あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

なんとかしてわたしたちは生きていく【ベトナム滞在9日目】

 6時間寝て、朝起きる。昨晩洗濯できなかった物が床に放置してある。昨晩、誰かが洗濯機の中に衣服を放置していたからだ。誰だ。101の人か、202の人か。

 しかしここで洗濯をしてしまうと、1時間弱かかってしまう。Công Viên Tao Đànの鳥カフェには行けなくなってしまう(最近ただの公園のことをCông Viênと言うようになってしまった)。貴重な14日間の中で、鳥カフェに行ったのはいまだ3日。少なすぎる、あまりにも少なすぎる。行きたい。しかし臭い。洗濯することを選び、1時間をブログを読んだり溜まっていた調べ物をする時間にあてた。

 

 今日の集合場所、Ga Sài Gòn(サイゴン駅)へ。ここからハノイまで32時間の列車旅…ができる。今日はお隣の駅のGa Biên Hòa(ビエンホア駅)までの40分の乗車。あっという間でした。

 久しぶりに「一定速度で動いてくれる箱」に乗った感覚。高島屋のエスカレーターにも少し違和感を覚えるほどこの箱に飢えていたので、久しぶりに落ち着き。そして車体がいい。駅のホームから少し沈んだこのくらいの電車が、ちょうど電車のロマンをかきたてるのには、ちょうどいいのかも…。

 

 

 

 

 

 

f:id:o5h4pi:20160909211956j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909211937j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212132j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212201j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212040j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212100j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212132j:plain

 

 

 

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。いろんな人が、力を込めてひとつひとつ作った土台の上を、あっという間に過ぎていく感覚…。

 

 私たちが座ったのは、下から二番目のランク。木製の椅子にエアコンあり。エアコンが効き過ぎていて寒かったので、上のランクの車両を回ってみたりしていました。ひとつ上のランクは飛行機のエコノミークラスのようなイス。でもイスとイスの間が狭く、向かい合うお客さんの足がひっつきもっつきしてる感じ。あれ、これなら(短時間なら)木製椅子の勝利じゃない…。もう一つ上のランクは、完全個室。でも、外から私生活が丸見え(カーテンがあるのに、閉めている人が少ない)。まあ、プライベートとパブリックの境界も人それぞれ…。

 駅に着き、電車から降り、発車する電車を見送る私たち。確かに駅には何か、わくわくさせるものがありますね…。いろんな物語が生まれていそう。カフェといっしょだ。

 

f:id:o5h4pi:20160909212218j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212240j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212255j:plain

 

 

 駅から出て、バスに乗り、教会へ。Giáo Xứ Thái Hòa(タイホア教会)です。ベトナムでも珍しい、カトリックの教会です。

 まず敷地が広い! 信者の方がたくさんいらっしゃるのでしょうか。東京ドーム3個分はあるかも。

 

f:id:o5h4pi:20160909212312j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212330j:plain

 

 そこで神父さんからお話を伺いました(お名前を失念しました…)。

 

 お話を伺いながら思ったこと。ベトナムの空気感好きだなー。自分の勝手なイメージですが、カトリック教会の方々って、みんなピシッとしていて片時も気を抜かず足癖悪かろうもんなら定規でビシーッ! と思っていました。しかし神父さんの話し方を見ていると、本当に安らぐ。「どうぞご自由におくつろぎください」というメッセージを体全体でお示しなさっている。日本なら「ほらっ、しっかりなさい」と言われそうなところを、「まあ楽にしてくれや」と自由にさせてくれるベトナム。もちろんいろいろな制約、最低限のマナーはありつつも、基本的には自分が楽なように、やりたいようにを許してくれる、それに共感してくれている(思い込みも含むけど)。お話を聞きながら勝手に安らいでました。

 

