あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

個人から政治へと問題意識が変わるとき

 前々から解決したいと思っていた自分ごとの問題を、「あれこれ社会の問題じゃね?」と見立てられるようになる臨界点があると思います。その視点を得られると、それはただの個人的な悩みから脱出され、具体的な行動に移しやすい形になる。

 久しぶりにブログを書き始めるようになり、このブログを始めたきっかけとなった恩師に言われた「ブログを書くことのメリット」を身に染みて感じています。自分の思考過程をどこかに保存しておくことで、後々自分が当時何を考えていたのかが分かるのです。そして、そのことで受ける恩恵がとても多い。しかも日記や手記などとは違い、ブログは人に読まれるものなので、ある程度分かりやすく書こうという努力はするようになる(あれでもしてたんですよ当時の私は!笑)。つまり後から自分で読んでも、まあまあ分かりやすい。

 文字メディアに限らず、音声メディアでもいいですね。とにかくブログを書くことで誰がいちばん得をするのかといえば、他でもなく自分なのです。

 

 で、今日は自分がふだんぼんやり考えていることのベクトルが変わってきましたよーというテーマで書いてみます。

 ここ最近は、正直冬眠していました。もうすぐ(といってももう明後日のことですが)自分の環境が大きく変わるわけですが(おそらく受験勉強以来の勉強をさせられるのだろう! がんばるドン!)、それまでの日にちが長すぎて退屈していました。國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読み返してどうやったらこの退屈を紛らわすことができるのか、いやいやそもそも自分は退屈している場合などではなくて、他に学ぶべき事柄があるのではないか、おいおいそもそもタイ語会話全然できへんぞ(文字はちょっとだけ頑張った)などなど。

 

 とはいえ「自然とやる気になるのだろう」と派遣の準備をすることは諦め、自分が興味のある本、つまりタイに行ったら読めない本が読みたいと思い、図書館・神保町・Amazonからざっくざっく本を大量輸入して読んでいました。

 どうしても好きなこと、しかも「あなたの好きなことはなんですか」という猥褻な直球質問にはちょっと答えられそうもない、いつの間にかやってしまっていることってあると思うんです。文字通りの仕事(事に仕える)が。決してそれをやっている自分に惚れ込んでいるとかそういうんじゃなくって。

 それが僕の場合、本を読むことと音楽を聴くことなんですよね。だからやる気が出ないときもやる気ビンビンのときも、暇なときはだいたいこの2つしかやってません。

 

 で、特に自分が読む本は、自分が考えていることに即する本を読むときと、おおなんだこれ面白そうと思った本を読むときとあるんです。ここで冒頭のテーマ、前者の「自分が考えていることに即する本」の内容がちょっとずつ変わってきましたよ、というお話に入ります。

 

 

 きっかけは、國分功一郎さんの「中動態の世界 意志と責任の考古学」を読み終えたことでした。久しぶりに自分ごとの問題を思い出して、何をしたら「責任を取る」という行為を完了したことになるのか、それを定式化することはできるのか、できるとしたらどのへんまでかというのを考えていました。

 その中でいろいろな「責任が取りづらい」事例を想定してみたんですね。例えば分かりやすいのが、友人とケンカしてボッコボッコに殴り合って友人を殺してしまった人。要は殺人なのですが。殺害した人は、殺害された人に対して責任を感じた場合、この責任を果たした、と思う瞬間というのはどのようなときなのか。

 あとはどこまでが自己責任と言うべきなのか。日本では以前、ISISにジャーナリストの後藤健二さんが殺害されたときにもよく議論になりましたね。その前にも戦地に赴くジャーナリストに対して同情や悲しみの感情を向ける人もいれば、「あなたが行くって決めたんならあなたの責任でしょ」と考える人もいました。他方、貧困や保育所不足など、もう「あなたの家庭が貧しいのはあなたが頑張らないから」「保育所足りないんなら都心から出れば?」なんて安直なアドバイスはできない問題が、けっこうな力で拡散され認知されてきています(未だにそう言う人っているでしょうけど)。

