あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

リアルに触れる

 この世には、触れてはいけないものがある。

 なぜ触れてはいけないか? それに触れれば、その瞬間業火に焼かれ、それから逃げてもまた追いかけられ、死ぬまで、世界が終わるまで汚名を引きずるように制裁を受けるからだ。

 この世に「最も」触れてはいけないものがあるとして、そんな触れてはいけないものに、勇敢にも触れようとする者がいる。遊んでいるようにも見える。真剣なようにも見える。人によって見え方が違うから、後ろ指を指す者もあり、その背中を押す者もいる。しかし誰も止めようとはしない。誰も無視しようとはしない。

 彼か彼女か、その者がそれに触れてしまったら、何が起こるかは誰にも分からぬ。けれどもそれを後ろ目で見ながら、人々は日々の暮らしを歩んでいる。触れてしまえば、すべてが終わるのに。

 

 生きていく上で、うまく生きようと思えば、まず人の「触れてはいけないもの」に触れないことが得策だ。過去に心の傷を負った人に、その傷を抉るような発言は禁句である。父親が失踪した、田舎道で犯罪に巻き込まれた、ケータイが爆発した、家が燃えた、有毒なガスを吸った… この世には、触れてはいけないものがある。

 個々人の中にも、「触れたくないもの」あるいは「触れてほしくはないもの」がある。それが時を経て「触れることすら忘れたもの」もあれば、「触れなさすぎて冷凍保存されたもの」もある。今の時代、それらは安易な「黒歴史」という言葉でまとめられてしまうが、黒も黒、コピー用紙の黒からブラックホールの極限の黒までグラデーションは豊富だ。そう簡単な話ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔から、「お前は口が過ぎるから気をつけろ」という教育を受けてきた。確かに口が過ぎる子だった。

 僕が小学二年生のころ、しばらくぶりにお目にかかった近所のおじさんが、以前よりも犬っていた(オブラートに包んでいる)。その目の前で、一緒にいた母親の耳元にすり寄り「おじさん太ったね」とぽろっと言った。母親はおじさんの前では苦笑いしていたが、後でこっぴどく叱られた。そんな子だったから、よく苦虫をかみつぶしたような顔をされたり、泣かれたりした。

 口が過ぎることが分からないわけではなかった。言う方だって言う方なりに慎重に放った言葉だった。ただ「どうして笑ってくれないのかなあ、僕はジョークで言ったつもりなのに」と思っていた。

 

 「人を傷つけてはいけません」。そのことばは僕の中で呪いのことばになった。

 

 翌々年、人を一切傷つけなくなった。いくら人から傷つけられようとも、人を一切傷つけられなくなった。すべての傷を吸収するスポンジのような存在になりたかった。僕が傷ついていれば、誰も傷つかない。人を傷つけてはいけません。人と書いて他人を意味するこのことばを枷にして、僕は人が傷つくぐらいなら僕が傷ついて丸く収めようと努力した。人は傷つかなくなった。僕は自分を傷つけた。

 

 

 こういった過去を話すと、3つの反応が返ってくる。「かわいそうね」と泣いて同情されるか言われるか「こげな話ばなしここでせんばらん?(こんな話をなぜここでするの?)」と言われて半ばご機嫌ななめになられて離れていかれるか。でもそんなことは書いた本人は求めていなくて、例えば「僕はシュークリームが好きなんだ」とか「僕はおもしろい話はうまくできないんだ」というような会話にみんながする返事を求めているんだ。それが3つ目。

 

 僕はそういうことを小学四年生のときに経験しているものだから、スポーツや賭け事といった「勝敗をざくっと決める」ものを一切受け付けなかった。要するに負けたくなかった。負けて傷ついて何が楽しいの? と思っていた。せっかく自傷行為から抜け出したのに。みんなドMだな。こいつ、ひねくれてるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして負けないように、負けないように、と思ったら死にかけた。高校二年生のとき、体育の授業で剣道の試合をやっていた。結構僕は剣道が好きで、「ヤー!」と結構な音量で言い放って結構な力でメンを打っていた。その日僕は若干風邪をこじらせていて、熱があった。でも剣道は休みたくない。楽しいし、何より受験に意識を向けろなんていう雰囲気が持ってくる要らぬストレスの発散はここでしかできない。何が何でも、と「別に体調悪くないし」と見栄を張りつつ剣道場へ向かった。風邪ごときに負けたくなかった。

 軽く基本動作を済ませて、試合が始まった。その時点で結構ふらふらしていた。相手はだいたい僕と同じくらいの実力の友だちだった。「はじめ!」懸命に竹刀を振った。身体の細胞を全部相手にぶつけた。息が信じられないくらい上がっていた。そして途中で倒れた。

 いくらか意識が飛んでいたようで、気がついたら板床に仰向けに寝かされて、息だけゼエゼエ出していた。「赤嶺ー! 立てるかー!」なんて声に一切反応できなかった。負けだ。恥ずかしい。負けた。担架を持ってこられて、乗せられて、保健室に運ばれた。負けだ。恥ずかしい。負けた。保健室は、負けた者の巣だった。授業を抜け出してきた者、ちょっとおなかが痛くてサボった者。負けだ。恥ずかしい。負けた。ベッドに寝かされたところで意識が負けた。飛んだ。

