獲得しました。さらに直立するにつれて圧縮された声帯筋は、常に首のまわりの筋肉とともにひっぱられるようになり、複雑な声を出すことができるようになりました。ここで、声の出し方で自分の情報を伝える「言語(オーラル・コミュニケーション)」が発達していきます。ここで、自分の持つ情報を的確に他者に伝えることができるようになりました。

 さらに直立二足歩行により自由になった両手で、道具を使うようになり、次第に指の関節も器用になり、指を折ることで数概念を得ました。ここで、抽象的な概念(目に見える実体ではないものを考える)を扱えるようになったのです。その概念を表すために、棒で図をかくようになりました。これが記号=文字の誕生です。それまで、自らの身体器官あるいは自らの身の回りの道具を使って情報を得、また発信していたヒトですが、ここで、そうした「自分」が離れたところにいても情報をその場に残し、あとから見返すことができるようになりました。

 ここから先は、世界史でも詳しく述べられているとおりです。ヒトは石板、木片に続き紙を発明し、出版革命が起きます。情報は質量として軽くなり、持ち運ぶことが容易になりました。さらにのち、電話がつながりテレビが映り、インターネットが起きてきます。ついに情報は質量を伴わなくなりました。

 

 非常に雑に、人間がどのように情報を得てきたのか、そのメディア(情報を媒介するもの、媒体)の変遷を追ってみました。

 ここで、私はつっこみたい。「なんで文字メディアばっかなん!」と。

 

 今でも、「公式文書」という言葉があるように、公式に(まじめに)取り扱われるのは文字メディアばかりです。これと比較して、ラジオや電話、音楽などの音声メディアはエンターテイメントの領域でしか使われていません。その要因は音声メディアの特性にあるでしょう。音声メディアを正確に再現することは難しいものです。楽譜や今読まれている文章なども、使う楽器や声に出して読む人が変わればまったく違うものになってしまいます。また動画と同じように、音声メディアは話し手が、読み手の「時間」を制限します。文字メディアは読むスピードを変えることも、ちょっと前に戻ることも、あるいは複写も比較的かんたんです。ところが音声メディアは、「パッと見て理解する」ということができません。音楽は図ではないのです。

 

 それでも、私は「声」というメディアにもっと注目してみたい。

 

 こう思う背景には、私が地方出身だということも絡んでいるかもしれません。私には標準語とは違う、方言があります。さらに私の方言、もっと精確には私の「生活ことば」は、自分で自覚している限りでは4県の方言のフュージョンでできています。つまり、例えば「名古屋弁」として紹介される方言すべてを使うことはない、ということです。部分的に津軽弁をしゃべったり、讃岐弁をしゃべったりすることもありうる。おそらく方言ユーザーのみなさんの多くは、これに該当する方がほとんどだと思います。

 この「生活ことば」のおかげで、テレビでアナウンサーのみなさんが話す「正しい日本語(話し言葉)」と、新聞や本で読む「正しい日本語(書き言葉)」と、自分の話すことばの違いに敏感になりました。「俺は方言なんてしゃべんないぜ!」と思われている関東の標準語ユーザーのみなさま、その「なんてしゃべんないぜ!」があなたの話しことばですよ。

 つまり、誰だって自分のオリジナルの「生活ことば」を持っているわけです。さらにそれは、自問自答するとき、親しい人と話すとき、目上/目下の人と話すとき、初めての人と話すとき、4,5人を相手に話すとき、10人を相手に話すとき、100人を相手に話すときで、それぞれ違ったことばになるはずです。子どものころ、私が母親に怒られているところに電話がかかってきて、受話器を握ると途端に声色が変わる母を見て爆笑していたことがありました。このおもしろさよ!

