あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

「わたしの」ベトナム、になった。

 ベトナムから帰国し、アルバイト生活を経て2泊3日の瀬戸内国際芸術祭弾丸旅行を終えて、やっと落ち着いて文章を書く時間が取れるようになった(大学の講義が始まった)ので、つらつらとベトナムでのこと等々をつまんでみます。

 

 まずざっくりと、前回1年前の学部のプログラムとして訪問した回と、今回の個人旅行として訪問した回とでは、自分の意識が大きく違ったように思います。まず前回は、私がベトナムに対して思っている理想像を全面的に押しつけて、そのフィルターを以てベトナムを見ていました。その典型が自分が前回の集大成として出したプチ論文のテーマ「カフェの街・ホーチミン」であり、「Cà phê sữa ₫à(ミルク入りアイスコーヒー)」でした。今回4,5日目あたりから、「あれ、そんなにベトナムコーヒー大好き!ってわけじゃないかも…」と思い始めて、自分の思い込みに気づいたのでした。

 前回は最終的に論文形式でレポートを書かなければならない、自分の体験をテーマに沿うように近づけ、それを余すところなく文章として客観的にまとめなければならない、というプレッシャーがありました。もちろん大学のカネで訪問しているのであたりまえなのですが。とはいえ、それを必要以上に意識しすぎていたところがあったように思います。ベトナムのコーヒーまわりのことについてもっと知りたいと思い、前回私が選んだ手段は観察でした。カフェにいる人に(言語が分からなくても分からないなりに)仲良くしたり、友だちになったりということは全くしませんでした。

 しかし今回は1年経って自分の意識も変わり、先生の助言もいただき、おかげでプレッシャーからも解き放たれ、極めて主観的にコミュニティに入り込めたように思います。友だちになれた。今でもFacebookのMessengerに定期的に「Bạn ₫ang là gì(What are you doing?)」と送ってくれる友人たちができました。

 

 この影響で、今回の体験は、どうしても「日記」という形でしか言葉にすることができないものばかりになりました。朝5時の16度の真っ暗な道に半袖短パンでバスから降ろされ、道すがらのカフェでnóng(ホット)と言えずに頼んだCà phê sữa ₫à(アイス)をちびちび飲みながら明けるまで待ったり、かなり深刻に抱えている個人的問題を打ち明けてもらったり、朝っぱらからバナナ酒を飲まされて1日潰れたりなどなど。

 

 

 ただ、そうした主観的な体験を享受することを第一に持ってきたのは、得策だったように思います。そのおかげで、自分の価値観—何を買い何を買わないか、どこに住みどこで何をして働くか、何に注目し何を無視するか—も変わった、というより、ある程度定まりました。もちろん変化できる可塑性を孕んで。

 ちょうどベトナムに持っていって暇なとき読んでいた本(『謎床: 思考が発酵する編集術』『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』)も妙にシンクロし、自分なりに紐付けができました。

 

 まだ、自分の中でベトナムでの生活の余韻が残っているところがあります。これが刻印として自分の中に永遠に残っていくのか、はたまた一過性のものとして流れ忘れ去ってしまうのか、自分でも分かりません。

心の友、というよりその優しさにつけ込んでいる【ベトナム滞在12日目】

2017 08 27

 4時頃にぼーっと起床。なんで電気ついてんねやろ…と昨晩のことを思い出すと、バナナ酒。くそう、アレのせいでシャワーも浴びんで寝てしまったんやなあ…。うまかったけど、ありゃだいぶ悪酔いしかねん酒やな。とりあえずシャワーを浴びて、もう一寝入りしました。6時にまた起きました。朝早くのバンメトートを見とくのもいいなあと思いましたが、この顔でトゥン(Tun)に会うのはキツいということで、また一寝入り。

 最終的に起きたのは8時頃。ミニハウス(ゲストハウス)のお母さんがドンドンと扉を叩く音で起きました。朝ご飯を持ってきてくれたようです。扉を開けると女の子2人と一緒に朝ご飯が。今日の朝ご飯はバインミーとCầ phê sữa ₫à。部屋の中で食べると蟻がたかろうなと思い、子どもたちと一緒に表のロビーへ。子どもたちと戯れながら、ときに眠りこけながら、ぼーっとしながら1時間半くらいバインミーをもしゃもしゃ。気がつくと10時半。そろそろ行くか。

 2日前に、ベトナムの新興カフェAZZAN COFFEE(アーザンコーヒー。ベトナム語はアンジャン)で友達になったスタッフ・トゥン。私と同じくらいの年の男の子です。トゥンがお茶を注ぎに来てくれたとき、なぜかいろいろ話すことになって、これまたなぜかトゥンの家族のコーヒー農園に連れて行ってもらえることになりました。こんなにうまく物事って進むもんですか?

 会う約束の時間は午後2時。まだまだ時間があるし、せっかくなのでいつもタインさんやタクシーに連れてってもらっている道を、歩いてみることにしました。ミニハウスからAZZAN COFFEEのある中心街までは4, 5km。時速4kmで歩くとして、1時間ちょい。まあよろしかろう。

 

 いつもビュンビュンバイクで飛ばしていた道。歩くだけでいろいろと発見があるものです。昨日教えてもらったベトナム語「cơm(コーム。米→ご飯)」「ch(チャッ。市場、日本のスーパーの機能を持つ)」を見つけたり、ガラス瓶だけを売っているお店、ベトナムの家庭やレストラン等でよく見る後光がネオンサインの仏壇のお店を見つけたり、私の住んでいる通り(Dương Y Wang。イーワング通り)は通りだけが浮き出ており通りの周りはヘコんでいて、森や畑に覆われていることに初めて気づいたり。住めるなあ。

 途中スコールにやられ足止めを喰らいましたが、1時間ちょいで中心街に着きました。

 

