あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

移動にもっと手段を

 自転車が好きだ。という記事をまた書く。

 特に東京、広げて関東は走りやすい大通りが多い。江戸時代の街道もそのまま残っているから、ほとんど原付バイクのように走ることができる。それなのになぜこんなに電車と車ユーザーが多いのか。

 そもそも私は自分が運転せずにどこかに連れて行かれる感覚があまり好きではない。特に毎日同じ場所を行ったり来たりするなら、断然自分で運転した方が楽しい。自分で運転しなければ、どの道をどのように通ったのかが分からなくなるではないか。今はインターネットさんが種々の地図を用意してくださっているから問題ないが、地図がなければどうするのか。どっちに富士山があって、どっちに自分の家があるのか、どこにいてもだいたい検討がつく方がなんとなく安心しませんでしょうか。

 電車や車でよく聞くのが、誰かと二人か三人くらいで乗り物に乗り、乗っている最中の会話に困るというもの。だから電車には広告や車窓などの「目のやり場」があるし(だから車窓の黒い地下鉄は大嫌いである)、車にはカーラジという「耳のやり場」がある。別に二人でいるのなら楽しく会話をし続けなければならないという決まりがあるわけではないが、それにしてもあれほど複雑な気持ちになる場所はない。電車にしても車にしても、それらの生い立ちを見れば、あれはただの「動く倉庫」だと見える。倉庫をいくら飾り付けしようが倉庫は倉庫だ。そして、私はそういう倉庫が嫌いである。鉄道各社は満員電車を効率よく「流して」いくために、ICカードの導入やら空いているドアへの誘導やらを行っているが、いくら先進的ロジスティクスを発揮しようが人がいるからには満員電車は満員だ。もっと「満員電車に乗ること」に迎合せず、他の乗り物で通勤・通学する人が増えたらと切に思う(社会人経験がないから何とも言いにくいが)。

 そうなると、車は渋滞するからやはり二輪車ということになるだろう。二輪車は四駆車よりはハンドルもよく効くし、税も低ければガソリンも少ない(はず)。確かに荷物を運ぶのなら四駆車やトラックが必要だが、私がいつも隣を走る車を見ている限りでは、荷物や同乗者がパンパンに詰まっている車はほとんどない。ほとんどの人は、車という空間を十分に活用できていないのである。

 さらに車の方が一般的には優れていると思われている点として、「なんかカッコイイ」というのと「エアコンが効く」というのがある。前者については人それぞれ好みがあるから何とも言えないが、私個人としてはブランドに対する理解が全くないので無視するしかない。どでかいルイ・ヴィトンの財布よりも、後ろポケットにすっと入る結婚式の引き出物の牛革長財布の方が何倍もよろしい。ポケットが少なくボールペンやらガムやらタバコやらが中で縦横無尽に駆け抜けるコーチのバックなんて想像したくない。ボルボに乗ってデートに「はあい♪」なんてやって来る彼氏にキュンキュンしてるバブル女の時代は終わったのだ。後者については、着込めばよろしい。私が人一倍寒さに鈍感であるせいもあるが(私を超える恒暖動物、常に体温の高い人は今まで2人しか見たことがない)、エアコンなどただガソリンを余計消費するだけで、まさしくエコエコと叫びながら平気で「機密情報は紙で」と述べる文科省さながらである。ユニクロヒートテック1500円を引っかけてこよう。

 

 これまた社会人経験がないから何とも言えないが、特に出勤時間などが決まっていない人も最近は増えているだろうから、そういう人ほど二輪車、できれば自転車で移動するべきだと思う。最大の理由は、移動するときに通る地域の特色がなんとなく分かるから。車で通りやすい大通りだけを疾走してしまうと見逃す「色」がたくさんある。一歩路地に入れば、旧道の雰囲気を思い出させる道はたくさんあるし、こんな家がこんなところに!という発見もたくさんある。道に関して少し深掘りすれば、今の大通りと呼ばれる道はすべて、車が通りやすいようにそれまでそこにあった集落などを排除して生まれた、それ以前の常識としてはいささか「おかしな」道路だ。建築家によれば、もともと車が走る前までは、人間の身体感覚に合わせて道路の幅も決められていたそうだ(それが残っているのが旧道や路地)。車ユーザーを辺鄙な場所に連れ回してタイヤがすり減るようにすれば自社が儲かると息巻いて創刊された飲食店ガイドが社会的地位を得るくらい車という乗り物は一般的になってしまったが、そんなに車って大事なものなんでしょうか。車という閉鎖的空間にこもって移動するよりも、きっとその場所により近づけるのではないかなあと思う。地理の勉強は嫌いでもこういう探検が好きな人はぜひ自転車を(バイクだとノロノロ道路を走るのが難しいだろうから)。まあ、大通りがなければAmazonでポチって翌日到着、なんてこともできないのだろうけれど。

 また、自転車ならば免許もいらないから、小さいころから遠くの地域まで自分の意志で行くことができる。高校生になるまで自分の地域から自分では一歩も出たことがなかった私からすれば、自分の子どもには早くからそういう経験をさせておきたいなあと思う(親の理想の押しつけです)。

 

 しかし、自転車運転もなかなかハードである。特に走りやすい大通りを走るときは、バイクや車ユーザーとほぼ同等の注意力、集中力が必要である。当たり前だが左側通行もあるし、右折時斜め後方確認も欠かせない。スクランブル交差点を越えるときにできるだけそこを歩く人に不要な恐怖を与えないように通過する方法だの、決して楽ではない。閑静な住宅街でさえ、角からのお子様の飛び出しにも注意しなければならない。まずはこうしたことを学んでおかなければ自転車乗りとしては失格なのだが、それにしても自転車乗りの立場は微妙だ。東京で自転車で1時間かけて通学していると言うと、「危な」とまず言われる。でも慣れてしまえば本当に車や電車よりも気が楽だ。もっと自転車信仰者を増やしたいものである。