 

 自分の個性がわからないと嘆く若僧は、声を出してこの文章を読んでみなさい。その声があなたの個性だ!(笑)

 

 最近は音声メディアもやっと脚光を浴びるようになりました。音声で広告を届けるSpotifyに、資金繰りに困らないほど出資者が殺到したり、スマートスピーカー(ダサいなこの名前)なんてものも、大真面目に日経新聞にも取り上げられ売れていたりします。

 

 声、大事にしていきましょう。エーザイ。ただそれだけの愛のシャウトでした。

1年の振り返り。「文体」が増えた。

 元々は大学のキャリア体験実習で、ベトナムホーチミンに滞在する間、日記としてつけるようにと言われて作ったこのブログも、そろそろ3年目に突入しようとしています。記事の数で言えば、実習のあった2016年の3分の1程度になりましたが、それでも案外続くものだなあ…と、ひとり哀愁漂わせてみたり。今年も10日をきり、私のはったっちー♪も、きゃりぱみゅの名曲を一度も歌うことなく終わりに近づいています。

 去年は、「今年一年で得たもの、「責任」。今年一年で失ったもの、「期待」。」とまるっと一年をまとめました。今年はどうまとめようか。

 

 個々の出来事はともかくとして、大きく捉えれば、今年は「文体が増えた」一年だと思っています。ここで言う文体とは、表現形式の種類のこと。例えば、文章では伝わらないことも、写真なら伝わる、とか、そういったことです。こうした、○○では伝わらないことを、○○で伝えたら、伝わった嬉しい!という体験が非常に多かった、豊作だった年でした。

 

 何があったか。いくつか今年起こった出来事を描いてみます。

 まず、今年の4月〜7月、大学の春学期中に、自分が所属している荒川ゼミ(荒川 裕子先生)の他に、遠藤ゼミ(遠藤 野ゆり先生)にもぐりました。人の説明というのはどうも苦手なので引用しますが、「専攻は現象学的教育学、教育実践学、児童福祉学で、子どもたちが学校や社会や家庭の中で抱える生きづらさを、どう経験しているのかを現象学に基づき解明する(法政大学教員紹介ページより)」先生です。私の印象としては、個人が社会で生きていく上で感じる「生きづらさ」ということばに思い入れを持っていらっしゃるのかなと思います。

 遠藤ゼミのゼミ生の多くは、自分が研究対象の当事者となって研究を行ういわゆる「当事者研究」を行います。例えば、中学校時代に登校しなかった人が、なぜ自分が登校しなかったのか、登校したくなかったのかを掘り下げて考え研究する、というような。そのためか、ゼミの議論は本当に興味深く、(誤解してほしくはないのですが)知的好奇心が揺さぶられました。迂闊なことやテキトーなことは人として言えない、だって当事者が目の前にいるんだもの、という適度な緊張感の元行われる議論。毎週レポートという形で自分の考えをアウトプットするよう求められ、なかなかハードな時間でしたが、充実した時間を過ごすことができました。改めて感謝。

 ここで、遠藤先生のことばを借りますが「生きづらさ」を抱える人とどのように接すればいいか、言い換えればどんな文法で会話すべきか、を失敗もしつつ学べたと思います。「そんなところで悩むんだ!」という第一印象から、なぜそこで目の前の人は悩んだのか、そしてそれに自分も共感できたときに、なるほどこの人にとっては「そんなところ」ではなかったのだな、と理解できる。何度もこういう経験がありました。

 この経験は、自分自身に対しても起こりました。私も小学生のころいじめられていた経験があり、それをずるずる引きづったまま大人になりました。遠藤ゼミの「これまでの人生で一番辛かったことと、それを乗り越えた経緯を述べなさい」というレポートで、自分のいじめ経験、そしてどのようにそれを「気にしなくなった(×忘れた)」のかを順を追って文章にアウトプットしてみました。それを書き終えた瞬間に、「あれ、これまで自分はこの出来事を、自分の人生を大きく変えてしまった出来事だなんて思っていたけれど、全然そんなことないじゃん」と思うことができました。それをゼミに持っていき、一緒に議論した友人とも、「誤解してほしくないんだけど、今のお前(私)を見てると、こんなの全然たいしたことないように見えるよ」と言ってくれました。

 

 この現象に、今年9月下旬くらいに自分で名前をつけました。「記憶のアップデート」。横文字にした方が扱いやすいなかあと思ってつけてみました。

 