 自分で歩いたり自転車で走ったりバイクで走ったり(バイクは持ってないけど)しないと、それぞれの場所の位置関係頭に入りづらいんですよね。地図だけ見ていても、道は分かってもスケール感がまったく分からない。なぜそのスケールを体感しないと落ち着かないのかは自分でも分かりませんが、なんとなく自分の足で、少なくとも自分の住んでいる地域は歩き倒したくなるんですよね。日本でいろいろな地域を自転車で駆け巡る理由も半分はそれです。もう半分は息抜き。

 

 バイタクの兄さんに「うぉーい!」と言われて無視しながらも、中心街に到着。時間は12:30。だいぶかかったな…、飯食う時間あるかな。

 Ph(フォー)を食べたくて食べたくて、歩き探した挙げ句、建物の2階に広がる食堂で発見。席につき、おばちゃんに「Chô tôi phở bò(牛肉のフォーください)」と言うと、両手を平行に左右に振って「ないない」のポーズ。売り切れ…なんという。おばちゃんが、なにやらその他の料理の名前っぽい言葉を並べてきたので、最後に聞こえた「フォー・ノン」を注文。ノン(nóng)ならホットって意味だから、熱いフォー、素麺ってことか?と、アルミのコップにお茶を注ぎながら考える。出されたのは、まさかの汁なしフォーでした。うそ…喉も渇いてんのにな…。汁なしフォーは、どんどん麺が乾燥して食べづらくなってしまうから、あまり好きではないのです。しかたなく、もしゃもしゃ。でも、一緒に入っていた鶏肉がものすごくおいしかった。ので、結果オーライ。

 

 目覚めの一杯にコーヒーを飲みたかったので、待ち合わせ場所のAZZAN COFFEEに早めに行くことに。お店に着くなり、店員さんとXin chào(こんにちは)と挨拶。Xin chàoと言うと、奥の方にいたトゥンが笑顔でひょこっと顔を出しました。Cà phê nóng(カーフェーノン。ホットコーヒー)を頼みました。久しぶりに、コンデンスミルクの入っていないおいしいコーヒーをいただきました。独特の苦味で目も冴えます。しばらくすると、トゥンが席の向かいに座りました。仕事中だろ…。しかもあんた制服やし。他のカフェでもそうですが、やはりベトナムでは「店員―客」の垣根が必要以上になく、例えば店員さんが客席でお金を数えていたり、暇なときはお客さんがいようと客席に座っておしゃべりしたりしています。それを特に咎める様子もないので、そういうものなのあろうと思います。確かに合理的。「スタッフは店の顔」とはいいますが、日本のようにお客さんがひとりもいないのに笑顔でカウンターの前に突っ立っているのも、不思議に思えてきます。

 トゥンはコーヒーについて教えてくれました。トゥンの住むここバンメトートは、主にロブスタ種の生産が盛ん。バンメトートは標高500mの地域にあり、500~800mが育てるのに最適と言われているロブスタ種が豊作だそうです。ちなみにアラビカ種は1100m以上の高山地域が最適で、ダラットがそれにあたります。ロブスタ種は育てるのも比較的簡単、そのためベトナムの多くの農家さんはロブスタ種を育てています。と、まあここまでは知識の再確認。

 ロブスタ種とアラビカ種について話していると、おもむろに彼はカウンターに向かい、仲間に何か話にいきました。すると、フィン(穴の開いたフィルター)の上にロブスタの粉を乗せてもってきてくれました。嗅いでみろというわけです。おいおい、そんなことできんのかよ…。ありがたやありがたや。さらに、アラビカ種であるCatimor(カチモール)も持ってきて、嗅ぎ比べをさせてくれました。なんとオープンなこころをお持ちなんだ!

 嗅ぎ比べてみると、まったく違います。ロブスタ種は、日本のインスタントコーヒーにも含まれているおなじみのコーヒーの匂いで、「あの」匂いがします。Catimorはフルーツの澄んだ匂いがします。「like a fruit?」と言うと、「That’s right!」とニッコニコの笑顔で返してくれる。うわあ、ごめんトゥン、癒やされる。

 

 仕事に戻らなきゃ、とトゥン退席。しばらくすると灰色のパーカー姿で登場。ANZZAN COFFEEの水色の制服のイメージとはまたがらりと変わってより輝いてる。「Now we go!」行きましょう。トゥンに借りたヘルメットを手に、トゥンのバイクにまたがり出発です。

 バイクで合計1時間半ほど走りました。どうやらトゥンは私に中心街以外のバンメトートを見せてくれていたようで、帰ってミニハウスで地図を見てみたら、行きはかなり遠回りをしていたようです。嬉しい、嬉しいけどトゥン、遠いぜよ。お尻と両足が悲鳴を上げとるぞよ…。距離にして30km弱。おいおい突然大宮行くようなもんじゃねえかい。

 途中、腹ごしらえにBanh Xeo(バインセオ。ライスペーパーでやや固いお好み焼きのようなものを挟んで食べる)を食べました。そこで知りましたが、トゥンはなんと23歳。うそん、年上やん。ベトナムの人は若く見える方が多い。トゥンも、独特の優しい笑顔のせいで私と同い年かむしろ年下だと思っていました。大学でビジネス(経営?)を専攻し、今は大学を卒業してAZZAN COFFEEで、兼業農家バリスタになるべくアルバイトをしているといいます。平日は1日AZZANで修行、土日は家族の農園を手伝っているとのこと。

 

 そして、だんだんと人が少なくなってきて、いよいよ農園地帯へ。コーヒーノキが大量に見えてきました。どこまで行ってもコーヒーノキ。ところどころコーヒーチェリーを摘んでいる人もみられます。コンクリートを逸れて、小路へ。直前に降ったスコールのおかげで、赤土がぐちょぐちょ。何度か降りて、歩いてトゥンの農園に向かいました。

 突然現れた小屋、ここがトゥンの農園。これが農園か…、と立ちすくむ私。トゥンは中に入ろうかと言って案内してくれました。

 トゥンの農園では、最近はコーヒー豆よりペッパー(胡椒)を多く育てているそう。見ると、コーヒーノキとペッパーが交互になるように植えられています。どうしてこんな風に植えているの?と聞くと、経験からこれが一番効率がいいとのこと。初めて触るペッパーの実とコーヒーチェリー。コーヒーチェリーはこの時期、多くがまだ青く、収穫できるものはありませんでした。

