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あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

文化が土地に受け入れられるということ

 コーヒーについて調べています。このベトナム研修の成果をまとめる報告書作成のためです。あと趣味です。

 

 ホーチミンでよく見られる、「Trung Nguyên Coffee(チュングエン。ただし発音は「チュンウェン」に近い)」というチェーンのカフェがあります。スターバックスなど外資系カフェを抜いてホーチミンで最も有名なカフェのようです。

 このカフェの屋号「Trung Nguyên」。これはどんな意味があるのでしょう。

 

 授業内でも触れましたが、現在使われているベトナム語は「クオック・グー」といいます(韓国語を「ハングル」、日本語を「ひらがな」などと呼ぶようなもの)。その元になったのは、チュノムという中国語由来の漢字。つまり、ベトナム語の単語はすべて、チュノムという漢字に置き換えることができるということになります。

 そこでこのTrung NguyênをGoogle翻訳でそれぞれ中国語に変換してみました。すると、「中原」となりました。「ちゅうげん」と「チュンウェン」、「チュングエン」。確かに似ています。恐らく間違いなさそうです。

 

 さて、この「中原」という言葉、何を指すかというと、古代中国文明の発祥地のひとつとされている地域です。黄河中下流域に位置します。

 情報ソースが足らず信用性にかけますが、推測を書いておきます。中国には、中華思想中国中心主义)という思想があり、これは「中国が世界の中心である」という思想です。そういえば、中国は「中」心の「国」と書きますね。これに基づいていえば、「中原」も「中」心の「原」ということになります。

 

 中原は、漢民族の勢力が拡大するまでは、現在の河南省一帯を指していました。河南省といえば、洛陽やシルクロードの先端などがあった地域です。中国の中でも、重要な地域だったといえるでしょう。

 

(以上の情報源はWikipediaです)

 

 「Trung Nguyên Coffee」はこうしてみると、「銀座カレー」や「ニューヨークホテル」などと同じように、有名な地名を看板として掲げているのかもしれません。

 

 

 さて、中国文化について調べを続けている間に、文化人類学の授業を受けてきました。ちょうど、「中国文化」が商人の手を経て世界中に広がっていく様子を俯瞰しました。本当にタイミングいいな…。

 現在は欧米至上主義が蔓延していますが、少し前までは全く違った。「歴史がある」ということの力はこれほどのものか、と中国の力を体感しました(おおざっぱに見ただけですが)。

 

 さて、「文化」が移動する面白さを知り、いろいろありまして「般若心経」がどのように日本に伝えられたかを調べることにしました。

 とあることがありまして、私は般若心経を全文暗記しています。300文字程度なので、僧侶のみなさんも覚えやすいとの「般若心経」。その縁もあり、興味が湧きました。

 

 もちろん仏教の経典ですから、原本はサンスクリット語で書いてあります。卒塔婆などの上に書いてあるアレです。

 さて、日本の般若心経の読みを冒頭から少しひらがなで書くと、

 

かんじーざいぼーさつ ぎょうじん はんにゃーはーらーみーたーじー

しょうけんごーうんかいくう どーいっさいくーやく

しゃーりーしー しきふーいーくう くうふーいーしき しきそくぜーくう くうそくぜーしき じゅーそうぎょうしき やくぶーにょーぜー

 

 となります。ちなみにお経は漢字一文字を同じペースで読む、という規則がありますので(宗派によると思います)、「ー(伸ばす音)」はきちんと伸ばして読みます。

 この読み方、というより音ですが、サンスクリット語はまるで違います。

 

アーリヤーアヴァローキテーシヴァラ ボーディヒサットヴォ ガンビーラーヤーム プラジュニャーパーラミターヤーム

チャルヤーム チャラマーノ ヴヤヴローカヤティ スマ パンチャ スカンダーハ タームシュチャ スヴァバーヴァ シューニヤーン パシュヤティ スマ

イハ シャーリプトラ ルーパム シューニヤター シューニヤタイヴァ ルーパム ルーパーン ナ プリタク シューニヤター シューニヤターヤー ナ プリタク ルーパム ヤドゥルーパム サー シューニヤター ヤー シューニヤター タッドルーパム エーヴァムエーヴァ ヴェーダナー サムジュニャー サムスカーラ ヴィジュニャーナーニ

(引用元:般若心経 サンスクリット語 カナ読みと和訳 私訳(2): 夢は夢 幻は幻 現実は現実

 

 それもそのはず、日本語の般若心経は、古代中国語(=漢文)に訳されたお経を日本語で音読みしているだけなのですから。サンスクリット語の語感も失われています。ちなみに、上と下の般若心経は行が対応しています。同じ行で同じことを言っています。こう見ると、やはり原本とは相当異なるものになっていますね。

 

 さて面白いのは、このサンスクリット語の般若心経の唱え方です。

 まず、日本語の般若心経の唱え方です。

 

 

 日本語のお経は、このように同じ声調を保つのを基本とし、息継ぎの後は低い音から始める、というようにお唱えします。よく和尚さんが唱えるお経はこのような感じですね。

 対して、サンスクリット語のお経はどうでしょう。

 

 

 このように、歌なのです。これはお経を歌に乗せて詠んでみた、というようなものではなく、まさしくこの声調で読まれるのです。いわゆる、マントラ(大真言)というものです。最近はヨガ・ミュージックとしてもその名が広まっていますね。声調が異なれば違う言葉になるというのは中国語やベトナム語と同じ感覚です。

 

 ここで疑われるのは、「音楽」という概念そのものです。私たちは「言葉」と「音楽」を分離していますが、はたしてこれは完全に分離されるものなのか。少なくとも声調言語においては、分離できないと思います。

 

 

 元々はただの「鳴き声」だった「言葉」と「音楽」。その鳴き方を変えることによってそこに自分の意志を添え、自分以外の存在に何かを「伝える」。ますます不思議になってきました。言語。

 

 

 私が好きな般若心経の一文はこれです。動画でも最初の方に繰り返されていますが、この般若心経を通して釈迦が信者に唱えるようにと伝えた呪文です。

「ガテ ガテ パラガテ パラサムガテ ボーディースワーハー」

漢語で書くと「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそーわか」と読みます。

 「悟りへ行け 悟りへ行け 彼岸へ行け 正しく彼岸へ行け 菩提よ 捧げ物を受け取り給え」という意味です(サンスクリット語には日本語に訳せない箇所が多く、かつ様々な意味を含む言葉が多いため、この訳は一例だと思ってください)。