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あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

上野と足音

 先日久しぶりに上野に行った。

 ちょうど親が上京してきており、「ゴッホゴーギャン展」に行きたいと言ったからである。完全に受動的にその展覧会に赴いてしまったが、よく知っているようで全く知らない二人の遍歴を知るのはおもしろかった。芸大の人間ではないからか明確に書くことはできないけれど、二人は根底に流れるのは同じものだったにもかかわらず、表面の方法論や芸術論が異なったために別れてしまった、そのことが作品にもよく出ていることにだけ触れておこう。

 

 私は美術館が好きだ。芸術作品そのものが好きだから、自分なりの楽しみ方を見つけたからというのもあるが、まずあの空間が好きなのである。空間のデザイン、といってもいい。美術館での仕事を詳しく聞いたことはないけれど、きっとあの空間自体が芸術作品といっても過言ではないだろう。近年、インスタレーションアートというものがあるが、これは私の大好物である。絵画は、本やネットでJPGファイルやPNGファイルで見ることができてしまい、満足したような気になれてしまう。けれど、その空間に行かなければ味わえないことが必ずあって、それがインスタレーションアート然り美術館なのである。

 だから、私は美術館の説明文もくまなく読む派である。その文字の書いてある壁の余白とその文章の位置関係はどのようになっているか。余白に何を語らせようとしているのか。ただの道具を妙にありがたがっているだけかもしれないが。

 

 美術館は、基本的には静かだ。人が多くても、話し声はするが賑やかではない。少なくとも、アメ横の雑踏に比べれば静かだ。

 そんな空間では、私はひとつの音に注目せざるを得なくなる。足音だ。人は足音を立てる。当たり前のようなことに聞こえるかもしれないが、実は私が「この人は自分の足音を意識していないんじゃないか」という人は結構多い。それも当たり前なのかもしれないが、ひとつだけ確実に言えることは、「みなさん結構足音大きいですよ」ということだ。

 ドタンドタンと足音を立てて歩くことが醜いだとか、スマートな都市住民としてどうなの? だとか、そんな感想を抱いているのではない。ただ、良くも悪くも気になるのである。なぜ人はそんなに足音を立てなくてはならないのだろう、と。私はその度に、自分があまり足音を立てない歩き方をしていることに気づく。

 

 何度も言うが、「みんな足音を立てずに歩けよ」ということを言いたいわけではない。ただその違いが面白いだけである。

 私は幼いころからスニーカーばかり履いてきた。スニーカーはご承知のとおり、足音が立たないように、ゴム底で作られている。コツコツと音の立つ靴を履いたのは高校生のころ、当時自分の活動範囲が、福岡の田舎から天神という中心街まで広がったとき、母親が「そんな靴じゃあ天神で恥ずかしかろうが」と言って買ってくれたものである。あまりにコツコツするもので、タップダンスをやってみたくらいである。

 その靴で歩くとき以外、私の足音はほとんど無かった。特にコンクリートの上を歩くときはほとんど無音に近かった。久しぶりに山に登ったり砂利道を歩いたりしたときに、ザクッザクッという音に心を惹かれた。

 

 私は忍者にでもなりたいのだろうか? そういえば昔からスパイには憧れている。スパイになろうとは思わないけれど、スパイ活動のスリルを味わうのは好きである。お化け屋敷のスリルよりも、ジェットコースターのスリルよりもそれが好きだ。とにかく、スパイになりたいという前提があればつじつまは合うが、おそらくそんなに単純なことではないと思われるので憶測はこれくらいにしておこう。ただ、みなさんの足音を私はいつもスパイしてるぞ、という話である。

 

 あと上野が好きだという話である。住みたい。上野で生活してみたい。上野に関する私の受け取った情報から生まれた偏見が混じっているかもしれないが、上野という土地、そこにいる人に私はなじみたい。今の家から結構な距離があるから結局は行かないのだけれど。ああ、学校への通り道にあればな。上野。