 

 この問題に関心が向いたひとつの原因に、自分が教師という立場になることが現実になったから、というものがあります。私は基本的に教師という生き物が嫌いです。正確には、「私は知らない相手に自分の知っていることを教えてあげるのだ」という考え方で教壇に立っている教師が嫌いです。いや、結果的にそういう行為をしている教師はいいのですが、教師という存在が生徒に対して持つ「権力」性に鈍感な教師が嫌いなのです。

 その自分が嫌いな教師に、自分がなるのです。絶対に、そうした教師にはなりたくない。その権力への自覚を自分にできるのかが、不安で不安で仕方ありませんでした。

 そこで「責任を取るためにはどうしたらいいか」という疑問が湧くのです。私は生徒人生の貴重な時間を一定時間拘束して授業をするわけだけれど、その行為について私はどのように責任を取れるのか、そもそも取れるのか。

(ちなみにこの話は、恩師お二人と先輩と飲みながら考えました)

 

 こんなあたりのことに考えを巡らしていたところで、「これは個人という視座を一度外して考えなければいけないのではないか?」と考えるようになりました。

 私は、これまで自分の視座を「個人」に設定していたわけです。もし私が他の誰かを攻撃したら、私はどこまでその反撃を受けるべきなのだろう。逆も然り、私が何か不道理なことをされた場合に、私はどこまでその被害を主張することができるのだろう、などなど。

 ところが、その思考の臨界点を迎えました。それって一人で(個人で)解決する問題ではないよね、と思ったのです。

 

 ここで初めて「個人」という視座が外れました。これは私にとっては大きな事でした。

 私は自分の所属学部を決定したとき、「個人が幸せに生きていけるような社会を築くための勉強をしたい」というような拙文を提出しました。大学でいろいろなことを学んできましたが、その基本視座は「個人」に置かれていました。自己なら自己、ある他者ならある他者が、どのように社会(他者の複合体、という程度の意味で使っています)を捉え、どのように社会で生きていくか、その社会はどのように設計されるといいか、というようなことをバカみたいに大真面目に、本気で考えてみたかった。

 もちろんその伏線はところどころありました。「個人」がどのように生きていくべきかを探りたいと思っているのに、「社会」を基礎に置く社会学に後ろ髪を引かれるのはなぜなのか。ベトナムホーチミンでのフィールドワークの後には、他者を理解したければ、それと並行して他者に自分を理解してもらわなければ、他者を理解することなどできないというジレンマにぶち当たりました。つまり、自分をある社会の「構造」の中の人間と捉え、かつそれを他でもない自分が他者に説明してみるわけです。当然ですが、これはとても難しいことです。

 

 個人の責任問題をなんとか「個人」の問題として解決しようとしていたときに、松岡正剛さんやドミニク・チェンさんと本を通して出会いました。ドミニクさんの早稲田大学の講義に潜ってみたり。一度だけゼミに伺ったのですが、その後勇気が出ず座学の授業だけ出ることにしてみたり。

 どうもお二人は、ある個(人)、ある主体にというより、その個、主体を結びつける線、つまり関係、システム、機構を設計することに注目しているみたいです。ロボットが垣間見せる人間味に対して、なぜロボットのこの動きに我々は「人間っぽさ」を感じるのか、この「人間っぽさ」とは、といったような、マツコロイドを作った石黒さんのような見方。あるいはドミニクさんが注目した「発酵」。松岡正剛さんは今でもあらゆる知・情報をくっつけたり並び替えたりして「編集」することをライフワークとされています。

 で、当時「責任問題は自分ひとり(個人)では解決できないのではないか?」と思っていた私は、お二人はじめ、お二人からリンクした皆さんの術中にまんまとハマっていったわけです。とはいえ当時の私は「なんかおもしろそー」ぐらいにしか思っていませんでしたが。

