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あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

七味【ベトナム滞在5日目】

 ブログ書いてると白いパソコンの上にミリ単位の虫が這ってるんですよねえ。日本でよく田んぼとか行った帰りにいつの間にか家に上がり込んでるあいつです。すばしっこいし。
 窓、閉まらないんですよね、完全に。アリも入ってくるし。不思議と甘いものぷんぷん入ってるゴミ箱にはたからないけど。(今ノートの上這ったので潰しました。輪廻してくれ)
 衛生? なにそれ? くらいに思ってないと生きられないホテル。内装きれいなんだけど…。
 
 
 
 今日は、ただただ「生の全面的な肯定」をされた一日でした。
 
 タクシーも使い慣れたし、道も覚えたいし、偶然の出会いも期待できるということでかなり歩くようになった私。といっても東京での生活のときの方が歩いてますが。
 歩いてHương Làìの方向に歩きながら、寄り道をしながら朝ご飯スポットを探すことに。途中カフェを見つけて入りました。そういえばチェーンのカフェにしか行ってないなあと思い、個人経営っぽいカフェを探した結果です。
 昭和のカフェ、という感じ。机も椅子も昭和の匂いがします。
 メニューを持ってきてくれて、見ると最後のページに「FOOD」がある。おお、おいしいそう。お気に入りMì sào bào(名前覚えた。肉のせビーフ麺みたいなやつ)もあるじゃないか。
 

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そういえばメニューに使われている紙、写真プリント用の光沢紙だった。お金かけるとこそこかい。
 
 
 ơi!(すみません)「FOODのねえ、Mì sà「No Time」へっ」
 時間外だったよう。じゃあ載せとくなし!
 
 Cà phê đàを頼み、コーヒーの甘さから栄養補給。ごくごく。しようと思いきや、まずい。
 
 

10回目 Cafe 77

場所: 77 Thủ Khoa Huân, Bến Thành, HCM/VN

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Cà phê đàの味: ₫àの「体験したことのない甘み」が最も強い。sữa đàとは別の意味でお茶必須。この甘さならsữa đàの方が好き。ガムシロップのようなまとわりつく後味。
 

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 窓の外を眺めていると、手動車いすのようなものでおじさまがおじさまの横に来ました。おじさま同士で道端で語らうおじさま。どうやら車いすのおじさまは宝くじの売り子のようです。たばこを吸い出すおじさま。
 たばこに出すお金があるなら…と思いますが、たばこくらいないとやってられないのかも、と思いながら。
 しばらくして、カフェの若い青年店員さんがするっと外に出て、そのおじさまの宝くじを買いに行きました。そしてしばしの団らん。お互い頑張れよ的な挨拶を交わしてました(たぶん)。「いいな」と思いました。
 
 
 時間ぎりぎりに腹ペコの足でHương Làiへ。白井さんもいらっしゃる。「何が美味しかったですか?」と聞かれ、「リンガ…(これ言っていいんかなあ?)…リンガーハットみたいな味がするやつです」と答える。「牛肉と花ニラの炒めもの」でした。いえ、ただ、日本の中華料理みたいな味がしておいしかったという意味です。誤解なきよう。
 

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 これがまあ、映画のようなお話で。生きてきた人生、人となり、話し方含めて巧いなあと思いました。
 Hương Làiは、孤児院にいた子、貧困家庭に育った子、ストリートチルドレンだった子たちを集めて、選抜を行い働かせて、そこで職業経験を積み新たなチャンスを与えるというプロジェクトレストラン。ふつうのレストランとは真逆のことをしているんです。
 外国人のお客さんと接する機会を増やすために(ベトナム人はレストランサービスのクオリティを高く求めないから)、国内メディアの取材は一切NG、さらには大口客であるツアー客もとらないというほどのこだわりっぷり。
 