 私が観察を始めると、トゥンはおもむろにノートを取り出しました。そこにはびっしりと農園についての情報が。まさかこれをこの2日間で用意してくれたの…? 本当に優しい。私の質問でこれ全部聞き出せるのかプレッシャー。

 

 この農園は、1995年にトゥンのお父さんが作ったもの。開墾を終えて、苗を植え、3年かけて初めての収穫に辿り着いたそう。その後4年目以降コーヒー豆を収穫することができるようになりました。農園では1500本のコーヒーノキを育てているため、毎年およそ計3tのコーヒー豆を収穫しているそうです。また、胡椒についても同様に収穫可能になるまで3年かかり、現在は200本の胡椒の木から毎年1t収穫しているそうです。

 価格について。つい最近までコーヒー豆の価格は下落が続いており、1kg30,000ドンで取引されていましたが、現在は50,000ドンまで回復しました。それに対し、胡椒は1年前まで1kg200,000ドンで取引されていました。コーヒー豆と比較して大きな収入が得られると期待しましたが、同じように考えた他の農家さんも胡椒を育て始めたため、現在はなんと70,000ドンまで下落しました。今後もこの価格は上がりそうにないということです。

 収穫物は自分で手売りすることはせず、すべて業者に売ります。そのため、価格について文句が付けられないとのこと。業者の取引価格の是非を疑いようがないそうです。

 

 農園規模としてはずいぶん小さく、この地域の平均農園規模が10ヘクタールであるのに対し、トゥンの農園は1.8ヘクタールです。そのため農園はトゥンの家族、主に父母とトゥン、トゥンの弟で運営されています。10ヘクタール規模の農園では、労働者を雇うことが一般的です。朝7時から夕方5時まで働いてもらい、給料は平均1日150,000ドン(750円)。これにまかないがつきます。

※バンメトートの位置する中部高原地域の一人当たり月当たり平均収入は、2010年現在1,088,000ドン(5000円強)。東京大学社会科学研究所の発行資料による。

 

 トゥンは自身の周囲の人々の話もしてくれました。トゥン自身はバリスタ兼農家としてやっていきたいそうですが、弟は医者になりたいということ。彼はお金をたくさん稼ぐだろうと言っていました。そういえば、私の滞在しているゲストハウスの子どもが一時病院に通っていたのですが、そのときにお父さんは「医者はお金をたっぷり持ってる。ベトナムの医療は高い」と漏らしていました。このあたりの認識は日本も一緒ですね。

 トゥンには農家の友人が数人いますが、高校や大学時代の友人はほとんどサイゴンホーチミン市)で勉強したり仕事をしたりしているそうです。長期休みで彼らが帰ってきたときに一緒に会うことがひとつの楽しみだと。

 また、家族の家から1kmほどのところに祖母の家があり、ほとんど毎日行けるときは行っているとのこと。それは当然帰省という感覚ではなく、日常のことだと捉えています。また、トゥンの地域の人々はお互いに毎日会っており、知らない人はいないとのこと。

 

 ぐちょぐちょの赤土を通って、農園を後にしました。トゥンは、この農園が好きだと言っていました。「Can you hear?(聞こえる?)」と鳥の声に耳を傾けて、都会にはないこの静けさが好きなんだ、と。その顔はどこか誇らしげに見えました。

 バイクは祖母の家へ。木製の、日本にあったら一発地震で崩れてしまいそうな家屋。その家屋の奥に、後で建てたと思われるベトナム式のきれいな家屋があります。家に入る前に、庭先のランブータンをいただきました。木から獲ったばかりのランブータンには、蟻が大量にうようよしています。でもそれが、おいしい証。と、ごまかせるくらいには慣れました。

 

 突然の外国人の来客にもかかわらず、嫌な顔も驚きもせず、ニッコニコに笑顔で迎えてくれました。うそん…。成り行きで夜ごはんをいただくことになってしまいました。

 そのとき来ていたトゥンのおじさんおばさん夫婦がごはんを作ってくれている間に、私たちはまたバイクにまたがり、トゥンのお気に入りの場所を回ることになりました。ベトナムの街によく見られる「square」という大きな広場。トゥンの通った高校。日本のそれとよく似た広大な田んぼ。

 1時間ほどのドライブを終えて帰ると、ほっくほくのごはんが炊けていました。おじさんおばさん夫婦、おばあさん、夫婦の2人の子ども、トゥンと私で食卓を囲みます。メニューはごはん、豚肉、空芯菜(っぽい緑黄色野菜)、かぼちゃスープ、大豆のスープ、大豆醤油。お醤油と豚肉以外はすべて畑で獲れたもの。なるほど、おいしい。ごはん、5杯もおかわりしてしまいました。

 

 名残惜しさもほどほどに、トゥンは市街地に用事があるため食い逃げする形で家を後に。あっという間に市街地につき、AZZAN COFFEE前でお別れ。その後なかなかタクシーが捕まらず、バイタクのおじいさんに捕まり、30,000ドンで交渉が成立、ところがおじいさん、途中で住所が分からなくなり、にっちもさっちも行かなくなり。いろんな人に道を聞きまくって、いろんな人に同情され、ホントはどうでもいいのだけれどプンスカ怒っているフリをしてみたりなどなど一悶着ありましたが、総じてやっぱり優しい人が多い街だなと思います。自己を犠牲にしない程度に利他的な人。私も見習うところはたくさんあるなあと思いつつ、できっかなあとお布団に入ったのでした。

 

 トゥン、ありがとう。

地獄の釜の蓋の開く音がする【ベトナム滞在5日目】

 ブログを書く時間がなく、長く間が空きました。だいたい1日分の日記を書くのに2時間はかかっています。自分がやったこと、考えたこと感じたことを、自分以外の人にも分かる文章できちんとまとめておきたいという思いで、ブログを書いています。できれば1,2日以内にその日の出来事を書いておかないと、いろいろ忘れてしまうのは前回経験済みです。ベトナム滞在中は、できるだけ(自分のために)ブログを続けていきたいと思います。