 自分の記憶は、時が経つにつれてその人自身にとっての明確で不動でソリッド(固形)な「過去」になっていきます。でも、それをもう一度曖昧で動的でリキッド(液体)な「記憶」に戻す作業。アップデートというのは、ソフトウェア・アップデート、アプリのアップデートのことですね。アプリの大枠は変えずに(Twitterというアプリの大枠は変えずに)、構造を「今」にアップデートしていく。これが「記憶のアップデート」です。

 

 名前をつけてから数日経って、10月にWIRED CONFERENDE 2017に参加したときに、國分功一郎さんと熊谷晋一郎さんの対談で(恐れながら)似たような話が出て驚きました。詳しくは過去記事で。

 

 極めつけは11月上旬の、ご存じ市ヶ谷のウィスキーバー・タングラムの恒例行事、人を笑わせる下ネタを発表し合う「下ネタナイト」の学生版でした。荒川ゼミの友人男女4人を連れてこの学生版を開いたのですが、私のネタをマスターが批判してくださり、結果とってもおもしろい「持ちネタ」ができました。

 当時私は女性関係でまたひとつ、正直あんまり触れたくなかったソリッドな「過去」を持っていたのですが、それを惜しみなくマスターに明け渡すことで、マスターと常連の皆様の手により、誰もが笑える「記憶」のストーリーになりました。

 ストーリーが完成したときに、マスターがおっしゃったこと。「楽しいでしょ? 下ネタナイトって、自分のそういう『バカ』な話を、笑い話にして昇華するっていう作用があると思うんだよね。治療だよ治療」

 もちろんすべての「絶対触れたくない嫌な話」を笑い話にして昇華する必要はないと思いますが、ひとつの解決策として「笑い話にする」という選択肢がある。この文体に気づけたことは、大きな実体験でした。

 

 

 この他にも、今年の夏は、またベトナムに行きました。今度は正真正銘、ひとり旅。言葉に頼りつつ、言葉に頼りすぎないコミュニケーションを身一つでやってきました。どんな風にひとの懐に潜んでいくのか、どんな風に面倒い人を手の内に収めるのか。失敗してもう二度と会えなくなってしまった友人もいますが…、これも大きな体験です。

 

 文体が増えると、端的に言って、楽です。自分ひとりで抱え込む必要がなくなるから。そして、何を自分ひとりで抱え込むべきか、その優先順位も自然とつけられるようになっていく。抱え込むべきときなのか、アップデートすべきときなのかの区別も。直接お礼を伝えたりするのが照れくさくてできなくても、贈り物をする、とか。「きみのことを大事に思ってるよ」なんてキザな台詞を言わなくてもいい。超、楽。

 

 来年の予想もしておきます。12月に入って、ある事件があって(発端は僕の不注意というか、礼儀知らずでした)家族と親戚との距離がグッと近くなりました。距離を近づけておくことが本当に大事なんだと、身を以て知りました。文法が増えると楽だと分かった私は、たぶんこの先、「気配り」について真剣に考えるようになるのではないかなーと考えております。建前ではなく、取り急ぎのものでもなく、楽観的なものでもなく、心からの気配りってどういうものなのか。はやく体験してみたいものだ!

ありがとう、そしてこれからも。

 先週の土日は学祭一色だった。水曜の準備から続いた学祭は短いようで長かった。2017年度の学祭を僕の所属する映画サークルで終えるということは、映画サークルにありがとうとさよならを言うということだ。

 映画サークルは、本当に僕の大学生活を根本から支えてくれた。健やかなるときも病めるときもほとんど一緒だった。僕が上京してワナワナしているときも、そこから卒業して新しくメキメキ成長しているときも、そしてサークルのメンバーは、僕にとって重要な人たちであり続けた。それは引退した今も変わらない。

 

 映画サークルのメンバーが読んでくれていることもあり得るから、あまり言いにくいことだけれど、僕が2年半、メンバーとして監督として、制作スタッフとして、助言役として、飲み役としてやって来させてもらって分かったことは、僕は「映画を作りたい」のではないということだった。

