あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

感覚器官はいくつありますか【ホーチミン滞在3日目】

 朝目覚めると7:15。集合は30分後。大急ぎで支度して、ベトナム語会話帳とカメラを忘れてタクシーに飛び乗りました。

 

 向かう先はBảo tàng Chứng tích chiến tranh(戦争証跡博物館)。ベトナム戦争下で撮られた写真や遺留品などを展示しています。入場料15,000ドンをまけてもらって入場。はじめに館長さんのお話を聞き、展示を見に行きました。

 館長さんのお話の中で、強調されていたのがこの博物館のメッセージについて。広島や長崎県内にある原爆博物館もそれぞれ加盟している世界博物館ネットワークの一員として、「平和」をメッセージにしているそうです。しかし、実際に私たちがしていることは「罪と悪を主張する」こととおっしゃっていました。戦争が罪だとか悪だとかそういうことではなく、戦争の罪と悪の部分を伝えたい。おそらくそういうことかな。そのままの事実を伝えようとしてくれる、博物館としてあるべき姿勢だと思いました。

 質疑応答で、「この戦争はメディアの戦争とも言われるとおり、世界の多くの人があらゆるメディアを通じて戦況を見ていた戦争だったが、ベトナム国内のメディアでは、この戦争はどのように報道されていたか」という質問をしました。

 ベトナム国内には当時、メディアの勢力は2つに別れていました。ひとつはベトナム人ジャーナリストによるメディア、もうひとつは南ベトナム民族解放戦線のメディアです。後者は後ろ盾としてアメリカがいたため、やはりアメリカに有利なように報道したそうです。ベトナム人ジャーナリストも、南北それぞれ自分の仲間に有利なように報道した、と。つまり、ベトナムの中でも報道操作は行われていたようです。

 後に、「戦後、メディアの情報と現実の情報との相違に気づいたか」という質問をすると、確かに異なったと。しかしベトナムのメディアはアメリカやソ連などの後ろ盾がいたからそれに従っただけだ、とおっしゃっていました。

 

 この後行ったお寺の帰りのタクシーでも話が出ましたが、メディアとはこういうものなんですね。というより、人間が集合すると結局は白黒はっきりさせなければいけなくなる。枯葉剤の薬害被害を受けた方々への支援金を、「枯葉剤による薬害だ」と証明されなければ支給しないという政策も同様です。本当はグレーのものを、白黒はっきりさせて発信しなければならないから、その過程で現実のものとは違う部分が出る。あたりまえのことのようで、忘れそうなことです。

 

 博物館の中の展示は、私の想像力を相当広げてくれました(英訳みたいな文だな)。戦車を見たのも初めてだったし、爆撃機や実際の爆弾を見るのも初めてでした。触っていい展示がとても多かったので、その兵器の横に立って狙いを定める兵たちの気持ちになってみたり。

 特に、動いて見える写真が多かったように思います。写真を撮った人も、それを意図して撮ったのでしょうか。

 

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 そして別の展示室に行くと、枯葉剤の薬害の被害を受けて生まれてきた方々の写真がありました。さらに驚いたことに、プラスチックの箱の中に、ホルマリン漬けにしてある赤ちゃんの遺体が入っていました。生まれたばかりで、おそらく産声を上げたまま亡くなったのでしょう。愛らしい泣き顔のまま、時が止まっていました。

 事実なので誤解を恐れずに書きますが、結果としてその遺体を5分くらい眺めていました。そのときの感情は記憶からは欠けています。奇異の目で見ていたかもしれないし、美しいと思っていたかもしれない。何を思っていたのかが分かりません。でも、その展示の周りに子どもたちが集まってきて、「これな〜に?」みたいな口調でお母さんに尋ね、お母さんが戸惑っている間にその子が遺体に笑顔で手を振って「や〜」と言っていたとき、何か腑に落ちるものがありました。

 

 タイやアイチで、目をそらしてしまう人もいるような、あまり公にされない写真や人、ものを見てきました。私はそれに対して、「怖い」という感情をあまり持ちません。いきなり目の前に出てきたら驚くし怖いだろうけれど、そうでなければ自分でも不思議なほど、どちらかと言えば注視してしまいます。それを親戚に伝えたことがあって、「お前に感情はないのかっ」と半ば本気で怒られたこともありましたが、そういうのでもないんです。当然自分には殺害願望なんてありませんし、ましてや自殺願望なんてこれっぽちもありません。でも、何か抱いているんです。