 

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2017 08 20

 

 前の日に目をつけておいた、CHOM HOM BO(チョムホンボ)というどこかで聞き覚えのあるようなないような名前のお店で、朝ごはんを。ベトナムのおいしい牛肉が食べられるチェーンのようです。牛肉入りカレースープとパンとココナッツジュースをいただきました。ココナッツジュースは、毎度毎度「頼んでみるか」と頼み、飲んでみて「そうだこの水っぽいやつだ」とガックリする定番のジュースです。今回も例に漏れず頼んでしまいました。牛肉は、確かに牛肉専門店というだけあっておいしい。ほどよい歯ごたえでコリコリしています。けれど、それなりの価格(10万ドン、500円は軽く超えたはず)で量こんだけかよ…と思ってしまう私。ベトナム4日目にして、金銭感覚が狂い始めているようです。

 

 だんだんやることはなくなっていくわけで(早い…!)、換金兼散歩しようと1区へ。ここでローカルバスに挑戦しました。去年辺りに出たホーチミン市内のバス路線を網羅するアプリのおかげで、どのバスに乗っていいかすぐ分かるようになっていました。便利になっていくベトナムを見ながら、はて私の国はどうだろう、観光客や地元の人にとって便利な街なのだろうか?と振り返ってみたり。

 バスに乗ると、後ろに座っていた集金係の若いお兄さんが、集金にやってきました。6000ドンを渡すと「どこに行くんだ」という顔をして尋ねてきます。「Duong Don Koi(ドンコイ通り)」と言うと、何やら話をしてきます。そうかバスアプリの情報に間違いがあって、このバスはドンコイ通りには行かないんだな、と思い、ありあわせのベトナム語で「xuon đay o dau?(どこ降りる?→バスはどこに止まる?)」と聞いてみると、ベンタイン市場に止まる、と。ベンタイン市場はドンコイ通りの近くなので、じゃあそこで降りるねと言うと元の席に戻っていきました。

 それでもなんとなく疑問が残ります。はて、どういう意味なんだろう…と、景色の過ぎゆく窓の外を眺めながら考えていると、いつの間にかベンタイン市場に着きました。お兄さんに後ろから「あー」と呼ばれたので「cho toi xuon day!(降ります!)」と叫びました。バスはバス停に入っていきました。お兄さんにこっちだこっちだと手招きされながら出口あたりへ行くと、お兄さんは私の顔を見て、身振り手振りとともにベトナム語で話しかけてきます。お兄さんの言葉の最後に「hai(2)」と数字が聞こえたので、もう2000ドン払えって言ってるのかなあと思い2000ドンを出すと違うみたい。分からんなあ、とりあえずここまで来ればドンコイ通りまで歩いて行けるし、歩くかと思いながらバスを降りました。ところが、バスを降りてもお兄さんは窓越しに、どこかを指さしながら、最後にhaiのつくベトナム語を連呼してきます。

 お兄さんの指さす方を見ると、152番というバスが。あ、そういうことか。お兄さんは丁寧に、乗換のバスを教えてくれていたのでした。ありがとねえ。でも結局、歩いて換金所に行くことにしました。お兄さん、ありがとう。

 

 

 換金所のレートは最初に換金したときより少しだけ上がっていました(1ドン207円)。今回は2万円換金、前回は4万円換金。くそう、ちょっと損した。

 

 さて、換金所から出て少し歩き、「SCHOOL OF COFFEE」という名前のカフェを見つけました。お店の中はとてもきれいでした。深い木目調のアンティークな家具、スタッフさんの立ち姿もなんだかホテルコンセルジュのようです。壁にかかった額縁には、日本のバリスタ協会の資格をお持ちのバリスタさんがいらっしゃるとのこと。なるほど、店名にも納得。

 とても上品なスタッフさんばかりで、本当にホテルのようでした。バリスタさんをはじめ、すべてのスタッフが本当に「紳士」「淑女」という言葉が似合う皆様。私が頼んだのは、レーズンパイとダラット(Da Lat。ベトナムの地名、観光スポットとして知られています)ブレンドのアイスコーヒーで11万ドン(550円)。うむ、なかなかに贅沢。ダラットブレンドのコーヒーは、日本ですら飲んだことのないほどおいしい口当たり。ワイングラスで提供され、優しい風味で飲みやすい。こりゃまた来るなと満面の笑みで長居。動画を見たりなんたりしてくつろぎました。一緒にサービスでいただいているお水を私が少し飲むと、こまめに注ぎ足しに来てくださる。帰りがけ、トイレにどたどた駆け込むほど、たっぷりいただきました。

 

 さて。フーンライに次ぐ癒やしのお店を出て、お散歩へ。サイゴン川を超えて少し遠出してみました。そこに広がるのは、外資系の大きなオフィスタワー。おそらく中心街以外にも、こんな感じのタワーがたくさん乱立しているんだろうなあ…と、不自然に大きなタワーを横目に見ながらただただ歩く。途中カフェばっかりの通りを過ぎて、暑さで力尽きました。シャッターの閉まった店先に腰掛けて休憩…。通りかかった果物売りのおばさんに、「ですよね~」みたいな顔で同情されました。

 休んでいると、緑のヘルメットとジャケットを着たバイクが。この服装はGrab Bikeのトレードマークです。先日出会ったアインさんという女性が、空港に行くのに使っていました。主に東南アジアに広まっているタクシー配車アプリだそうです。ホーチミン市内ではバス停の広告などに、このGrabとご存じUberの広告が下がっています。いわゆるバイタクです。先日バイタクには乗らない乗らないと言って、大幅に値切りに成功したことをいいことに裏切った私。使ってみることにしました。ベトナムで暮らしている彼女も使うくらいだから安心のサービスなのだろうと、アプリを使わず直接交渉してみることに。行き先は特に決めていなかったのですが、久々にうまい飯が食いたいと思い(昨日フーンライで食ったばっかだろ!)、前回も立ち寄った戦争証跡博物館前のM2Cカフェに行くことにしました。2kmほど走って2万8千ドン(140円)。値段としては、タクシーとさほど変わりませんでした。バイタク好きだからいいけど。