 映画サークルのメンバーには、本当に多種多様な人がいた。ありとあらゆる映画を手当たり次第に紐解き、人間映画図鑑であり続けた人。「映画は実験の積み重ねだ!」と一念発起し、カメラワークを学ぶためにとにかくカメラを回し続けた人。必要機材をサークルの金で買い込んで編集作業にのめり込み続けた人。もちろん映画が好きではないけれど、近い趣味の友人を求めにやってくる人もいた。

 彼らは、僕にとってロールモデルであり続けた。あるときは彼を目指し、あるときは彼女を目指した。そこには歴然とした過程があり、協力者もたくさんいるが、僕はやり遂げることができなかった。要は飽き性だった。浮気性だった。映像というメディア(媒体)の一種である映画というフィールドだけにこだわり続けることができなかった。事実、「映画」という媒体に恋して制作を続ける人を見て、その人のサポートはもちろんさせてほしいと思ったが、その人になりたいとは思わなかった。

 「映画を作る」という作業を通じて、メディアを作るという作業をほんの少しだけ体感していた僕は、他にもたくさんあるメディアの形——音楽や文字、写真、インスタレーション、建築…——に目を向けるようになった。それぞれに似たようなものを感じ、それぞれの違いを理解しようとした。ブログを書き始めたのも、当初は勧められたからであるが、その習慣が今も続いているのはそういう理由からだ。自前のカメラを購入し、きちんと腰を据えて写真を撮るようにもなった。学部の芸術系のゼミに入ったこともあり、美術館や展示会にも多く足を運ぶことになった。

 こうして、「映画を作る」こと以外にも、自分の中にある鬱憤やら思いやらを外に逃がす(表現する)方法が見えた。僕は、「映画」自体を作りたいのでないと改めて知った。

 

 そうしているうちに今年の9月、ベトナムに行ったとき、ふと自分から何かが取れた。それは、とにかく誰かに認めてもらいたい、どこかや誰かに拠り所を求めたいという「強い」気持ちだった。映画サークルという場所は、その気持ちの矛先であることが多かった。けれど、映画サークル以外の場所でもその気持ちを素直に表に出していったことで、どこかそれはもう得られないのだという諦めと、そのことへの満足感が高まっていった。他人に認めてもらうことそれ自体への執着は今ももちろんあるが、それは「必要不可欠なもの」ではないと考えるようになった。次第に高まっていったその感情は、9月に頂点を迎えることになった。「過去の失敗の反省が終わったんなら、とりあえず今から何をするかじゃないすか?」と明るく問いかける自分が生まれた。

 もうひとつ、ベトナムでの体験を本当の意味で誰か(他者)に共有したいと思った。こんなにいい話が他にあるわけがないと思った。けれど、日常生活でその体験を話すことなんてほとんどない。僕自身、どうやって話をしたらいいか分からない。これを読んでいる方の中には、「そんなにベトナムで良い体験をしたなら、普通に話せばいいんじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。僕もそう思う。でも、機会がない。それは僕が話し下手だからかもしれない。

 こうして自分の中に、誰かに共有したいけれど話すことができない明確な体験というものが生まれた。それは、自分がこれまで見つめ合ってきた、自分が表現したいことや、自分の意見や価値観の露呈とは全く違うものだった。そのコンテンツには他者がいて、自分から生まれるものよりもクッキリとしたものだった。自分語りとは全く違うおもしろさがあった。

 

 そして、その表現方法を探っていった。その過程で出会ったのが、以前の記事でも書いた写真家の小原さんとAmakさんだった。彼らとの会話で、その方法のヒントが見つかった。

 そのヒントが、ただのヒントから自分のものになるまでには長い時間がかかった。学祭の後の飲み会で顔を出してくださったOBの面々に、僕は余った疑問をすべてぶつけた。OBは愚かな若者の話をうんうんとうなずきながら聞いてくれ、的確に質問し僕も導いてくれた。そして質問が尽きた。でも僕は、このOBたちと会話を続けたかった。僕に残された手段は、僕が何を作りたいのか、何をやりたいのか、それを形にすることだけになった。

