あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

「本当の自分」なんて存在するの?

 「本当の自分」とは、存在するのでしょうか。

 おそらく最後まで答えは出ないと思いますが、とにかく書きながら考えていこうと思います。

 

 

 よくこんな言葉を聞きます。

「本当の自分に素直になれ」

「あのときの自分は本当の自分ではなかった」

「本当の自分になりたい…」

 列挙するつもりがこれくらいしか出てきませんでしたが、とにかく「本当の自分」というものが自分の「内側」に存在する、と考えている人が少なからずいるということです。

 私もつい最近までそう信じて疑わなかったのですが、どうも疑問を持つようになりました。「本当でない自分」であった時間の自分は自分ではないのか? ではそれは誰なのか? そのとき自分がしたことに私は心の底から責任(Responsibility=Responseできる状態)を感じられるのか? そもそも、自分は複数あるものなのか? そもそも、自分という存在は本当にあるのか?

 

 「本当の自分」というものがあるかについて考える前に、「本当の」という言葉の定義を改めてみましょう。ここで使われている「本当」は「本物(Original)」と言い換えることができます。本物が存在するということは、同時にそれに似せて作られたもの、偽物(Fake)も存在しうるということです。そして私たちが「本当の自分」に「なる」ことを切望する理由は、なぜか私たちは日常的に「偽物の自分」になってしまうからです。

 それでは、この「本当の自分」と「偽物の自分」の境目はどこにあるのかを探ってみましょう。そのために、まずは「自分」が「分裂する」ということについて考えてみます。自分が分裂する、すなわち自分がまるでマスクをかぶっているかのように、いくつもの自分をとっかえひっかえ表に出せる状態にあること。そんな状態が存在するのか。

 これは私の体験ですが、存在します。以前もこのブログで書きましたが、私は接客業の仕事を2種類、合計で1年と少し続けており、プロとまでは行かなくともある程度接客についての小話ができるくらいの経験は積んでいます。最初にやっていた方は客の出入りが激しくすばやくレジ打ちをすることが求められていました。そうやってレジで接客をしているうちに、「お客様に笑顔を見せる自分」と「自分の感情に素直な自分」が分裂していく現象を私は間近で(というより一体になって)体感しました。往々にして分裂しやすいのは少し気性の荒い客の場合で、「何を言われようと笑顔で接客する自分」と「は? お前だけやでそんな無茶なこと言いよるの。余裕ないんかあんたには、と自分の感情をしっかり露わにしている自分」に分かれます。当たり前ですが前者を顔に出し、後者を自分の心の中に止めます。

 余談ですが、このような接客の仕方を私は否定しませんし、私が客だとしてこのような接客をされていたとしても(それは本人にしか分からないことですから)気にとめません。それは自分がそうしていたからだけでなく、接客とはそういうもんだ、という決めつけが自分の中にあるからです。

 このような分裂は、自分が何かの「役を演じている」と考えることによって生じます。長期的に見れば、私たちはあらゆる役を演じ、こなしているように見えてきます。子どもとして親に従順な子どもの役を演じ、学校では心の広い優しい友だちの役を演じ、塾ではマジメにきっちり自分の将来を見据えている学童の役を演じ、大人になれば「デキる」社員、孤高に動くアーティスト、近所の優しいおばさん、エレベーターで上向いて一言もしゃべらない普通の人、こなれたスピーチもスマートにこなせる幹事、ちょっと気むずかしい漁師のおっちゃん、通りすがったついでに手を振ってくれる粋な自転車乗り、敬虔な祈りを捧げる教徒…を演じています。

 

 「自分は何かの役を演じている(Perform)」と自分が感じる瞬間に、どうやら私たちは「演じている」自分と「演じていない」自分に分裂してしまうようです。「本当の自分」と「偽物の自分」の境目は、「自分は何かの役を演じている」という前提があって初めて存在するものなのです。

 ここには三人の自分がいます。「演じている自分」と「演じていない自分」と、さらに「演じている/いないことを自覚し、その二者を眺めている自分」です。この中で「本当の自分」はどれか、と聞かれれば、おそらく最も冷静に判断できている三番目の自分が「本当の自分」だと答える方が多いのではないのでしょうか。

 

 ここで、この三者に新たな視点を加えてみます。「時間軸」です。

 この三者のうち、どれが本当の自分かで少し悩んでしまう理由は、これらすべてが「今」という同一時間軸にいるという前提があるからです。すこし分かりやすくするために、この三者を例に合わせて置き換えてみましょう。

 「自分」がとある誰かに恋をしていて、その人と二人きりになるチャンスを得た。しかし自分の「本当の」気持ちが伝えられず、結局そのまま別れて帰ってしまった。というエピソードがあったとします。

 この場合、

 

「演じている自分」→「好きだと伝えないいつも通りの自分」

「演じていない自分」→「好きだと伝える自分」

「眺めている自分」→「どうして好きだと伝えなかったのかと、いつも通りの自分を演じていた自分を責める自分」

 

と置き換えられますね。

 このように例に当てはめて考えると、本来この三者の持つ時間軸が見えてきますね。要するに、

 

「好きだと伝えないいつも通りの自分」→ 現実に取った自分の行動 =過去

「好きだと伝える自分」→ 本当は取りたかった自分の行動 =未来(理想)

「どうして好きだと伝えなかったのかと、いつも通りの自分を演じていた自分を責める自分」→ 現実に取った自分の行動を分析し、理想の行動を再確認している自分 =

 

となるわけです。

 

 

 これで見えたように、「本当の自分」と「本当でない自分」との乖離によって生じる悩みは、「過去の自分」と「未来(理想)の自分」を今の同一時間軸に置いて考えてしまうから生じるものだったんですね。時間軸を分けて考えれば、未来(理想)の自分を除けばすべて「本当の自分」といえます。

 

 答えが出ないかと思いましたが(むしろその方がいいのかなあとも思いましたが)、とりあえず「本当の自分」がスッキリしたので良しとします。

 

 お付き合いいただきありがとうございました。