 

 

 そして極めつけは、國分さんの登場されている他メディアを覗いたことでした。國分さん、現在は高崎経済大学で哲学の研究をされていますが、ご自身は大学で政治学を専攻されていたみたいなんですね。当時はまだまだ「政治」と聞くと、権力争い、支配被支配などなど、荒々しい体育会系の筋肉マッチョな分野なんだろうなあと、お子ちゃまバリのことしかイメージしていなかったのです。

 ところが「中動態の世界」の後に「暇と退屈の倫理学」を読み返し、同時に読んでいた東浩紀さんの「ゲンロン0 観光客の哲学」(これも出会いは単に「なんかおもしろそー」だったのですが)も手伝い、ああ俺が考えていた問題は政治学にヒントがあるかもしれない!と妄想し始めました。

 こんな適当なことを書いていると政治学や現実の政治をバリバリやられている方に怒られそうですが、こりゃあうまい学問分野を見つけたぞと思いました。試しに政治学科の先輩とナショナリズムグローバリズムの両立について議論してみると、捗る捗る。

 

 やっと自分ごととして、政治学を学んでみたいと思うことができました。政治学を自分の引き寄せられるようになったのです。

 

 これまで全く関心が持てなかった知識に、余裕顔でアクセスできるようになることほど、楽しいものはありません。「スタバに行きたいけど、オシャレすぎて俺にはムリだ…!と思っていたけど、勇気を出して一回行ってみたら案外行けた!」みたいな話です。

 ちょっとだけ先が見えた代わりに、知りたいことは山積みになります。そもそも僕は高校時代政治経済をまったく勉強していない(理系クラスだったので。理系に政治経済教えないのどうかとは思いますが、今の学校のカリキュラムでは、先生も生徒も余裕なさそう)ので、国内外の選挙制度や経済発展の基本要素なんてまったくと言っていいほど知りません。これから勉強じゃ。

 

 

 というわけで久しぶりに個人の問題が政治の問題、個人がたくさんいる社会の中での問題に変わってきたよーというお話を、4000字、1時間ちょっとでババッと書いてみました。タイに教師しに行くっつってんのに、何やってんだ己は。トホホ。

自分のことばを失うことなんて日常茶飯事なんですよ

 何かを始めようとするときに、腰が重いのはもはや我が性としか言えないようになってきています。
 私にとって日常的に「やること」、例えばある友人に会うこと、学校の授業に出ること、料理をつくること、最近で言えば面接をすることなどなど、というのは、少しやらないとまた始めることがおっくうになることばかりです。ブログを書くのもそう。前回の記事で、なんとかその最初のハードルを下げたという体です。読者のことを一度忘れ、自分が書きたいことを書く。いつもブログをつけている時分にはまったく気も付かないことですが、「人様の目に触れるところに自分の思いの丈を綴る」という体験は異常なのです。
 
 それはともかく、その異常な体験をしばらくやらないと、自分がどうやっていたか忘れてしまう。そういった種の体験を失うことに一抹の寂しさを覚えます。それを失うことにすら鈍感になってしまうものです。
 私は自分の方言、つまり「自分のことば」というのを常々意識するようにしています。いや、意識しているというより、それを失うことへの恐怖心が意識「させている」というのでしょうか。たまに里帰りをして、自分の慣れ親しんだ方言で会話をしていると、どうも自分が方言を話すことは自然にできるのだけれど、聞くことがたまにできないことがあります。内容は理解できるのだけれど、ちょっとこうズレた感じがする。それで、話が途切れてしまう。そういうときに、自分の言葉が失われたというか、おっと少し忘れているようじゃな、と思います。
 話し言葉と書き言葉というのはそもそも違います。さらに話し言葉の中でも相手が年上・同輩・年下なのかで、相手との距離感で、話す場所で話し方を変えることはしょっちゅうですし、書き言葉の中でも学術的文章、エッセイ、メールや手紙、SNSではそれぞれ書き方が違います。案外、そのことに鈍感になりやすい。そして、いつの間にかどれかの話し方や書き方を失っていく。最近それをまた自覚したのが、このブログなのでした。
 
