あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

陰と陽

本には載らないことがある。

話題に上らないことがある。

地図には載らないとこがある。

 

目にしたきりで、やったっきりで、消えてしまうもの。

人目に触れず、関心も引かず、ただ消えていくものがある。

それはなかったも同然か。

 

仕事は「結果」が大事だ。

結果に対して報酬をいただく。その報酬で別の結果をいただく。

なぜ「結果」が大事か。

その集団においては、「結果」がコミュニケーションの唯一の手段だからだ。

 

そこで「愛情」は

「情け」は

「友情」は

「なんとなく」は

人の複雑なあらゆる想いは

コミュニケーションに使われない。

 

逆に言えば、それだから仕事は楽なのだ。

「結果」さえ出していれば、

「愛情」もかけなくてよろしい

「情け」ももたなくてよろしい

「なんとなく」他の仕事を任せられたりもしない。

人の複雑なあらゆる想いは必要ない。

 

仕事と貨幣、

社会的動物である人間が、一間の孤独を得たいがために生み出した文化。

 

そんな文化があるということは

その正反対の文化もあるということだ。

つまり、「人の複雑なあらゆる想い」が折り合ってできた文化。

それが、地図には載らないことなのだ。

それが、他人に興味を持たれないのは、その他人も自分の「あらゆる想い」を持っているからだ。

自分の「あらゆる想い」をもてあそぶのに勤しんでいるのだ。

 

みんな自分のことで忙しい。

あたりまえのことだ。

自分のことで忙しくなくても、家族や友人を助けてあげる、そう自覚していないながらもそうしている人もいる、そんなことで忙しい人もいる。

でも言ってしまえば

忙しいっちゃ忙しい

忙しくないっちゃあ忙しくない

そんなところが本音じゃなかろうか。

 

僕は昔から、「自分の周りだけ焦ってる」という状況の渦中にいることが多かった。

みんながいろんなことを心配している。

その中には自分を心配してくれている人もいる。

ありがとう、と言う。

でも、なんでそんなに心配なのかなあと思っていた。

心配は心配だけど、口に出すほど心配なのかなあ。

そしてひょっこり万事は流れていった。良い方向に。

 

みんなそんなに「焦る」ことにガソリン使って、もつのかなあ。

そんなことを考えていたら、いざ自分が焦っているとき、他の人はみんな焦っていないという状況もあることに気づいて、なんだかなあと思った。

 

自分が焦ったときは他の人と話をしようと思った。

積極的に、焦っている状態と焦っていない状態を、折り重ねようと思った。

その方が楽しい。

 

「折り重なる」ということばはどこか、引っかかるところがある。

 

コピーライターの糸井重里さんの文章を引用してみる。

 

 後から参入する者に、場所なんか空いてないのだ。
 空いているとしても、最悪の場所だけだ。
 前々からそれをやっている者が、
 めんどくさいから手を付けてない場所が、少しだ。
 それが、いつも当たり前のことだ。

 新しいなにかが生まれるのは、
 場所なんかもらえなかった者たちが、
 苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。
 「少しだけ、空いてる場所を分けてください」と、
 平身低頭してお願いしているうちに、
 時間はどんどん過ぎていくし、
 いい機会も得られないままになる。
 
 鉄道をひけなくても、自動車があった。
 映画をつくれなくても、テレビがあった。
 大きな舞台はなくても、小劇場があった。
 大きな同業者組合ができているようなところに、
 新しく参入することを歓迎してもらえるのは、
 「これまでの権利を脅かさないやつ」だけかもしれない。

 場所なんか空いてると思わないほうがいいのだ。
 居心地の悪い、座ればけつの痛くなるような荒地だけが、
 新しい人びとがスタートを切れる場所だ。
 おそらく、道具も揃っちゃいないし、
 誰もが認めるすばらしい人なんか集まることもない。
 しかし、そこが、場所なのだ。

 若い人に言うことは、じぶんに言うことでもある。
 あなたにも、ぼくにも、
 用意された場所はなかったはずだし、
 周到に計画された図面なんてものもなかったと思うのだ。
 次の時代は、いつでも、
 場所なんかなかった者たちの場所からはじまっている。
 道具がなければ、じぶんでつくる。
 人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。
 そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。

 「どこにも場所が空いてない」ということは、
 いつも、新しいなにかの出発であった。

ぼくの好きなコロッケ。 (ほぼ日ブックス)  p.26より)

 

ぼくの好きなコロッケ。 (ほぼ日ブックス)

ぼくの好きなコロッケ。 (ほぼ日ブックス)

 

 

 「空いている場所」を活用するには、そこを「空けた」人のルールに従わなくちゃならない。

 無料で使える場所は、粗悪で、粗末で、ぼろくさい。

 でも、それはそこでできたものに、後から参入してきた者には、できない体験だ。

 苦労してイカのうまい裁き方を編み出した者に、裁き方を教わった者は、もう自分で裁き方を編み出すという楽しい体験はできないだろう。

 

 だから本当に自分にとって大切なことは、人に教わらない方がいいのかもしれない。

 その「新しくできそうなよく分からないもの」と折り重なった方がいいのかもしれない。

 

 都会は既にいろんなものが折り重なっている。

 だからといって、折り重なるものがないわけではない。

 むしろ豊富に折り重なるものはある。

 なぜなら他のものがすべて折り重なっていないからだ。

 

 

 よいやり方を探したいんじゃなくて、やりたい。

 よい音楽の聴き方を探したいんじゃなくて、音楽が聴きたい。

 おいしいご飯の作り方を探したいんじゃなくて、美味しいご飯が食べたい。

 生きる意味を探したいんじゃなくて、生きたい。

 

 仕事文化と折り重なる文化。

 塩とこしょう、濃い味と薄味で二刀流。

 これでうまく切りこなせるようになったら、

 これでうまく「舞う」ことができるようになったら、

 楽しいのかもしれない。

 

 武士が好きだ。

 

 

 

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