 

 楽しいドライブを終えて、戦争証跡博物館の前に着きました。博物館の門を眺めていたら、前回訪れた記憶が甦り、なんとなく入ろうかと思い入ることにしました。入場料は1万5千ドン(70円)、寄りたい気持ちがあるのなら、寄らない理由はありません。

 博物館の前の広場には、戦争当時に使われたものと同じモデルの戦闘機が大量に展示されています。すべての戦闘機に「U.S. ARMY」という文字が躍っています。否応なしに、この戦闘機がそこら中の道を踏み荒らし、辺りを炎の海に染めていく風景を思い浮かべます。

 今回はそのまま博物館の建物に入るのではなく、戦闘機を見ていたらたまたま見つけた、博物館の脇に展示されていたコーナーから眺めることにしました。

 この展示は、戦時中に捕らえられたベトナム人の囚人たちが、獄中でどのような扱いを受けていたのかを説明するものでした。実際に処刑の際に使われた大きなギロチンが置いてあったり、金網でできた檻(高さが7,80cm、横が2m。金網に無数のトゲがついており、中で囚人が立てないようになっています)が置いてあったり、淵の尖った穴が無数にある金属板(囚人にこの上をでんぐり返しさせる?みたい)が置いてあったり。さらにそれぞれのアイテムの横には、実際にそれらが使われている写真がいくつも飾ってありました。

中央に大きな檻がありました。囚人部屋です。金属製の厚い扉に、のぞき窓がついています。先に歩いていた人が、のぞき窓の蓋を開いてそーっと中を覗くと、「おわおっ!」と大きな声で仰け反りました。周囲の人がなになに?と振り返ります。お前も覗いてみろよ、という感じで手招きしてきます。なになに、虎でもいるの? 腰をひいて仰け反りながらそーっと覗いてみると、中には閉じ込められた人が! 「うわ!」と仰け反る私。よく見ると、本当に精巧に作られた囚人の人形でした。思わず笑顔がこぼれる私。先に覗いた面々はニコニコ。笑えているこの空間は、本当に平和そのものでした。

 

 

 博物館の中に入ると、入り口付近で枯葉剤の被害を受けた子どもたちが演奏会をやっていました。お客さんがまばらにいて、各々募金箱に募金をしていました。前回も同じ演奏会を見ました。彼らを見る度に、本当に、実際に、枯葉剤というものがまかれたという事実があるのだなと、はっきりと認識し、深い思考を促されます。

 

 開けたロビーに、当時世界中のどれだけの人がベトナム戦争を止めようとしていたかを伝える展示があります。アメリカ、フランス、そして日本がそれぞれ、デモを行ったりポスターを作ったりしたようです。ところが今日は、入り口向かって左側がいつもと違います。特別展示が行われていました。タイトルを失念してしまいましたが、ベトナム戦争を止めようと奮闘した日本人のようす、というような内容の展示でした。

 ちょうどこの展示が始まる時期だったようで、今日はその特別展示室で館長さんも!登場して展示についての座談会を開催していました。私が参加したのはほぼイベントの終わりかけのところでしたが、お話を伺うことにしました。

 前の席に座っているのは館長さんとベトナム人男性と女性。男女はそれぞれお年を召していて、戦争体験者のようです。それを聞くのは多くが日本人。特に団体でいくつか来ているようで、「この展示ができて本当によかった」と涙ぐみ日本人男性も見られました。

 日本側としての展示の目的は、戦時中、日本でも起こった反戦運動で亡くなった山崎さんという当時18歳の少年の記録を残すため、のようです。山崎という男は反戦のために自らの命を犠牲に戦った、という記録のようです。反戦運動中に日本で使われた旗、新聞、手紙、写真などが多数展示してあり、日本でもベトナム戦争反戦運動があったことを、正直知りませんでした。新宿駅が占拠されたこともあるんですね。今ではとても考えられない。

 

 博物館の内容は、あまり言葉にできません。爆破された人体や、軍隊に囲まれ今まさに殺されようとしている人が写っている写真など、直接的な写真が数多く展示されています。何か感想を言おうとすると、的外れになるような気がします。「なぜ戦争が起こったか」「どのように戦争が行われたか」「戦争の影響はどれほど残ったか」を知らない、自分の無知の部分をつつかれる気がします。

 それでもひとつだけ、博物館で考えたことを書いてみます。私にできることは何だろうか、ということです。私には、日本での戦争に巻き込まれた祖父母はいますが、ベトナムでの戦争に巻き込まれた友人知人はいません。自分の祖父母をはじめ家族にしっかり向き合い大切にすることも、私にできることでしょう。それでは、私にベトナム戦争について教えてくれた展示、博物館、人には何ができるか。それは、忘れないということだけだと思います。できるだけ真実を追究し、忘れない、自分の中で風化させないでおくこと。もちろん私がベトナム戦争について学ぼうが学ばなかろうが、現在も存命の戦争の影響を受けた人々には何の損益もありません。それでも、それが私にとっては一番大切なことなのではないかなと思います。

 

 

 博物館の側面の出口から出ると、やっとお目当てのM2Cカフェがあります。Modern Meets CafeでM2C。前回ここで、M2Cなど複数のカフェ・チェーンのオーナーさんにインタビューをした思い出があります。店員さんは若い方、私と同じ年くらいの方が多く、それでいてSCHOOL OF CAFEレベルの優しい接客をしてくださいます。そして、料理がおいしくておいしくて。前回と同じ、えび入り麺をいただくことにしました。あまりお腹にはたまらないけれど、とてもおいしい。

 

 その帰り道、路上でもくもく煙を立てながら豚肉を焼いているおばさんがいました。ホーチミンでは、こうしたバインミー(フランスパン)屋さんやカフェ、ファストフード(ソーセージや串焼きなど)やごはん屋さんが路上で展開されているところをよく見ます。バインミー屋さんやカフェはともかく、こうした路上のごはん屋さんでは、何をどう頼めば良いのか全く予備知識がなく、少し足が遠のいていました。今夜のバスは長旅になる。さっきうめえうめえっつって飯食ったけど、お肉でバッチリ満腹にしておこう、と思い、初路上ごはん屋さんに挑戦。