 ちょっとやらないと、自分がどうやっていたか忘れてしまうというのは、予想以上にたくさんあります。例えば楽器を演奏するだとか、人前でちょっとしたスピーチ(今はプレゼンの方が一般的でしょうか)をするといったようなこと。それなのに、それをやって「あれ、意外と自分、忘れてるな」と自覚する機会がないと、いいやそれくらい自分はできると思い込んだままになり、忘れます。

 そういったときに役に立つのは、自分が以前どのように書いていたのかを眺めてみることです。記録に残っていることならそれができます。つまらない映画を撮る監督は(素人の作る)学生映画を見ないからつまらないんだ、なんてな話を聞いたことがありますが、まさにそのことなのです。そこからまた書き始めることができる。
 困るのはいつでもそうやってリカバリが効くわけではない技術。方言での会話、というのもそうです。一度親戚との会話をスマホのレコーダーで録音してみようかとも思いはしましたが、ちょっとせこいかとやめました。
 
 そういった種の体験、皆さんにもありますでしょうか?

けじめがないとブログすら書けないってどういうわけなんだ!

 世間は文書改竄疑惑で持ちきりですね。図書館で朝日新聞を覗いてみたら、「財務省はここまで落ちたか。きちんとけじめを」とまあ強気の編集委員さんの詔が掲載されていました。けじめ。空恐ろしい響きのすることばですが、大事ですよねえ。
 昔(といっても5,6年前の話ですが)、中学校の始業式のあと、当時の担任の先生が教室で「人間には節目がいる。バカにする人の方が多いけれど、どこかでいったんぴしゃっと切ると、次の行動が起こしやすい」とおっしゃっったことを思い出します。確かにそうだと思います。少なくとも、日付や曜日をすぐ忘れる怠惰な私にとっては、そういった節目、けじめをつけられる人が羨ましいものです。
 
 さて、久しぶりにブログ*1をつけておこうと思ったのは、自分の生活に(そう意識したにせよそうでないにせよ)けじめがついたからです。けじめがないと、腰が上がらない質でして。
 大学を年間休学しました。家族のおかげで、幼小中高大と(名目上は)まっすぐに教育機関に入っていた私ですが、物心ついてはじめての、教育機関一時退却です。そんなに「おごと~!」(feat. IKKO)な話なの? うん、まあなんだかんだ言ってビビるところは正直ありますよ。高校生のときの卒業式で「これからみなさんの中には、社会に出る方もいらっしゃるでしょう。」と言われて「え、俺たちって社会に出てなかったの? 社会ってどこにあるの?」と焦りまくったこともある私、自分は社会人なんだぞと意識して大学生活を送ってきたつもりではいましたが、面と向かって君社会人だよと言われるとうえっぷとなる自分はいます。
 
 こういったけじめがあると、前のけじめから今目の前にあるけじめまでの期間の自分の言動を、自然と省みちゃいますよね。ちょうど平成が終わると「平成とは」という特集が組まれるのと同じように。
 自分の大学生活とはなんだったろうか、いや大学卒業したわけではないんですけれど、自ずからそういう観点が向こうからやってきます。
 雑にまとめてしまいますが、おそらく、「自分を支えているものはいったい何か、そして自分が支えているものはいったい何か」という問いの答えを探していたのかなあと思います。私の大学生活は、いろいろあって「自分はひとりで生きているわけでないし、これからもそうだろう」という仮定から始まっています。ならば、私を支えているものは何なのか、言い換えると私をこのような環境においているものはいったい何か。自分が、他人に対して成したことの影響を、自分は自覚できていない。なにそれ怖い! その正体を知りたくて知りたくて、大学に入った…んだったと思います。当時の日記を見ていると笑。
 無知の事柄への恐怖、いわゆる暗闇を歩くときに感じる類いの恐怖です。あれを、私はたぶん人一倍感じていた。「モンハン知らないの?」と言われることへの恐怖。
 