 博物館などの展示で、そういった展示に惹かれる理由を昨日よく考えてみたのですが、ひとつは「写真を撮った人はどんな気持ちだったんだろう」「ここに写っている人はこの博物館で展示されることをどうして希望したのだろうか」と、「ここに写真が展示してある」という状況を作ってくれた人たちのことを思うと感銘を受けるから、かなと思います。そこにあったかもしれない、葛藤や常識。事実として分かるのは「写真がある」ということだけ。その大きさに足が動かなくなるのかも。

 

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 タイトル「mother」。リアルな情報があったからこそ、この芸術作品を見ると想像力が湧き出てくる。楽しみがまた増えました。

 

 

 博物館の後は、お寺に行きました。このお寺は、さきほどの博物館に枯葉剤薬害の被害者の写真を提供しているお寺です。というのも、このお寺には枯葉剤被害などによる障害を持っていたり、親に捨てられた子どもたちを預かっている孤児院があります。そこを見学させていただきました。

 

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 入ってまず思ったのですが、アジアの宗教狂ってるな、ということです。まずその色使い。日本のお寺はほぼ石か木、銅などで作っているのが「由緒正しい」とされているため鮮やかさに欠けますが、このお寺は幻覚かと思うくらい色使いが派手。さらに日本の宗教ではあり得ないポーズの仏像が多い。観音菩薩の生首を蓮の葉の上に置いてみたり(うちのお寺さんなら即刻破壊モノです)、七福神に両手を挙げさせてみたり。

 

 そのお寺の奥にある孤児院に入りました。ひとつずつ丁寧に解説をいただきながら、食堂や生活スペースを見せていただきました。水頭症、神経障害、脳障害、身体障害の子たち。およそ20歳くらいまでの子どもたちの生活の様子を見学することができました。

 自分の嫌なところですが、いきなり腕を掴んでくる子にびっくりして少し後ずさりしまいました。もしかしたらその子は、握手をしようとしただけかもしれないのに。いきなり殴ってきたりしないかな、とまた怖がっている自分もいました。そのときはっと気づいてしばらく整理がつかなかったのですが、このとき怖がった私は何に怖がっていたのだろう、と思います。単純に「殴られるかもしれない」ということに予防線を張っていたのか、それともその子が「障害を持っているから」心にバリアを張っていたのか。その二つの自分が出てきました。もし後者ならそれが自分の隠れた差別かもしれないし、こうやって二つの自分の中で葛藤しているという状況を生み出しているメタ自分も嫌いでした。

 でも最後の部屋で、「障害がない」と言われた子どもたちと文字通り戯れました。夏休みに同じように子どもと戯れるバイトをしていたのを思い出して、とても楽しかったです。子どもが何て言ってるのかも分からないので、とりあえず繰り返して言ってみたり、「ドゥーッ」「ジャーッ」と擬音語で話してみたり、もはや日本語で話しかけてみたり。言葉は通じないけれど、子どもたちは子どもたちなりに楽しんでくれている。あー、これはこれでいいなと思いました。抱いてあげるだけでスヤァと目をつむる子もいるし、「振り回してくれ! オレを振り回してくれ!!」という目でこちらを見てくる子もいるし、好きなように自分を使って遊ぶ子どもたち。

 自分の中に生まれた葛藤も、事実として受け入れられました。

 

 それは、本堂の中を歩いたときに確信に変わりました。特に自由なんです。自分が信仰しやすいものを取ってきて信仰する。仏教に(少なくとも私の宗派には)竜は出てきませんし、阿弥陀如来はテカテカ光りませんし、空の上に天竺に通じる穴が空いていてその穴から竜がこちらを覗いている…なんて設定もありません。

 信仰という、絶対不可侵のように見える領域にも、こんな自由さがあるのか。「なら、もうなんでもいいじゃん!」と思いました。

 

 いつの間にか、私は教科書に「戦争は悲惨だ」「かわいそうな枯葉剤被害者の子どもたち」「神様が上から見ている」(特に宗教的な教育をする学校に行っていたわけではありません)とすり込まれていた時代の自分と改めて対面しました。悲惨な戦争は、かわいそうな子どもたちは、神様は、どこか遠くにいるのでもなく、すぐそばにいる。

 