 伺ったお話の内容は、とある大学の講義で学習した内容にそっくりでした。が、やはりリアルな一面も垣間見えました。

 初めは教会がその周囲のエリアの政治を担当していきました。悪い者がいれば懲らしめ、助けが必要な者には手を差し伸べ、市場を開いたり祝祭を開いたり。しかしベトナム社会主義をとることになり、元々宗教を否定する主義であるため、カトリック教徒の方々も排斥されることに。必死に抵抗し、話し合いを続け、今の政府はそのころに比べれば自由にさせてくれているとのこと。

 しかしいまだに、慈善活動は原則禁止されており、活動するためには警察に届け出をしなければならない。ほんの数年前まではこうして外国人を招いて自分の教会に入れることでさえ許可が必要だった。

 きれいごと、とは違いますが、やはりそうした緊張感のある闘い、話し合いがあったからこそ、こうして子どもたちが笑いながら歩ける教会があるのだなあと、良し悪しは抜きにして、そのダイナミクスに驚きました。

 

 

 

f:id:o5h4pi:20160909212506j:plain

 

 

 

 いろいろ教会の敷地内を見学させていただいたのですが、一番好きだったのが最後に案内していただいた「墓地」。遺灰の入った棚を積み上げてある礼拝堂の周りに、キリスト教式の墓がだーっと並んでいる。それぞれ同じような形をしている列もあれば、中国文化と合体してできた墓もある。

 ざらざらっと調べたこと。カトリックは死を、人間の原罪がもたらした刑罰と見なしている。つまり、人間は生まれながらに罪を持っており(イブがリンゴを食べた)、その刑罰が死なのだと。さらに、遺体を燃やさずそのまま(この教会では遺灰があった。しかし日本の火葬と違い、「お骨」という概念はなく、骨ごとすべて燃やしてしまうということ。これはどういうことだ? 日本に帰ったらじっくり調べよう。)土葬することで、肉の復活、つまりすべての死者が復活する最後の審判の時を待つ。

 それは、言うなれば死を「否定的に」見ているということ。死者は生に還ってくるべきだという考え方だと思います。それは日本の宗教とはまた違うなあと感じました。

 

 

f:id:o5h4pi:20160909212528j:plain

 

 

 

 例えば私の所属しているお寺は浄土真宗本願寺派(いちおう)。祖母の実家がそのお寺で、お盆に里帰りをしたときは寄ることにしています。そこの住職さんのお話では、人間は死ぬと仏になる(成仏)。仏になると現世の名前とは違う名前を与えられます。つまり仏としてのその人、になるのです。そして三十三回忌を過ぎると、「その家の先祖」という存在になり、その人自身の個性は消滅します。以降、「その人」に名前を与えられることはありません。

 要は、人間は死ぬと「祈られる対象(≒神)」になるというのが仏教(少なくとも私の宗派は)です。これは一神教ではまず考えられないことです。

 

 そんな違いを思い浮かべながら、墓を見ていると興味深く、やはりお墓、死が描かれているものっておもしろいなあと思います。

 

 

f:id:o5h4pi:20160909212553j:plain

 

 

 その後教会の皆さんからのご厚意で、お昼ご飯をいただくことに。夜ご飯がいらないほどたっぷりいただきました。

 

 教会からはバスで帰り、帰路1時間半。その道中仮眠を取りましたが、そこで自分が疲れていることに気づきました。そういえば2日くらいぐっすり眠れてなかったからな…。今日はゆっくりすることに。

 

 そういえば、ホーチミン市内から出たのはこれが初めてでした。感じたのは、「やっぱり田舎っていいなあ」ということ。そこにいる子どもたちは本当に元気いっぱいだし、人見知りする子も少なく、こっちも全力で遊びたかった。

 

 

 植物含め、すべての生き物が楽しく暮らしているように見えました(これは妄想)。自然を排除しがちな(と聞いている)キリスト教会としては、これほどの自然を自分の敷地内に止め(その自然と戯れるという感覚を子どもたちに体験してほしい、という神父さんのご意向)ているこの光景は、珍しいなと思いました。

 

f:id:o5h4pi:20160909212352j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212422j:plain

 

f:id:o5h4pi:20160909212444j:plain

 