 養老孟司さんの新書『バカの壁』を高校生のころに読んで、目の前がくらくらしたのを覚えています。正確には引用しませんが「人間によって作られた都市の中で生活するということは、他人の脳の中で生活するようなものです」というような主張がされていました。このあたりから、「自分」というものの範囲、個人=私とはなにかという問いの探求に火がつきました。そして自ずから、じゃあ「他者」って何、他者にも自分と同じようにあるはずの「自我」って何、といった問題からみんな大好き学問の世界に入っていったつもりです。
 その問いの探求の経験は、後のベトナムホーチミン、バンメトート訪問の際や、映画サークルで映像と向き合うときや、何気ない友人・知人・恩師・先輩後輩との会話のなかでぽつぽつと花開いてきました。その経験の積み重ねをこれまた、自覚する必要がありそうです。
 
 
 あまりに長く思ったことを思った順に書く散文をやめていたので、ちょっと慣れません。こればっかりは、場数ですから仕方ない。ほぐしほぐしやっていきます。
 
 今後のことを少し書いておきます。
 来週の日曜日から、私は晴れて日本語パートナーズという、海外で日本語を教える先生になる機会をいただきます。自分が先生になるなど、目の前にそびえ立つ責任に圧倒されそうですが、自分なりの方法を見つけていきます。そこで、これまで教育機関という檻に入っていた私が急に別の檻に投獄されるわけですから、いろいろと考えるところもあると思います。その中でどうしても散文的になってしまう、頭の中で整理がつかないことを、以前に引き続きこのブログに書きつらねていきます。
 そのほかに、また続けることができるか不安でしかありませんが、日本語パートナーズとしての活動日記のようなものを別ブログで組もうと思います。実は、先代の日本語パートナーズが残してくれたWeb上のいくつかのブログを参考に、自分もやってみようと思い立ったという経緯がありまして、そのご意志を勝手に引き継ぐつもりです。後代の日本語パートナーズの方々はもちろん、日本語教育、教育、派遣先の人々の暮らし、伝え聞いたことなどなどにご興味がある方にも、それなりに読み応えのある記事を書くつもり…書けたらいいなあと思っています。
 
 
 引き続き、文字だけのお知り合いの皆様も含めて、ご贔屓賜りますようよろしくお願いいたします!

 

 

 

 
 

*1:余談ですが、ブログという言葉の響きがあまり好きではありません。理由はおそらくカタカナであることと、使い古されすぎて古い言葉に感じるからだと思います。ビデオとか、オーディオに感じるちょい古さ。日記、としてはあまりにオープンすぎるし、エッセイ・随筆、としてはあまりに腰が重すぎる。どうにかして、ブログというものを、自分のことばで表現してみたいのだけれど。うーむ。

声、大事にしていきましょう。

 少しずつ、「声」というメディアに対する興味が湧いてきています。

 

 せっかくなので、「情報を得る」という行為をするヒトの歴史を簡単に紐解いてみましょう。少し学んだことを羅列しますが、他人から聞いた話を右から左に受け継いでいるだけなので、読み飛ばしていただいても問題ありません。

 

 まずその視線が求められるのは、動物です。動物たちはどんなふうに周囲の情報を得ているのでしょうか。五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)は、まずすぐに思いつきますね。暗い場所でも草木の生い茂る森の中でも、耳を澄ませて目を凝らせば、次第に周囲の情報が把握できます。目の前にあるキノコは食べられそうか、目の前の崖は足をかけて登れそうかなど、舐めて嗅いで触ってみれば、なんとなく分かります。周囲の情報を察知することはもちろん、仲間の情報を察知することも、共栄していくためには必要です。相手は発情しているのか、病気になっていないか、私に何を伝えたいのか。