 解散後に林くんと巣子守くんと少しそのことについて話しました。「自分が親だったとして、自分の子どもが重い障害を持っていたとき自分は何をするのだろう」という疑問。結論として、「何をしたとしても全部それでいいと思う」に落ち着きました。それが、自分がよく考えて出した結果であれば。

 

 冒頭に「平和」がテーマだけれど、メッセージは「戦争の罪と悪の部分」とおっしゃった館長さんに賛成しました。これってとても大切な姿勢だと思うんです。もちろん木村先生の通訳も通っているので、正確なニュアンスは自分の主観丸出しの想像でしか補えませんが、「平和な世界」を目標にしてはダメだと思うんです。そもそも、誰も「平和な世界」を想像できたことがないのでは、と思います。辞書を引くと、平和の定義は”戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。(デジタル大辞泉)”とあります。つまりユートピアでしょうか。

 歴史上、ユートピアが形成されたことはありません。全人類が平和であった時代は一時もありません。なぜか、ユートピアがあったのはそれを支えてくれる罪、悪があったからです。ローマが栄えたのは奴隷がいたからだし、日本が栄えているのは東南アジアに多くの日本工場を作ったからだし、街ができるのはそこに住んでいた動植物を追いやったからです。

 自分にできることは、罪と悪の部分をしっかり見つめ、それを減らす努力をすることだと強く感じました。

 

 

 タクシーで再度博物館に戻り、午前中の活動終了。その足で道路を挟んで向かいにあるカフェに入りました。

 

9/3 6回目 M2C(Modern Meets Culture)

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内装:

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この

f:id:o5h4pi:20160904155301j:plainこの照明すごいアイディア。自分でも作れるオシャレアイテム。

 

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頼んだもの: Cà phê sữa đàとエスプレッソ

味:

・Cà phê sữa đà

 飲み口は柔らかいが、少し粘り気あり。後味はすっきりしている。もう少し粘り少なめが好き。

・エスプレッソ

 日本のエスプレッソよりやはり甘い。カフェインのあのグオンッってくる感じがあまりない。あんまり好き好んで飲まないかも。

 

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Cà phê sữa đà。

 

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エスプレッソ。

 

 午後、さきほどの戦争証跡博物館で見たこと、そして吉川先生についての資料から思ったことなどを巣子守くん、林くんと話しました。

 

9/3 7回目 Caffè FRESCO

場所: 121 Lê Lợi, Bến Thành, Q1, HCM/VN

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頼んだもの: Cà phê sữa đàとカモミールティー。

 

Cà phê sữa đàの味: 

 今までで一番おいしい。これが求めていたCà phê sữa đà。はんなりと甘く、すぐに去っていく甘さ。後味もすっきり、まるでない。本当に水のよう、でもおいしい。さらに100%アラビカ種、なのにたったの45Kドン。

 

カフェの特徴:

 店員さんが外国人慣れしているし、実際に外国人が多い。ガラスの近くの席に座っていたため、外からこんこんとされて商人の方が腕時計を売りにきた。

 

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 17:30から、いよいよ吉川先生とのお話。

 伺った外国人研修制度の実態の話はまた別の機会に。感じたことだけ挙げておきます。

 

 まず、「いい話は早く正確に伝染しやすい」ということ。ベトナムから日本に来て実際にする仕事を通して技術を学ぶことが目的のこの制度と、現実との乖離が「長く」続いている理由のひとつです。もしそういう被害にあったベトナム人がベトナムに帰っているのなら、それで嫌な話を聞いて制度を利用するのをやめる人だっているはずだ。そう思って吉川先生に聞いてみたのですが。

 朝の内容と重なりました。人づてに情報が伝わっていく、というシステムは本当に不思議です。”人はいいことしかいわないから、悪いところを賢く見抜くこと。” 確かに題字です。

 そしてちらりと顔を出した、「丸暗記型授業で育った子は、感情表現が苦手な子が多い」という話。それって自分もじゃん、と思いました。丸暗記型授業で育ってます、感情表現苦手です。自分の問題点も把握できました。感情を意識的に表現していかねば。確かに文章書いているときでさえ語尾を迷ったりするものなあ。

 さらには本当に、奴隷制度としか思えないような現実が日本にもあるということ。決して平和ボケしてはいけない現実もあるんだと改めて再確認。日本にも大学生を狙ったうさんくさい研修制度、資格制度がありますが、我がごととしてしっかり疑ってかからなくては。

 

 既に自分のこの3日間の記事を眺めると、感じたことが固定的になってしまっているみたい。疑って、壊してかないと。