 結局何をうじうじ考えていたのか、「これください」「いくらですか」で買うことができました。お肉ときゅうりとご飯を丼にして渡されました。2万ドン(100円)。買って良かった。

 

 

 満足満腹でホテルに戻り、ホテルの人にお別れをして、タクシーで高速バスの出るデタム通りへ。ここは外国人街。ずんずんずんずん低音の響きが聞こえ、路上のありえないくらいの人がいます。人混みが嫌いな私は彼らを横目にするするーっとバス乗り場へ。ホテルの人の名前を伝えるとチケットをもらえました。23:10初。現在22:10。うわ、1時間。でもあんまりうろうろしたくないと思い、コンビニで廉価版オレオとVinamilk(牛乳)とDasani(いろはす)を調達しておとなしくバスの待合室で待つことにしました。

 待合室の椅子で座って待っていると、隣の中国人女性2人が「バス、23:10に出るってことですよね?」と合図してきました。たぶんそうだと思います、なんて話をきっかけに、少し話をしました。2人は私と同じ年齢、大学生で、マーケティングを勉強しているそうです。話したといっても聞き出せたのはこれくらいなのですが。私の前の席に座っていた若い中国人夫婦が2人と中国語で話しはじめたので、まあいいかと、ひとりぼーっとしておりました。

 

 23:10のお客さんが呼ばれました。やってきたのはバンでした。このバンで高速バスの乗り場まで行くようです。まあ、まさかこれでダラット行かねえよな…と半信半疑でしたが。バンはホーチミン市街を抜け、太い道路に出ました。ほとんどまっすぐの、バス停以外に何もない道路の脇に突如全員降ろされ、一同「ここですか?」という顔でお互いを見る。まもなくバスが来て一同安堵。

 バスは、寝台バスでした。運転手に足を向ける形で仰向けに寝て乗車します。席は真っ平らではなく、若干体操座りのような体勢で寝ることになります。つまり、寝返りが打ちづらいのです。覚悟はしていたけれど、絶対眠れないな…と絶望に浸る私。

 案の定、全く眠れませんでした。たまに気絶したように記憶がない部分があるばかり。というのも、まず深夜バス独特の熱気と湿気。窓ガラスが結露するほどのあっつあつの室内です。汗こそかきませんが、寝苦しい。さらに「こうかは ばつぐんだ!」なのは、運転手のおっちゃんの電話。とっても声が大きいんです。ベトナム語は声調のある言語。私には怒っていなくても怒っているように聞こえるし、ネチネチ文句を言っているようにも聞こえます。大きな笑い声の響くあのバスの中で、私の横にはすやすやと眠る子とその父親。うそん…。

 道路も日本のようにまっすぐ整っているわけではありません。大きく揺れます。なのに、ビュンビュン飛ばします。ありえないくらい遠心力をかけながらキュイーンと曲がります。上下左右にガンガン揺れます。やはり角栄は偉大だ。

 

 窓の外の景色はなかなかホラー。宿舎のような集合住宅も、木々の生い茂る森も、だいぶ発展した街も、そこら中の土からゾンビ出てきてもおかしくないんじゃねといわんばかりの迫力。

 目を開けていても怖い。目を閉じていても運ちゃんのうるさい電話が聞こえる。地獄か…。

みなさまへ、いちおうのご連絡

生きてます。

ただいまベトナムはダクラックĐàk Làk省バンメトートにて、現地の野菜農園やカフェを見学しています。これからコーヒー農園も訪問する予定です。

滞在しているゲストハウスのみなさんがとても優しい方ばかりで、幸せに暮らしています。そのおかげで、ひとり部屋でパソコンに向かう時間がまったく取れず今に至ります。

きちんと記録を取っていきたい気持ちもあるのですが、今の時間をたっぷり体感することを最優先に考えたいと思っています。 

死んでません。

結局人を頼るんです【ベトナム滞在4日目】

 朝8時頃に起きて、外へ。フーンライ(Huong Lai、日本人オーナーの営むベトナム家庭料理レストラン)に行くことを思い立ち、さすがにランチだな…と本日のお昼ご飯をフーンライに決定。ホステルを出てヘム(ホーチミン各地に無数に見られる路地)を大通りに向けて歩いていると、いつものようにヘムで朝ご飯を食べているご家族に呼び止められました。「朝ご飯食べていきなよ」「いくら?」「2万5千ドン(125円)」「おっけい!」プラスチックの椅子に腰掛けました。

 

 ちょっと憧れだったんですよね、ここでご飯食べるの。路上や路地でパラソルと椅子と机と縦長の透明な棚(厨房代わり)を並べておそらくご家族でごはんを召し上がっている姿は、本当にどこでも見られます。「一緒にいただいてもいいですか?」と伝えればいいわけですが、例えベトナム語が上手だったとしてもそれは言わないし言えない…。いつか一緒に食べる時が来たらいいなーなんてぼんやり思っていました。だからこうして、向こうから声をかけてくれたことが嬉しくて嬉しくて。

 少し辛い、色つき米麺(かな)と鶏肉(かな)と野菜(だろうな)の麺料理をいただきました。いろいろ話しかけてもらいました。ベトナム語で。私の隣のテーブルに座っていた35歳くらいの男性は、大きな声で私を歓迎してくれました(ですよね?)。私が麺をすすっている間ずっと分からないベトナム語で何か話をしてくれていましたが、向かいに座っている女性が「彼、結婚してるんだよ」と言い、私が「わおー♪」と言うと顔を赤らめて黙ってしまいました。