 さて、ここまでは動物として、他の動物にもみられる行動をとってきたヒトですが、あるとき驚くべきことが起こります。直立二足歩行です。それまで四つん這いになって移動していたヒトが、突如二足歩行になった。そのおかげで眼高が高くなり、より広い視野を獲得しました。さらに直立するにつれて圧縮された声帯筋は、常に首のまわりの筋肉とともにひっぱられるようになり、複雑な声を出すことができるようになりました。ここで、声の出し方で自分の情報を伝える「言語(オーラル・コミュニケーション)」が発達していきます。ここで、自分の持つ情報を的確に他者に伝えることができるようになりました。

 さらに直立二足歩行により自由になった両手で、道具を使うようになり、次第に指の関節も器用になり、指を折ることで数概念を得ました。ここで、抽象的な概念(目に見える実体ではないものを考える)を扱えるようになったのです。その概念を表すために、棒で図をかくようになりました。これが記号=文字の誕生です。それまで、自らの身体器官あるいは自らの身の回りの道具を使って情報を得、また発信していたヒトですが、ここで、そうした「自分」が離れたところにいても情報をその場に残し、あとから見返すことができるようになりました。

 ここから先は、世界史でも詳しく述べられているとおりです。ヒトは石板、木片に続き紙を発明し、出版革命が起きます。情報は質量として軽くなり、持ち運ぶことが容易になりました。さらにのち、電話がつながりテレビが映り、インターネットが起きてきます。ついに情報は質量を伴わなくなりました。

 

 非常に雑に、人間がどのように情報を得てきたのか、そのメディア(情報を媒介するもの、媒体)の変遷を追ってみました。

 ここで、私はつっこみたい。「なんで文字メディアばっかなん!」と。

 

 今でも、「公式文書」という言葉があるように、公式に(まじめに)取り扱われるのは文字メディアばかりです。これと比較して、ラジオや電話、音楽などの音声メディアはエンターテイメントの領域でしか使われていません。その要因は音声メディアの特性にあるでしょう。音声メディアを正確に再現することは難しいものです。楽譜や今読まれている文章なども、使う楽器や声に出して読む人が変わればまったく違うものになってしまいます。また動画と同じように、音声メディアは話し手が、読み手の「時間」を制限します。文字メディアは読むスピードを変えることも、ちょっと前に戻ることも、あるいは複写も比較的かんたんです。ところが音声メディアは、「パッと見て理解する」ということができません。音楽は図ではないのです。

 

 それでも、私は「声」というメディアにもっと注目してみたい。

 

 こう思う背景には、私が地方出身だということも絡んでいるかもしれません。私には標準語とは違う、方言があります。さらに私の方言、もっと精確には私の「生活ことば」は、自分で自覚している限りでは4県の方言のフュージョンでできています。つまり、例えば「名古屋弁」として紹介される方言すべてを使うことはない、ということです。部分的に津軽弁をしゃべったり、讃岐弁をしゃべったりすることもありうる。おそらく方言ユーザーのみなさんの多くは、これに該当する方がほとんどだと思います。

 この「生活ことば」のおかげで、テレビでアナウンサーのみなさんが話す「正しい日本語(話し言葉)」と、新聞や本で読む「正しい日本語(書き言葉)」と、自分の話すことばの違いに敏感になりました。「俺は方言なんてしゃべんないぜ!」と思われている関東の標準語ユーザーのみなさま、その「なんてしゃべんないぜ!」があなたの話しことばですよ。

 つまり、誰だって自分のオリジナルの「生活ことば」を持っているわけです。さらにそれは、自問自答するとき、親しい人と話すとき、目上/目下の人と話すとき、初めての人と話すとき、4,5人を相手に話すとき、10人を相手に話すとき、100人を相手に話すときで、それぞれ違ったことばになるはずです。子どものころ、私が母親に怒られているところに電話がかかってきて、受話器を握ると途端に声色が変わる母を見て爆笑していたことがありました。このおもしろさよ!