 でもその一方、ホーチミン市と比べて商店も少なく、確かに仕事があるかといわれると、ない。現金収入を得るのなら、やはり都会に出るか、工場に入るかしか選択肢がなくなってしまう。確かに食べていくだけなら、農業でもいいのだけれど、カメラがほしい、パソコンがほしい、勉強がしたい、音楽が聴きたいとなると、「現金」という便利なきっぷは必要になってくる。自分はまだ大学卒業後のことを考えていないけれど(妄想はするけど)、どちらを取るのかなあと想像が膨らみました。まあ、どっちも取れる形を見つけるんだろう。

 

f:id:o5h4pi:20160909212634j:plain

 

 

 

 

f:id:o5h4pi:20160909212651j:plain

 

 

 

 

 

 その後、バスで2時間ほどかけてホーチミン市ベンタイン市場へ帰り、解散。ちょうど市場前だ! と思い、笠を探す。今更ですが、初べんたん。

 「何がほしい? ズボンー、ぼうしー、ようふくー」という姉ちゃんたちに辟易しつつ(もう二度と入らない)、お目当ての笠を見つけました。値段を聞くと、5万ドン。え、高くね。

 

 ベトナムの笠には二つタイプがあり、ひとつが100均レベルのまずまずの笠、もうひとつが少し耐久性を持たせた作りになっている笠。前者が5万ドンで、後者が8万ドンという。高すぎ。しかも耐久性のある方は絵柄があるものしかなく、「シンプルイズベスト」主義の私のハートは動かない。ベンタイン市場の中ではまともに値段交渉もさせてもらえないので、だったら交渉できそうな市場街に行こうと、初べんたん即終了。

 

 前々から気になっていた市場街で、さっそく笠に目を付け、価格交渉。5万ドンかあ、高いなあーあ。「3万ドンは?」「アン、ダメダメ。」「なんでぇー、いいじゃーん」「ダメダメ」「じゃあ3万5千ドンは?」「うーん、いいわ。じゃあ3万5千ドンね。」安くできんじゃねーかよ。

 女子の特権として、男の店員さんに優しくすると交渉で有利、というのがありますね。そういうときだけ「女子になりてぇー」と思う私ですが、今回は男でよかった。あのくらいのおばちゃんは「なんでぇー」とかいいながら肩ちょいっと押すだけで油断させられるのさ。ふっふっふ。(ごめんなさい、値段交渉で勝った場数が少なすぎて、一個一個が嬉しいんです)

 

 そしてカフェ行くか、と、タオダン公園前のTrung Nguyênに。でも、これってやってるのかなあ。電気ついてないけど。と思ったら、お客さんがちらほら座ってる。なんかTrung Nguyênに見えない…。

 確かにメニューの作りも安っぽく、たぶんTrung Nguyênのコーヒーを提供しているカフェなのかなと仮説。一応福沢諭吉の本も置いてあるし。

 そこのスタッフのお姉さんが、「それ買ったの?」と私の笠を指さしてくる。「うん、そうだよ」と言うと「いくらで?」と聞いてくる(この「いくらで?」を彼女は「ハウ マッシュ」と発音していた。私が「ハウ マッチ(ってこと)?」と聞き返すと、「Yes、ハウ マッシュ」と言ってくる。なんかおもしろかった)。3万5千ドンだというと、「たっか笑」と笑われた。本当の価格は2万ドン(100円)らしい。まあ、作りは100均だからな。

 

 さすがに疲れを感じ、ホテルに入り、ゆっくり休むことに。今日はゆっくり休んで明日早朝から鳥カフェ行くぞ。Mì Sào Bòを食べられるだけ食べておこう。こっちの私のソウルフード。待ってろ、みーさおぼー。

 

 

 P. S.

 ベトナムには「自動ウォシュレット」がなく、トイレの横にシャワーヘッドのような手動ウォシュレットが備え付けてあります。この手動ウォシュレットをスマートに使いこなす術を誰か教えてください。苦戦しています。水の勢い強すぎたり。