 そうこうしていると、何やらカフェ店員のような風貌の男女が5人ほど、私たちのテーブルの周りにやってきました。なんだなんだ、と思っていると、全員に試飲用のコーヒーを入れてくれました。ショットグラスほどの小さな紙コップに10mlほど。ずいぶん厚手の紙コップでした。彼らはその後コーヒー豆の袋を勧めてきました。おそらくコーヒー豆の新ブランドの宣伝活動なのでしょう。ご家族も各々コーヒー豆を手に取ってみたりして、少なくとも迷惑がっている様子ではありませんでした。人がゴチャゴチャしてきたので、タイミングを見計らいお礼を伝えて去りました。

 

 そのまま路地を抜けると、ちょうど通りの向かい側に何やら人だかりができています。どうやら市場のようです。昨日まではなかったので、おそらく土曜市か休日市だと思います。こりゃあ一見の価値あり!と思って突入しました。

 まずは衣服。ほとんどがレディース(どこも一緒ですね)。ところどころに化粧品。NIVEA、SHISEIDO、Pantane、Daveなどなどおなじみのメーカーもありました。日本からそのまんま輸入しているものも、日本で言うところのカルディ等の輸入雑貨店で見かけるような商品のようにして売られていました。宗教用具もありました。

 さらに先に進んでいくと、いきなり食料品売り場になりました。と言っても、日本のように肉や魚や野菜がパックに入って売られているのではなく、畑などから取ったそのまんまの形で置いてありました。肉はつるんつるんの大きなサイズで。日本では専門のさばき屋でしか見られないような大きなお肉たち。さすがに牛さんや豚さんがモーモーブーブー辺りをうろついていることはありませんでしたが、鶏に至っては(部位の名前を知らないのでざっくりになりますが)お肉の部分はもちろん、足、尾っぽそして頭(顔付き!焼き上がった顔でこっち見てる!)と部位ごとに分かれて置いてありました。一羽まるごと焼かれているものもありました。喉に穴が空いていたので、ここをかっ切られたのかなあと妄想。ああ、熱そうな目をしている…。ちょっとグロい。

 しかしグロさパレードはまだまだ終わりません。最後は魚コーナーで締めくくられていたのですが、こちらは生きたまんまのお魚さんがうようよ。フナ、ナマズ、鯛?もアルミのボウルの中で大量にうようよ。客が「これください」と言うと、いかにも海民な気性の荒い女性が、客に値段を伝えながら片手でむんずと魚を捕まえて、地面に叩きつけて棒で2回頭をバンバン! 鯛は瀕死状態で痙攣。そのまんま袋へ。ギリギリ殺さずに台所まで新鮮ってか…。

 一方では、足を縛られた大きな黒いカエル(のような生き物)を生きたままはさみで喉から豪快にジョキジョキ!とさばいていくみなさん。その他の魚もまだ尾びれも口も目もピコピコしているのに綺麗に包丁でさばかれていく様子。こんな光景見たことない、わけではありませんが、きちんといただきますくらいは言っていこう…と静かに思いました…。

 

 市場を抜けて、道沿いのカフェへ。1万2千ドン(60円)で、Cà phê sữa đà(カーフェースアダー、コンデンスミルク入りアイスコーヒー。この先の日記でも何度も出てくると思いますので覚えて!笑)を注文。コーヒーと冷たいお茶で涼みながら、情報収集兼お客さん観察。テーブルが4つありましたが、そのうち2つをサラリーマン風中年男性のおひとりさま、あと1つは私が使用。これから仕事…にしては時間が遅すぎる(10時)ような…。それなりに綺麗なカッターシャツだったので、何かの職に就かれているのは分かるのですが、何のお仕事でしょうか。

 手前の男性は新聞を読んでいました。やはり新聞は中年以上の人々が手に取っていることが多いみたいです。若者はネット経由でしょうか。電子版新聞あるいはYahoo!ニュースやSmartnewsみたいなものはあるのでしょうか。飲んでいたのはそれぞれミルク入りとミルク無し。とお茶。私がだいたい1時間ちょっといたのですが、お二人とも私より長居されていました。

 

 そしていよいよフーンライのある中心街へ。なんとなく歩いてしまい、じんわりと汗をまとって到着。1年前は研修メンバーみんなで来たから気づかなかったけれど、とても豪華かつシンプルな作りのお店。まずい、こんな格好で来ちゃって大丈夫かな…。

 お店に入るとXin Chàoと言われてお席まで案内。椅子まで引いていただいて。頭を下げながら腰掛けようとすると、私の膝の動きに合わせて椅子を押して座らせていただく。椅子を引いていただくのは覚悟していましたが、押していただくところまで読めず、よろよろしながらお座り。これまでこうしたマナーを気にせず食事をしていたので、急に上がる敷居。でも楽しい。

 コース料理は185,000ドン(925円)。それに昼間っからLARUAビールを頼んだおかげで計1200円ほど。うーん、なんちゅう贅沢。

 

 日本ですらいただけない、ここだけのベトナム家庭料理の味。空芯菜なんて1kgはいけるほどのおいしさ。スタッフさんのスマイルも、0円スマイルよりはるかにスマイル。お店でごはんを食べるとき、料理を持ってきていただく度に「Cám ơn(ありがとう。カッムーン、と私は言ってます)」を連発しているとなんとなく味気ないのでスマイルするようにしているのですが、私のスマイルに答えてくれるスタッフさんのスマイルに、なんとも癒やされる。どこ見てんだ私は。

 店内は外国人客で賑わっていました。3組ほど日本人客のようでした。私の目の先のテーブルには子連れのお客さんが来ており、7歳くらいの男の子が「えくすきゅーずみー」と叫ぶとスタッフさんもニコニコしながら向かっていく。男の子は3人ほどスタッフさんに囲まれて嬉しそう。私は端からニヤニヤしながらご飯を食べてました。男の子がスタッフさんから何かをもらうと、母親が「What do you say?」「さんきゅー♪」というやりとり。どこも変わんねえなあとクスクス笑ってしまいました。

 