 はじめはHương Làiの概要をお話しいただいていたのですが、次第に人生相談のような形に。核心に迫っていきます。
 
●:白井さんの教え
・:考えたこと
 
●何かをやるときは、一長一短必ずある。その長と短のどちらの方が「マシ」かを選ぶ。
・好きなことを選ぶより、嫌いなこと、避けたいこと、怖いことから逃げていくことの方がやりやすい
●オープン当初2年間赤字だったけれど、来てくれたお客さんの評価が自分の予想と合っていた。そのことが自信につながった。
●金がなくてもやりたいことだった。まるでその子の親のように。
●私たちが街に出ていろんなことに気づこうと思っていれば、街が私たちに気づかせてあげてくれる。
・自分がべらべら話しすぎたかも、と思ったときの話してた内容が自分の好きなこと。
・人によって話す口調を変えたくない。ウチとソト隔ててるのが気持ち悪い。
・「頭は意固地だけど体は正直」。体を無視していると気持ち悪くなる。
●和して同ぜず。調和しろ、同化するな。
●すべての仕事はただの役割分担。いいもわるいもない。働いているその人が仕事を好きか嫌いか。
●初日に書いた、「理解と共感」の違いのような話が再来。「私とあなたはちがうんだ」という知識を得る段階は理解。どうしてだろう? とさらに踏み込みその文化を自分で利用してみる段階が共感。「理解」は知識を得ること、「共感」は知恵を得ること。
・浅田さんが自分の過去を言おうと思って泣いた。後で木村さんが「がんばったね」と声をかけているのを見て、そうか、これだけの人がいる前で過去をさらすこと、彼女はがんばったんだなあと気づいた。
 
 

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・という彼女を教え諭す白井さんの手法が鮮やかだった。まず泣き出した彼女を安心させるために、名前を呼ぶ。「何さんだっけ?」「よし、じゃあ浅田さん」というように。出過ぎた感情をほどよい状態まで戻す。そして、「どうすればいいだろう」「どうしてだろう」と、『如何せん(どうしよう)』の思考に持っていく。「分からない」に逃がさない。それが分からないようなら、立場を変更させる。「自分が教える立場ならどうするか」を考えさせる。「同じように自分に自信がない子に、どういう言葉をかけるだろう」と。そして彼女が気づき、共感したところで最後、結論を述べ、「分かった?」と聞く。はいと答えるけれど、ちゃんと自分の意志で言ってほしいらしく、「ホントに分かった?」と何度も聞く。結論を「自分に合わせて」ほしくはないらしい。この鮮やかさ!!
・「人様に迷惑をかけるな」という日本の教育方針は、「かけるなら家族に迷惑をかけろ」という覚悟があってのもの。迷惑は一定量他人にかけるもの、かけられるもの。
・信仰対象を自分にすること(自信)ってなんだろう。「信じる」という行為は、0(信じない)か100(信じる)しかない。それが自然の摂理にまず合ってない。自分ではない、他を信じることは楽である。なぜなら、他を常に知覚することはできないから。見えないところを「信じる」「思い込む」ことができる。けれど自分は常に知覚している。信じても、すぐに信じられなくなる。自信なんてものがあるのだろうか。それは本当に私に必要なものだろうか。自信という最後の後ろ盾を忘れたときに、振り返ったら自信ってあるものじゃないんだろうか。
・喜怒哀楽は化学反応。「たのしいこと」と「かなしいこと」があるのではなくて、あるのは「喜怒哀楽(反応)」と「無関心(無反応)」。この軸で感情を捉えてみると分かりやすいかも。
●How to do good(どう巧くやるか)よりHow to be good(どう巧くあるか)。
自己啓発的な内容の主張からは、方法論ではなく精神論を学べばいい。
●自分の人生を切り開く、自信を持つといったことは、切り開かない自分、自信を持たない自分に気持ち悪くなったらやればいい。そうでなければやらなくてもいい。
・自分の子どもに、白井さんがお話ししてくれたようなことは教えられない。子どもには本当に旅をさせて、旅先で人生の師を見つけさせた方がいいな。
・ことばの定義のちがいは、使う言語のちがいと同じ。
・自分のことが気になるということは、世界(他人含めて)が気になるのと同じこと。自分=世界。
 