 

 そして今、僕はベトナムの写真をひっくり返している。写真研究会の友人が学祭で展示していた素敵な写真集を目指して、制作にとりかかる。

 改めて映画サークルに入って、そのメンバーに出逢えて、本当に良かったと思う。

 

 

<P.S.>
 文学研究会の人のみずみずしく若々しい文章を読んだら影響されたみたい。他人の影響を受けて自分の文体が変わるのはおもしろいですね!

責任を保ちつつ、前に進む。そんなことができるのか。/WIRED CONFERENCE 2017 "WRD. IDNTTY." プチ・レポート

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カンファレンスの締めを飾る、國分功一郎さんと熊谷晋一郎さん。

 

 WIRED CONFERENCE 2017 "WRD. IDNTTY."に参戦してきました。カンファレンスの大きな目的は「ダイバーシティ(Diversity, 多様性)」と「アイデンティティ(Identity, 自己同一性)」の現代における再定義。いずれもサカナクションや企業のCSRなどなどの影響もあり一般に知られている言葉だと思いますが、一部の国は(日本も含めて)排他的、自国中心的な方向に動いています。そんな中で、ただひとり歩きしている印象をも受けかねないこのふたつの言葉について議論していこうというカンファレンスでした。カンファレンスは、正面ステージの壇上でスクリーンをバックに発表する形と、中央ステージでWIRED日本版の編集長・若林さんを交えたり交えなかったりして対談形式で行う形とで行われました。

 もちろん副産物もたくさん持ち帰りました。より詳細なレポートは大学ゼミにて別に書くので、ここではその準備体操として、印象に残った順にハイライトでお届けします。まだ自分の言葉になっていないところもありますが、これからしっかり熟成させていくのでご勘弁を。自分が気になった登壇者の方の話をずらずら並べていきますので、まとめは特にありません。

 

 

 

 まずはTENGAヘルスケアの中野有紗さんが、発表の中でポロリンと漏らしたひとこと。

ダイバーシティアイデンティティの集合体。とすれば、アイデンティティ、個をよく見つめるという作業ができていなければ、ダイバーシティは理解できるはずがない。」

 すごい。ふわふわしがちなダイバーシティ論を的確に斬った言葉でした。自己を見つめるためには他者と対話することもひとつの手なので、ダイバーシティアイデンティティの問題はセットで考えるべきだというヒントになったように思います。

 

 

 続いて写真家の小原一真さんとAmak Mahmoodianさん。お二方が共通しておっしゃっていたのは、写真をひとつのツールとして「自分自身の記憶を、Storytelling(ストーリーテリング、物語る)したい」ということでした。若林さんが二人に投げた質問に、「(二人はよもやセンセーショナルに受け取られる可能性のある、人々の痛みや悲しみをテーマにした作品を作っているが)それを自分が制作する権利があるのか、責任(Responsibility)をどう乗り越えるか」というものがありました。小原さんは、写真家という人は最低な奴らだ、被写体の痛みも理解せず、かつ自分は決して写真に写らないからだと前置きをしつつ、自分は被写体にコミットしていく、人間として関わっていき、ここまでやったということで、許してもらおうじゃないですけど、と語っていました。Amakさんは、"Depend on approach(取り組み次第)"だと言い、写真集を作る作業では自分自身を描いたわけではなく、私と被写体の関係、共通のストーリー、つながりを見つめ、発見し、描いたと語りました。

 カンファレンスの後の懇談会で、この点についてもう一度お話を伺ったのですが、やはり「これはあくまでも自分の体験した物語だ」という前提で、自分と、自分と出会った人々の話という設定の中でストーリーテリングをしていく手法が、こうした内容のテーマを扱うのに最も適していると教えてくださいました。

 ひとつ前の記事で、私は「『わたしの』ベトナム、になった。」と題して、自分が積極的に現地の人々と交流していくことで、ただ彼らの生活を観察するだけでは得られない体験をしたと書きました。あれでよかったんだな、と少しほっとした部分もあります。

