あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

「思考に物理的な形を与える」/あいちトリエンナーレ、なう。

 愛知県で3年に1度開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」を見に来ています。

 


 荒川先生が講義で取り上げていた、公共機関がお金を出して開催するタイプの国際芸術祭。これといって理由はありませんでしたが、とりあえず「芸術祭」というものに行ってみよう、という感じで来てみました。ちょうど兄が近くで就職しており、宿泊費(+夕飯代♪)タダということもあり、行くっきゃないということで。

 

 ギリギリまで夜行バスで行くか青春18きっぷで鈍行乗り継ぎで行くかで迷い、えいやっとみどりの窓口で11,850円にて青春18きっぷを購入。いざ2千円で名古屋へ!

 途中湘南やら熱海やら、「ザ・青春の街」を通り、トイレ休憩などでそちらにお泊まりの若い皆様(髪緑、金、青の皆様)の間をくぐり抜け、駅弁おいしそー…でも高。と不思議そうな目で店員さんに見られながらお店を通り過ぎ、6時間座り続けて兄の住む、名古屋市から電車で一時間強のマンションに到着。

 正直…夜行バスの方が楽でした。

 

 その日は到着後すぐ寝て、さあ1日目! 何を思ったか電車代を節約! 兄に自転車を借りていざ名古屋市へ! 30kmなら東京駅から横浜駅行くくらいのモンジャロ、よかろう! 行ってやろう!

 この後、この30kmの道のりを片道3時間往復して、翌日朝体が起き上がらず翌日一日を寝て過ごすことになります。

 

 名古屋市内に着くと同時に小雨→雨。暑いし雨降るしベトナムかっちゅうの。だったらどわっと降ってからっと晴れぃ! と心の中で絶叫しながら愛知芸術文化センターへ。

 この愛知芸術文化センターがあいちトリエンナーレのメイン会場です。生まれて初めてこんな「芸術文化センター」見た…。その規模の大きさに圧倒されました。

 

 考えたことなど羅列します。

・「お前どんだけヒマなんや!」←作品の前でつぶやきました。

・知性ってなんだろう。人間だけが持っているものだと私は思い込んでいるけれど、他の「知性」を持っている生命体が隠れているかもしれない。「知的な種は、自らを守るために身を隠す傾向がある。」その通りだと思う。今、宇宙のはじまりの声(ビッグバン)を聞くための耳の開発が進んでいる。もしかしたら、どこかの宇宙人には知性があって、私たちにメッセージを送っているのかもしれない。でも、「私たちにメッセージを送っているのかも」という疑問は、今実際に私たちが触れることのできる動物や植物などの生命体にも持っていいはずだ。コミュニケーションは、「この生命体は私に何かを伝えようとしているのかもしれない」という疑問から始まる。「声を真似ようとしている存在があれば、それはその声の主に関心を向けているということだ。」

・私たちはただ音を発するだけでなく、ただ泣きわめくだけでなく、何かを伝えようと「声」を出している。そのとき、自分の思考に物理的な形(声)が与えられる。この繊細な次元の超越作業の美しさが、あらゆる信仰の対象となってきた。

・「ストーリーを作る能力」、それにより生まれたストーリーを信仰する者が現れ、そしてそのストーリーは現実化する。そのストーリーに物理的な形が与えられる。

・(単数の、複数の)人間が細部まで何かを描くことで、「描かれたもの」は「自然」に近づく。

・粘土細工は「触覚の言語」である。ソファを見たことがない人でも、目をつむったままソファを触り、そしてソファを粘土で表現することができる。このとき、「ソファ」という文字は必要ない。

・文章、という表現の力の強さ。芸術作品に、ことばが添えられることで「染み」やすくなる。作品の抽象度が上がるときこそ、ことばはそれが在ることで受け手に「染む」自由を与える(ことばを受け取れば作者の解釈を知ることができ、ことばを受け取らなければ独自の解釈を守ることができる。

・「アリストテレスは、鍛冶屋は鉄を打つ音を聞きすぎて、それを聴くことをやめた。そして鉄の打つ音が聞こえなくなった。彼らは音を失ったのだ、という。」当たり前にある人のささやきを集中して聴くことで、声を取り戻すことができる。

 

 どうも今回のテーマは、「思考に物理的な形を与える」ということにあるようです。わくわく。