 御園生先生も教育論を伺うほどの本当に底の深いお話でした。
 
 その後余韻に浸るため、Hương Làiでそのままランチ。いただきました、星3つです。
 
 

11回目 Hương Lài

場所: 38 Lý Tự Trọng, Bến Nghé, Quận 1, HCM/VN
 
cà phê sữa đàの味: 少しのたまりがある。甘さは丁寧。どこよりも繊細。
 

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 お店を出て、白井さんの奥様の刺繍小物店「Thêu Thêu 」にもお邪魔しました。スタッフの方、やさしい。そこまで説明してくれる方ってホントにここだけ。想いは通じる(簡単じゃない)と再確認。
 
 さらにさらに浸りたい私は、サイゴン川のほとりへ。船を眺めたり、桟橋の下の骨組みのところを歩く青年たちを眺めたり、対岸をスクーターで走る人々を眺めてみたり。
 
 余韻に浸りたいときには写真が一番ですね。
 
 
 

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 と、私がヨインにずぶずぶ溺れていると、靴磨きの青年が。また押し売りか、と思ってNo,No。というと、No Price OKと言ってくる。ので、警戒しつつも靴を渡す。かなり磨いてくれる。白いペンキみたいなのも塗られて、新品さながらに。靴を見ながら、青年は世間話。
 「何人?」「韓国人だよ」「あー、いい国だね。韓国はいい国だったけど、中国は嫌いだね。日本も好きだよ」「ああ、日本は行ったことがある。いい国だね」「東京だっけ?」「そうそう」「歳は?27?」「(27ってお前…)うん、オレ、27」「奇遇だね、オレもだ。同い年同い年」
と、持ち前の嘘八百で会話は続く。靴は磨かれる。
 その間ずっと「No Price OK?」と聞いていたが、全部OK,OKとのお返事。
 で、やっぱり最後に来た。「Money」。は?
 「お前最初No Price OK言うたやん。お前がNo Priceじゃないならオレは頼んでないよ」と説得する。気づくと周りをこやつの友だちに囲まれてる。やっぱりな。お前磨きながら奥のベンチ見てたもんな。やるか?
 「金はない。ドンもない。ウォンもない。ATMは使えない」と一点張り(どこにそんな外国人が)。しつこく吠えてきたので「分かった分かった、これやるよ」と昨日買ったZIPPOを渡してみる。オイルはないけど、ちゃんと使えるようだ(すごい細かく確認してくれた)。友だちも呆れて帰っていき、靴磨きの青年が取り残され、結局「じゃあもういいよ」と諦めて帰って行きました。こちらもベンチから離れる。
 
 勝ったー! タダで靴磨き、しかもZIPPOのお墨付きまで! 粘り勝ちですね。「お前が日本人って言うから近づいたのにさー!」なんて彼らの会話を想像してほくそ笑む私。ふっふっふ。
 金銭感覚も磨かれました。
 
 そんなことがあって、家に帰りシャワーを浴びてふうっと息をつく。iPhoneに通知が溜まっており(携帯回線がつながっていないから)、眺めていると御園尾先生から、「ミーハンとの連絡が取れた」という報せ。もう彼女カフェにいるから行けとのこと。
 実は吉川先生との座談会(2日前)のときに、ミーハンさんを紹介していただいていたのです。ミーハンさんはベトナムでカフェ(M2C、từơc Coffee、なんとHILAND CAFFEEも)のチェーン経営をされている女性です。カフェ文化について調査するのにもってこいの方。
 まさかこのタイミングで! とちゃんと体をふきふき、「ちゃんとした服装」の方に着替えて髪をセットするのを忘れて大急ぎでタクシーでミーハンさんの待つM2Cへ。
 