 

 自分の個性がわからないと嘆く若僧は、声を出してこの文章を読んでみなさい。その声があなたの個性だ!(笑)

 

 最近は音声メディアもやっと脚光を浴びるようになりました。音声で広告を届けるSpotifyに、資金繰りに困らないほど出資者が殺到したり、スマートスピーカー(ダサいなこの名前)なんてものも、大真面目に日経新聞にも取り上げられ売れていたりします。

 

 声、大事にしていきましょう。エーザイ。ただそれだけの愛のシャウトでした。

1年の振り返り。「文体」が増えた。

 元々は大学のキャリア体験実習で、ベトナムホーチミンに滞在する間、日記としてつけるようにと言われて作ったこのブログも、そろそろ3年目に突入しようとしています。記事の数で言えば、実習のあった2016年の3分の1程度になりましたが、それでも案外続くものだなあ…と、ひとり哀愁漂わせてみたり。今年も10日をきり、私のはったっちー♪も、きゃりぱみゅの名曲を一度も歌うことなく終わりに近づいています。

 去年は、「今年一年で得たもの、「責任」。今年一年で失ったもの、「期待」。」とまるっと一年をまとめました。今年はどうまとめようか。

 

 個々の出来事はともかくとして、大きく捉えれば、今年は「文体が増えた」一年だと思っています。ここで言う文体とは、表現形式の種類のこと。例えば、文章では伝わらないことも、写真なら伝わる、とか、そういったことです。こうした、○○では伝わらないことを、○○で伝えたら、伝わった嬉しい!という体験が非常に多かった、豊作だった年でした。

 

 何があったか。いくつか今年起こった出来事を描いてみます。

 まず、今年の4月〜7月、大学の春学期中に、自分が所属している荒川ゼミ(荒川 裕子先生)の他に、遠藤ゼミ(遠藤 野ゆり先生)にもぐりました。人の説明というのはどうも苦手なので引用しますが、「専攻は現象学的教育学、教育実践学、児童福祉学で、子どもたちが学校や社会や家庭の中で抱える生きづらさを、どう経験しているのかを現象学に基づき解明する(法政大学教員紹介ページより)」先生です。私の印象としては、個人が社会で生きていく上で感じる「生きづらさ」ということばに思い入れを持っていらっしゃるのかなと思います。

 遠藤ゼミのゼミ生の多くは、自分が研究対象の当事者となって研究を行ういわゆる「当事者研究」を行います。例えば、中学校時代に登校しなかった人が、なぜ自分が登校しなかったのか、登校したくなかったのかを掘り下げて考え研究する、というような。そのためか、ゼミの議論は本当に興味深く、(誤解してほしくはないのですが)知的好奇心が揺さぶられました。迂闊なことやテキトーなことは人として言えない、だって当事者が目の前にいるんだもの、という適度な緊張感の元行われる議論。毎週レポートという形で自分の考えをアウトプットするよう求められ、なかなかハードな時間でしたが、充実した時間を過ごすことができました。改めて感謝。

 ここで、遠藤先生のことばを借りますが「生きづらさ」を抱える人とどのように接すればいいか、言い換えればどんな文法で会話すべきか、を失敗もしつつ学べたと思います。「そんなところで悩むんだ!」という第一印象から、なぜそこで目の前の人は悩んだのか、そしてそれに自分も共感できたときに、なるほどこの人にとっては「そんなところ」ではなかったのだな、と理解できる。何度もこういう経験がありました。