 というわけでただいまこのWIREDレポートも「あくまで自分が気になったところを選出してお届けする」という前提で、ストーリーをテリングするように執筆しております。

 

 

 バリアフリー研究の第一人者である星加良司さんは、日本においてはまだバリアフリーダイバーシティといった言葉がひとり歩きしている節も見受けられるとおっしゃいました。かたやそうした概念を企業が自らの利益のために漠然と用いていることもあれば、宮崎県日向市のPR動画や保毛尾田保毛男の炎上騒動のように、炎上しつつも意見が割れることもあります。

 

 

 ところで、欧米の文化の中には「個」を重視し、異質な人たちと触れあうことにある程度の価値をおく感覚が未だ残っているといいます。それは例えばアメリカの場合、開拓者、侵略者としてヨーロッパから渡ってきたという自国の歴史からもたらされる「根っこ」があることがひとつの要因です。星加さんは、異質な人たちと触れあう文化の「根っこ」を、日本文化のどこに接続していくかを探すべきで、日本独自の(よもや異質な人々に対して排除的になりがちな)同調圧力ダイバーシティをどう接続していくか、という問いを残してくださいました。

 「異質な人を受け入れる」姿勢を持つために、その意味を自覚することは有効だと思います。もちろん国内にそうした感覚を持っている人は多数いらっしゃいますが、日本文化の中に、既に異質な人を受け入れる文化的な「根っこ」がもしあるとすれば、そうした感覚はより強固で安定したものになると思います。

 

 "ReThink"という、メールを送ったりSNSで投稿する前に「その投稿大丈夫?」「送られた相手がどう感じるか考えた?」などのメッセージを表示し考え直す(ReThink)ことを促されるアプリを開発したTrishaさんは、ご自身の活動と同時に、インターネットとアイデンティティの関係について語りました。インターネットのログ(記録)は人々のアイデンティティになる、とおっしゃいました。

 私は、人を中傷する投稿を止めさせるコンセプトのReThinkには大賛成ですが、「ログがアイデンティティになる」というインターネットの発想をなんとか変えられないかなあと考えています。彼女は「ネットで私が発言したこと、私がつぶやいたことはすべて私のアイデンティティになる」とおっしゃいました。それでも私は、そうしたことがアイデンティティとして強制されない環境を、インターネット上に構築できないかな、と考えています。日常生活で私たちは、過去を洗い流したり、忘れたりします。中二病や若気の至りといった過去の黒歴史も、そうして時が解決してくれることもあります。しかしインターネットではそうはいきません。過去のそうした行動がいつまでも追っかけてきます。少なくとも私にとって、インターネットでの行動や発言は、常に自分のファッション、アクセサリー(アイデンティティを誇示するもの)を形作るものとして行っているわけではありません。むしろ、すべての言動がそうしたものとして捉えられることの方に違和感を感じます。現実はそう捉えられることの方が圧倒的に多いのですが。

 私は、自分が地理的・社会的・精神的に位置している場所では決して得られない情報を得ることができるという点、そして同じように偶然何かの情報を探していた人が自分の発信している情報に辿り着き、その人の役に立つことができるという点で、インターネットが大好きです。けれど、あまりにも個人を時系列的にIndividual(分けられない個人)として位置づけたがるユーザーの発想は何とかならんものかなあ、とも思います。

 私のこの発想は、平野啓一郎さんが『私とは何か』で取り上げている「分人主義」という考え方に影響を受けています。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

  

 

 最後に登壇されたのが、哲学者・國分功一郎さんと医師・熊谷晋一郎さんです。國分さんは4月に『中動態の世界』という新著を発刊されましたが、今回のお話はその本の内容からスタートしました。中動態の話については既にインタビュー記事などで解説されていますので省きます。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
 

 