 しばらくすると、1年前にお目にかかったオーナー白井さんの奥様が店内へ。お忙しそうだったので、コースを済ませてから挨拶にお伺いすることに。と、奥様が日本人中年男性のおひとりさまの席にご挨拶へ。どうやら常連のお客様のようで、スタッフさんにケーキ?を渡されていました。「みんな、お礼を言いなさい」スタッフさんぺこり。たくさん常連さんいるんだなーと思いつつ、腹の底では「手土産ひとつ持たずに大丈夫か己は」と冷や汗だくだく。

 デザートの前にトイレトイレと用を足して店内に戻ると、ちょうど奥様と鉢合わせ。こりゃあ今しかないなと「すみません、1年前にお伺いしました…」とご挨拶。「そうですよね!」と喜んでくださいました。御園生先生も常連だったことを伺い、ちくしょういいなとニンマリ。

 奥様のきれいな日本語に、最近日本語会話を全くしていなかった私はたじたじ。使わない外国語はすぐに衰えるといいますが、日本語だっておんなじです。書き言葉は毎日読み書きしていても、話し言葉に衰えを感じながらたじたじ。しかも今日は衣服を洗濯に出しており、下は短パン上は(みんな気づかないので東京でもよくやりますが)イオンの3枚1500円の黒いVネック下着。ヒゲもいいやーと朝剃らず、靴はどこへでも行けるようにと登山なんかで使うごっついスニーカー。そういった失礼を帳消しにするので精一杯でした。

 それでも、私のつまらない話に耳を傾けてくださって、困ったときはいつでもご連絡くださいと名刺もいただいて、さらにさらにCà phê sa đàを奢っていただいてしまいました。頼ってばかり、本当にありがとうございます。リラックスした気持ちでお店を後にしました。うん、バンメトートから帰ったら絶対また伺います。絶対。

 

 お店を出て、少し歩いてみることに。動物園を見つけ、その隣にベトナム歴史博物館(Bảo tàng lịch sử Việt Nam)を見つけ、入りました。ベトナムの貨幣の歴史、ベトナムの各地から出土した石器から、チャンパの文化まで、そして特別展として、中国・カンボジア・日本・ベトナム仏陀(Pht)の像を見比べる展示がありました。概観としては、日本や中国よりもインドやイスラーム寄りだなあと思いました。

 歴史博物館というだけあって、屋外には、阮(グエン)朝の軍が実際に使っていた大砲も展示してありました。10台ほど、大きな大砲がこれによがしに置いてある。その砲口が、子どもがワイワイしている隣の動物園の方を向いていたのにツッコみたい。

 目玉といいますか、一番驚いた展示は、1990年代にホーチミン市内で発見された老人男性のミイラ、そしてこれはまた別の場所にあったのですが、イヤリングをつけた頭蓋骨でした。ミイラは360度どこからでも見られるようになっており、甕に収められていたとのこと。きちんと顔も判別できるほどの美しさ。うーん、今日はやたらと死を見るなあ。頭蓋骨の方は、どうやら堆積した土の中から出てきたようで、上下の歯の左耳付近にイヤリングと思わしき陶器がついている展示。イヤリングつけてたんだーとも思いましたが、目を引いたのは歯のきれいさ。歯も骨なんだから残ってあたりまえなのですが、そうか歯って残るのかーと虫歯銀歯だらけの自分の歯をなでなでしながら感慨に耽っておりました。

 少し込み入った私の性癖のことをお話しすると、こういう人骨を眺めるの、実は結構好きだったりします。ご気分を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、それに気づいたのが私の祖父の葬式でのこと。火葬を済ませ、箸で甕に祖父の骨を入れているときに、亡くなった人の骨の儚さ、脆さのようなものを感じました。あの焼けた骨のカスカス感。ちょっと力を加えれば折れてしまう。歯の話に戻ると、私たちの歯も骨も、生きているとあまり意識しませんがしっかり呼吸をしています。主人を失った骨はどんどんカスカスになっていきます。普段「硬いもの」「壊れないもの」として認識しているものも、亡くなってしまえば無くなってしまう。そういう骨の性質と、骨に結びついている死に、否応なしに惹きつけられるんです。

 

 

 さて、博物館の余韻に浸るべく、行ったことのない川の向こうの地域へ。川を越え、不自然にきれいなまっすぐの道路を一本外れるだけで、ホーチミン市の「都会」のイメージが失われ、どこか懐かしい道が続きます。そこには朝見たような市場もありました。こちらは毎日やっていそうな雰囲気。朝の市場のように外国人客はまったくおらず、不審な顔をされるもとりあえずスマイル。

 自分の頭の中にある「懐かしい町」のようなものを、ベトナムの街にプロジェクションマッピングしているのかもしれません。もちろんベトナムは異国であり、日本など先進国を追いかけているかもしれないが、決して同化しようとはしていない。小さい頃通ったわけでもないし、私の「懐かしさ」の在処といえば北部九州の山や田や川であり、私の知っている町といえば既に隙間産業の失われた都市化した街並みなのですが、それでもやっぱり落ち着いている自分はいます。そういったベトナムのイメージをベトナムに、あるいは自分の仲間たちに押しつけようとは間違っても思いませんが、そんなふうに感じる部分は確かにあります。

 

 

 私は自立に向かっている…のかもしれません。心配ばかりかけてるけど。

 

 中心街に戻り、カットゥーン(観光地として有名なベンタイン市場のすぐ側にあり、一番おいしいフォーのお店。でも一般価格の2倍、300円ほど。それでも安い)でフォーを食べて帰宅。バスを使おうと思いましたが、バスを捕まえる前にホステルに到着。ベッドで休んでいると、バンメトートで既に予約をとっているゲストハウスの方から連絡が。「到着は明日か明後日になりそうです」と返すと、「ねえ、君の写真送ってくれない?」と。もしかして私ベトナムにいること疑われてる?と思いながら顔写真を送ると、「いいね! こっちはみんな若い人ばかりだから、一緒にビール飲もうぜ!」と。若い衆が一番怖いと思っているのでドキドキしながら…、それでもやっぱり楽しみになってきました。

 今夜、夜通しバスでまずは観光地として有名なダラットへ。その後ダラットからバンメトートへ。2つ合わせて12時間。うーん、耐えられるかしら。