 この経験は、自分自身に対しても起こりました。私も小学生のころいじめられていた経験があり、それをずるずる引きづったまま大人になりました。遠藤ゼミの「これまでの人生で一番辛かったことと、それを乗り越えた経緯を述べなさい」というレポートで、自分のいじめ経験、そしてどのようにそれを「気にしなくなった(×忘れた)」のかを順を追って文章にアウトプットしてみました。それを書き終えた瞬間に、「あれ、これまで自分はこの出来事を、自分の人生を大きく変えてしまった出来事だなんて思っていたけれど、全然そんなことないじゃん」と思うことができました。それをゼミに持っていき、一緒に議論した友人とも、「誤解してほしくないんだけど、今のお前(私)を見てると、こんなの全然たいしたことないように見えるよ」と言ってくれました。

 

 この現象に、今年9月下旬くらいに自分で名前をつけました。「記憶のアップデート」。横文字にした方が扱いやすいなかあと思ってつけてみました。

 

 自分の記憶は、時が経つにつれてその人自身にとっての明確で不動でソリッド(固形)な「過去」になっていきます。でも、それをもう一度曖昧で動的でリキッド(液体)な「記憶」に戻す作業。アップデートというのは、ソフトウェア・アップデート、アプリのアップデートのことですね。アプリの大枠は変えずに(Twitterというアプリの大枠は変えずに)、構造を「今」にアップデートしていく。これが「記憶のアップデート」です。

 

 名前をつけてから数日経って、10月にWIRED CONFERENDE 2017に参加したときに、國分功一郎さんと熊谷晋一郎さんの対談で(恐れながら)似たような話が出て驚きました。詳しくは過去記事で。

 

 極めつけは11月上旬の、ご存じ市ヶ谷のウィスキーバー・タングラムの恒例行事、人を笑わせる下ネタを発表し合う「下ネタナイト」の学生版でした。荒川ゼミの友人男女4人を連れてこの学生版を開いたのですが、私のネタをマスターが批判してくださり、結果とってもおもしろい「持ちネタ」ができました。

 当時私は女性関係でまたひとつ、正直あんまり触れたくなかったソリッドな「過去」を持っていたのですが、それを惜しみなくマスターに明け渡すことで、マスターと常連の皆様の手により、誰もが笑える「記憶」のストーリーになりました。

 ストーリーが完成したときに、マスターがおっしゃったこと。「楽しいでしょ? 下ネタナイトって、自分のそういう『バカ』な話を、笑い話にして昇華するっていう作用があると思うんだよね。治療だよ治療」

 もちろんすべての「絶対触れたくない嫌な話」を笑い話にして昇華する必要はないと思いますが、ひとつの解決策として「笑い話にする」という選択肢がある。この文体に気づけたことは、大きな実体験でした。

 

 

 この他にも、今年の夏は、またベトナムに行きました。今度は正真正銘、ひとり旅。言葉に頼りつつ、言葉に頼りすぎないコミュニケーションを身一つでやってきました。どんな風にひとの懐に潜んでいくのか、どんな風に面倒い人を手の内に収めるのか。失敗してもう二度と会えなくなってしまった友人もいますが…、これも大きな体験です。

 

 文体が増えると、端的に言って、楽です。自分ひとりで抱え込む必要がなくなるから。そして、何を自分ひとりで抱え込むべきか、その優先順位も自然とつけられるようになっていく。抱え込むべきときなのか、アップデートすべきときなのかの区別も。直接お礼を伝えたりするのが照れくさくてできなくても、贈り物をする、とか。「きみのことを大事に思ってるよ」なんてキザな台詞を言わなくてもいい。超、楽。

 

 来年の予想もしておきます。12月に入って、ある事件があって(発端は僕の不注意というか、礼儀知らずでした)家族と親戚との距離がグッと近くなりました。距離を近づけておくことが本当に大事なんだと、身を以て知りました。文法が増えると楽だと分かった私は、たぶんこの先、「気配り」について真剣に考えるようになるのではないかなーと考えております。建前ではなく、取り急ぎのものでもなく、楽観的なものでもなく、心からの気配りってどういうものなのか。はやく体験してみたいものだ!