 國分さんの問題意識は、「中動態」という文法を研究する中で浮かび上がってきた、「私たちはすべての行為をどこかに所属させたがっている」というものでした。

 ふたつ例を出します。例えば私は今このブログにプチ・レポートを書いていますが、一般的に見ればこれは「私が書きたくて」書いているものだと捉えられます。「私が書く(I write)」という言葉にはそうしたニュアンスが加えられています。しかし、私は本当に「ああ、レポートを書きたいな」と思って実際に「書く」という行為に移っているのでしょうか? ふたつめの恋愛の例ならもっと分かりやすいかも。あなたは「あの人が好きだと思いたいな」と思ってから「あの人が好きだ!」と思いますか? そこには違和感を覚えると思います。ものを書く、人を好きになるなどの行為すべての源泉がこうした「意志」(文章を書きたいな、あの人を好きになると思いたいな)にあるとは思えません。つまり、すべての行動には意志が伴っている、という考え方は実はいつも真とは限らないということです。

 薬物依存症患者のようすを語る熊谷さんの話は、特に腑に落ちました。薬物依存状態にある方の中には、子どもの頃虐待を受けた方もいらっしゃいます。そうした方々の中には、他者に依存するスキル、方法を持つことのなかった方々がいます。そうすると、その方はひとりで頑張らなければと思い込んでしまいます。しかし人間はどこか、誰かに依存する生き物です。そう思い込んでしまった結果、依存先は自分の意志のみになります。自分の意志を強く持つことに依存していきます。

 ところが、意志というのは生ものであり、現在進行形です。時により移り変わります。例えば退屈が訪れたり、眠くなったりすると意志が弱まります。そうすると、意志を持つ前にあった過去の記憶が戻ってきます。虐待を受けた経験のある方の場合は、その記憶は例えば虐待の記憶です。そうすると、その過去を今の自分から切断しようとし、より「今を流れる」意志に依存していきます。「私には過去など存在しない! 今がすべて!」という発想になります。そうした戦いの中で、自らの意志だけに依存することが難しくなり、薬物に依存していく、というのがひとつの大きなパターンとして見受けられるそうです。もちろん、一概に意志を強く持つこと、過去を切断することを悪くおっしゃっているようには聞こえませんでした。

 そこで、國分さんのスライドに登場したジョルジョ・アガンベンの言葉が光ります。

 

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「意志は、西洋文化においては、諸々の行動や所有している技術をある主体に所属させるのを可能にしている装置である。」

 

 哲学の中では「自由意志は本当にあるのか?」と題される命題が多数議論されていますが、お二方は意志はひとつの信仰だとバッサリ斬っておられました。今の「能動/受動」的なものの考え方、「私がやるのか」「私がやられるのか」という言葉のしくみは、すべての行動に責任の矛先を求める尋問をするような性質を持っており、現実を捉えるには不十分だとおっしゃいました。

 私は自分のアイデンティティ、やりたいことなどなど就活セミナーでごくごく一般に投げかけれる質問を考えるときに、この落とし穴にハマってはいけないと強く思いました。そうしたものが、短くスパンと自分の中にある方がおかしい、と。もちろん他者に自分を理解してもらうのにその中の一部分を切り取って説明することは大切ですが、本当はもっと複雑なのだと思っておいた方が身のためだ、と肝に銘じました。

 

 

 このカンファレンスを終えて、私も自分のアイデンティティがどこにあるのかをうんうんと考えてみました。明確にこれだ!という答えはまだ出ていませんが、暫定的に言えば、私のアイデンティティは他者との関係の中にあるように思います。

 私は幼い頃からかなりの飽き性で、私にはギタリストにとってのギター、サッカー選手にとってのサッカーのように「これ」というアイデンティティになりうる技術やモノがありません。けれど(抽象的な物言いですが)他者と対話したり、他者の作ったものを鑑賞したり、他者に自分の作ったものを見せたりと、他者と関わっている時に強く安心感を覚えたり自分の存在意味を見出したりします。それは承認欲求(私の存在を、私がどれだけすごいかを認めてほしい!)や所属欲求(ここにいていいんだ)からもたらされるものを超えた感覚であり、快楽です。

