あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

必死さ

 私は自分も含めて、人の「必死さ」に恐怖を覚えることがある。何かをするのに必死な人には、あまり近づきたくなくなる。

 ただこの「必死さ」は、あくまでも自分がそう受け取るものであって、それを醸している当事者にとっては別に必死でもなんでもないのかもしれない。必死な人に対して「そんなに必死にならなくてもいいじゃん」と言い放つようなことは傲慢だと思う。けれど、そんなことは言わないしおくびにも出さないけれど、そう思っている自分はいる。

 同時に、過去の自分に対して「あのときの自分は必死だったな、こわ」と思うこともある。周りの状態を冷静に眺めることを忘れ、とにかく目の前のことだけに思考なしに反応するだけ。何かに執着しようとして、慌ててその何かを固持するだけ。

 自分もそういうときがあるからこそ、たまたま自分が冷静でいたときに、目の前にいる誰かが必死な状態でいると、余計それを気にして見てしまう。とりあえず落ち着いてからお話ししましょう、という気分になる。

 

 

 

 

 

 

 大学に入って初めて出会った友人の中で、いまだ自分の愚論に付き合ってくれる人がいるのだが、彼と1月の最終日、久しぶりに会った。「久しぶりに話そうか」と突然私がLINEを送りつけることができるくらいだから、私がどれだけ厚かましく彼を信頼しているかが分かるだろう。

 彼は私と同じく(少なくとも私が感じている中では私も彼も同類だ)、常に何かを考えずにはいられない人だ。それが日常生活に役に立とうが立たまいが。

 

 昼の2時から夜10時に至るまで延々と話してきたが、その中で彼は私にとても大事なことを教えてくれた。彼曰く、私はどうも、他人から「考え方」を与えられた際、すぐにそれを盲信してしまう癖があるという。例えば、占いの結果をかんたんに信用してしまうように。すぐに自分の核心に他人の考え方を寄せてしまうようだ。彼は自分の知っている情報を私に教えてくれるが、私がそれを真に受けてしまうのが非常に残念で、たまにその情報を与えることを躊躇してしまうそうだ。

 私は分からないものが怖い。正確には、分からないものと付き合わされるのが怖い。自分が分からないものがこの世界にはあるということは自覚しているつもりだけれど、それが自分と関わりを持ってくると、たちまちそれが怖くて仕方がなくなる。だから、それを理解するための考え方なり筋道のようなものに必死に食らいつこうとする。それが今の自分の探究心を育ててくれたのだが、いつまでも必死になって他人の意見を探していては、自分の意見なり筋道なりを見出せなくなる。彼は私のそういうきらいを危惧してくれたのかもしれない。

 それから私は、人と話しているときも、本を読んでいるときも、何か情報を得るときには、その情報を一歩引いてみるようにした。初めて会う人について、その人と既に会った人からその人の印象を聞かされても、「それはあくまでその人の感じ方、自分がどう感じるかは会ってみなきゃ分からない」と思うようになった。

 

 

 おかげで「必死」になることは少なくなったように思う。もちろん、新しい環境、新しい人、新しい情報が目の前にくれば必死になってしまうのだけど。そしてその必死さを楽しみにちょっくら知らない路地を横切る自分もいるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 私は、自分や他人の「必死さ」に敏感に反応するアンテナ、そして「他人の意見」を真に受けて自分の意見と勘違いしないセンサーを搭載した。それから、自分がどうしても惹かれてしまう、「人間(=自分=自然)とは何か」という問いを追いかけることにした。このことについては拙文「自分の説明書」で述べたとおりだ。

 


 とはいえ、今はとにかく基礎知識をつける段階だと思っている。いや、段階というか、やっていることはそれくらいである。というわけで関連書籍を読みあさっているわけだが、こうやってブログに文章として今の自分の立ち位置を定期的に書いていかないと、ほろりと書籍を盲信してしまいそうになる自分がいるので書いているわけだ。

 今月号のMUSIC MAGAZINEのインタビューで、最近アルバム「Prisoner」をリリースしたRyan Adamsが「僕は自分の感情を落ち着かせるために音楽をやっているかもしれない」と言っていたが、彼にとっての音楽が私にとっての物書きだ。

 

 最後に、この類いの文章を書いていると、「どうかオレ、カルト宗教だけにはハマるんじゃないぞ」と自分を鼓舞したくなる。書いている文章を読むと、後からどうもクサく感じる。

 私はいかなる宗教にも属さないつもりでいる。多くの宗教で見られる「私たちは救われる!私たち以外は滅びる!イェーイ!私たち万歳!!」とか、「あの人は偉い。あなたも含めて私たちは偉くない。だからあの人を敬うのだ」いう雰囲気が嫌いなので。社会的には既に属しているけれど、気持ちの上では宗教に捕らわれることなく、むしろ宗教はじめ諸々に対し批判的な目を向けていきたい。ほーら、クサい。臭い臭い。