 

 そこで空中浮遊を体験して、ベッドに寝かされている自分を見ながら思った。「あ、人ってこんなに簡単に死ぬんだ。」

 今たぶん、このままオレが「死のう」って思ったら、たぶん死ねるんだろうな。いやあ、でもまだそれはめんどくさいな。いろいろあるし。いやほんとに。さすがに死ぬ必要はないな。別に死んでまで恨み返したいヤツとかおらんし。そんなことをのんびり考えていたら、救急隊の人に顔ガンガン叩かれて魂が戻っていった。息のしすぎで口がカンカンに乾いていて何も話せなかった。「意識ありません!」いや、違うんです。しゃべれないだけなんです。身体も麻痺ってるんで。

 救急車まで呼ばれる大事件になって、病院に連れられて初めて「水ください」としゃがれた声で看護師さんに伝えて、駆けつけてくれた師範にご心配おかけしましたと言って、駆けつけてくれた母親に申し訳ございませんでしたと言って、母の車で元気に帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが僕の人生の中で、肉体的な死を迎えそうになった2つの体験である。(あとは精神的な死を迎えそうになった体験が2つある)

 

 そのときから、死生観がまるで変わったのかなあと思う。ちらっと読んだ文献不明の論文で、男性は自分が死ぬことを意識せずに生活しているが、女性は自分がいつか死ぬことを分かっているからそれを踏まえて生活している(女性の方が「楽しく生きたい」と願う人が多いのはそれが理由らしいが)という。要は僕はこの論文で言えば、男性の死生観から女性のものへと移ったのだと思う。

 二度本当に死の瀬戸際を訪問した身から言うと(と言えば信頼してもらえるかな)、死の瀬戸際にさえ言ってしまえば、線を越えることに対して文句を言う人の声は聞こえなくなるし、越えることは本当に、悲しいくらい簡単だ。僕はそのとき片思いをしていた女の子がいたから生き残れたものの、それくらい本気になれる人やモノやコトがないとたぶんみんなほいほい線を越えていくだろう、くらいの線である。誠に脆い。

 別段普段から「今日死んでも後悔はないのか?」とスティーブ・ジョブズ並みにストイックに自分を問いただしているわけではないが、うっすらぼんやりとその感覚はある。そして心のどこかで、「いいんじゃね?」と返している。返せる精神状態を保っている。「赤嶺 翔太、街の公園で散歩していたところ、通りかかった自動車のタイヤがいきなり外れ何かの拍子にそれが飛んできてぶち当たり転倒、打ち所が悪く死亡」でも、「赤嶺 翔太、講義中にうたた寝をしたまま、死亡」でも、強がりでなくわりかし面白くていいような気がしている。死をそこまで、特別なものとして捉えなくなった、のだろうか。

 

 だから自分の理解の範疇を超えるものを見ても、「何やってんだ!」とキレることもなく、「わーん!」と悲観して泣き叫ぶこともなく、目をそらすこともなく、ただガン見するようになった。じっくり見て、理解できるなら理解する。理解できないならその輪郭を眺め、味わう。タイでレイプの現場を見たときも、ママチャリで東京から茨城まで出かけたときに狸の死体に続いて麻薬中毒者の奇行を見たときも、同じようにした。まじまじと見つめて、ふと我に返って普通に戻った。

 

 関東に長く住んでいる人は、そんな感覚を持っている人が多いのではないかな、と一瞬だけ考えたこともある。地震でいつ死ぬか分からないと言われ続け、何度も小さな地震が起こっている(今も起こった)関東地方の人も、同じこと考えるのかなあ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こういった暗い話を、子どもにも読ませられるような明るいようにしてくれるのが絵本であり、イラストである。本当に絵本作家、イラスト作家には尊敬の念が絶えない。このブログの背景も、ベトナム戦争で使われた武器たちの象徴として、「弓」をコミカルに描いたものを使用している。子どもは「楽しそう」と思い、大人は「哀愁漂う」と感じるのかもしれない。この、「触れてはいけないもの」を「触れやすくしたもの」が僕は好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世で一番尊い動詞は「つくる(make)」だと思う。特に、「触れてはいけないもの」「触れられないもの」を「触れやすくしたもの」として「つくる」こと、これが一番尊い。そうでもしなければ、触れられない人には生涯触れるチャンスが与えられないことだろう。もちろん、触れられない人の方にも、それに触れるよう努力する必要はあるのだけれども。

 

 僕はしばらく、自分の死から遠ざかっていた。遠ざかっていても生きていられる、つまり勝ち続けられる都会に慣れすぎていた。

 

 

 

 

 もう一度、死ぬことにチャレンジしてみようと思う。僕にとって、「負ける」をもっと強烈に強調したことばが、「死ぬ」。物理的に死ぬことは再三聞かされているように全くのお門違い。

 僕は、こんなことも考えもせずに、「死にたい」という人が嫌いだ。軽々しく言うなし。心の奥底で、そいつの母親に「あのおじさん、ぶくぶく太ってて幸せそうなのに、自分でそれに気がついてないんだね」と言ってやりたいと思っている。

 

 

 触れてみろよ。

 

 

 

 

 

自分。