 本当にざっくばらんな方、という表現がよく合う方。聞くことすべてにお答えいただけました。さらにお茶も夜ご飯も奢っていただいてしまい、感謝感謝。
 
 まずカフェを開こうと思った経緯について。元々は獣医をやりたかったのだが(ペットが好きなので)、経営者の親に止められ(死ぬまで親は子どもの進路に手を出すのがベトナム社会らしい)、経営の道へ。最初はバーやクラブも考えたが、この道にはコネ、ヤクザ、アングラ感のぷんぷんする匂いをかぎつけ断念。ちょうどそのときホーチミン市にカフェが流行りだしていたころだったので、美味しい料理を提供するカフェ、という立ち位置でカフェを展開。
 それぞれのお店でコンセプトもターゲットも違うから、お店同士での競争はないみたい。すごい…。
 
 そして、なぜそんなにベトナム人はカフェに行くのか、という問いに関して。
 
 若年層は特にそうなのだけれど、やはり家に居場所がないというのが大きいらしい。ベトナムの家族は同居することが多く、一人暮らしの人は本当に少ないそうだ。それは家族、身内を大切にする多くの農耕民族に見られる傾向。それがベトナムにもあるらしい(日本にもありますね、あるところには)。そのため、友だちなどとゆっくり話したいときに、お互いの家に呼んでおしゃべりするのは気が引けるしめんどくさいと。外は暑いし、じゃあカフェに行こうか、となるらしいです。「なるほど!」と合点がいきました。
 日本のカフェが(最近はそうでもないけど)「文化」として成り立つほど賑わっていないのは、結局は居場所があるから。それも一人暮らしが多いことが原因のようです。ベトナムにはあまり「大衆酒場」もないので、本当に集まって話したいならカフェが一番、ということ。日本のカフェが「文化」たり得るものになるとすれば、「おしゃれ」「コワーキングスペース」のいずれかでしょうか(もちろん「文化」という言葉の指すものは人それぞれですが)。
 さらにベトナムのカフェには料理が豊富にあります。レストラン並みに。それは、ベトナム人に「モノの価値」を理解してほしい、という想いでミーハンさんが流行させたものだそう。「日本のワインの感覚がベトナム人のコーヒーの感覚」のようです。(日本も最近コンビニコーヒーなどでそうなりつつありますが、)豆の種類や焙煎方法などにこだわりがなくても、何でもいいから飲みたいと思う飲料、それがコーヒー。
 
 植民地時代にコーヒーが入ってきて、おじさまたちが、家では話せないアレやコレの話を肴に、道端に出てコーヒーを飲むようになった。それが発展して今のカフェになった。この流れが重要そうです。
 
 経営に対する見方、職業観も彼女独特でした。彼女は今、設計会社を本業にカフェ経営と貿易会社を「趣味で」やっているそうです(さらっと言うところじゃないっす!)。
 仕事もいろいろあって、私は「人の役に立ちたい」と思っていた。それで保険会社のコールセンターの下請けをやっていたけれど、「このやり方じゃない」と思ったそうです。ここ、重要ですね。「人の役に立ちたいけど、このやり方じゃなくていい。」そうして今、趣味でカフェ経営。かっこいい…。このやり方で、人の役に立てている。それが彼女の核になっているみたい。
 
 
 カフェのスタッフと本当に気軽に話している彼女が印象的でした。自分だけしか頼めない特製チャーハンとお茶も出していただいたり。その中の「女の子」と呼ばれている男性店員が「キミの電話番号を教えてくれ」って言ってたよ、と言われて「お、おう…」となったり。
 ここで働いているスタッフさんはとても楽しそう。そればかりではないと思うけれど、いい場所だなあと思った。自分がカフェやるならこういう店にしよう。
 
 
 

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ミーハンさんと、ご自身が経営なさっているカフェのひとつ「M2C」にて。