 もしそうだとすれば、自ずと自分が大切にすべきもの、自分がとるべき行動も少しずつ見えてきます。少しずつとりあえず前に進むことができる。深いところから背中を押してくれるようなヒントを、たくさんいただくことができたカンファレンスだったなあと思います。WIREDスタッフの皆様、登壇者の皆様、カンファレンスと懇談会中にお話しさせていただいた方々に感謝感謝。

 

 ちなみに、このカンファレンスの内容が既に速報記事としてWIREDの方に上がっていますし、雑誌WIRED次号12月号の特集は「アイデンティティ」で、このカンファレンスの内容をはじめよりアイデンティティを深掘りする記事が掲載されるそうです。このテーマにご興味のある方はぜひご一読を。

 

 まだまだ考えなければいけないことは山積みで、特に明確なまとめもなく恐縮ですが、ひとまずプチ・レポートはここで締めたいと思います。

「わたしの」ベトナム、になった。

 ベトナムから帰国し、アルバイト生活を経て2泊3日の瀬戸内国際芸術祭弾丸旅行を終えて、やっと落ち着いて文章を書く時間が取れるようになった(大学の講義が始まった)ので、つらつらとベトナムでのこと等々をつまんでみます。

 

 まずざっくりと、前回1年前の学部のプログラムとして訪問した回と、今回の個人旅行として訪問した回とでは、自分の意識が大きく違ったように思います。まず前回は、私がベトナムに対して思っている理想像を全面的に押しつけて、そのフィルターを以てベトナムを見ていました。その典型が自分が前回の集大成として出したプチ論文のテーマ「カフェの街・ホーチミン」であり、「Cà phê sữa ₫à(ミルク入りアイスコーヒー)」でした。今回4,5日目あたりから、「あれ、そんなにベトナムコーヒー大好き!ってわけじゃないかも…」と思い始めて、自分の思い込みに気づいたのでした。

 前回は最終的に論文形式でレポートを書かなければならない、自分の体験をテーマに沿うように近づけ、それを余すところなく文章として客観的にまとめなければならない、というプレッシャーがありました。もちろん大学のカネで訪問しているのであたりまえなのですが。とはいえ、それを必要以上に意識しすぎていたところがあったように思います。ベトナムのコーヒーまわりのことについてもっと知りたいと思い、前回私が選んだ手段は観察でした。カフェにいる人に(言語が分からなくても分からないなりに)仲良くしたり、友だちになったりということは全くしませんでした。

 しかし今回は1年経って自分の意識も変わり、先生の助言もいただき、おかげでプレッシャーからも解き放たれ、極めて主観的にコミュニティに入り込めたように思います。友だちになれた。今でもFacebookのMessengerに定期的に「Bạn ₫ang là gì(What are you doing?)」と送ってくれる友人たちができました。

 

 この影響で、今回の体験は、どうしても「日記」という形でしか言葉にすることができないものばかりになりました。朝5時の16度の真っ暗な道に半袖短パンでバスから降ろされ、道すがらのカフェでnóng(ホット)と言えずに頼んだCà phê sữa ₫à(アイス)をちびちび飲みながら明けるまで待ったり、かなり深刻に抱えている個人的問題を打ち明けてもらったり、朝っぱらからバナナ酒を飲まされて1日潰れたりなどなど。

 

 

 ただ、そうした主観的な体験を享受することを第一に持ってきたのは、得策だったように思います。そのおかげで、自分の価値観—何を買い何を買わないか、どこに住みどこで何をして働くか、何に注目し何を無視するか—も変わった、というより、ある程度定まりました。もちろん変化できる可塑性を孕んで。

 ちょうどベトナムに持っていって暇なとき読んでいた本(『謎床: 思考が発酵する編集術』『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』)も妙にシンクロし、自分なりに紐付けができました。

 

 まだ、自分の中でベトナムでの生活の余韻が残っているところがあります。これが刻印として自分の中に永遠に残っていくのか、はたまた一過性のものとして流れ忘れ去ってしまうのか、自分でも分かりません。