あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

わたしのすきなラーメン屋

 ラーメンが大好きです。インターネットの次に好きです。

 特に言っちゃあ悪いが小汚い、でも丹念に拭かれた大釜から、これまた丹念に拭かれたテーブルに出されるラーメンが大好きです。

 この典型的なラーメンが屋台ラーメンなのですが、(エセ)博多っ子なのに屋台に行ったことがないという…。行きたくないわけじゃないけれど、行く機会がないという、アレです。

 

 ラーメン自体も好きなのですが、ラーメン屋自体も好きです。小奇麗にしてある観光客向けの「これぞ!」「元祖!」「ゑい!」と打ち出してあるのではなく、ああこの人本気でラーメン屋やってるなあと思う店主のいるラーメン屋です。

 ラーメン屋の店主の本気というのは、かすったこともない私が言うのもなんですが、「一生この店でやっていくぜ!がんばるぜ!」みたいなギラギラした本気、ではないんです。「任しときぃや!学生のあんたならチョイと安くしとっちゃあぜぃぃ!」という感じではなく。かといって売る気のない目の死んだ店主、というわけでもなく…。わがままというか、憧憬を照らしているだけでしょうか。

 

 そもそもラーメン屋って何だか不思議な感じがするんですね。表にキラッキラの広告を出していない店とか。見るからに綺麗とはいえない、ゴキとかハエとか、いや、いないんだけどもいてもおかしくないような。床は脂でギトギトがデフォルト。店主は何だか高圧的。注文しても「はいよ」としか言わないし、ラーメン出すときも「はい、ラーメン」としか言わない。間違っても「お熱くなっておりますのでお気を付けてお召し上がりください♪」なんて言わない。なのに客がいる。うまそうに食ってる。

 たぶんそういうお店って、いわゆる下町とか、一昔前は「人情あふれる」なんて言われた町に行けば、いくらでもあると思うんです。でも、そういう町になんとなく足が向かない、ちょっと「他人に身を委ねることができない」孤立症候群にかかってる我が身としては、「そこにラーメンが売っている」という名分があるだけで、なんとなく親近感が湧いて入れたりするんです。酒好きが居酒屋はしごするようなもんです。たぶん。居酒屋はしごするほど金がなくてやったことないけど。

 

 たぶん一生ラーメン屋通うんだろうなあ。どれだけお金持ちになって、ラーメンなんかよりもっと健康にいい、おいしい料理が食べられるようになっても。というか死ぬ気で探すわ。食べに行くわ。

 

 いろんなところに行ってみたい。住んでみたい。まだ自分が行ったことがないところ。そういう気持ちがあるにはあるけれど、行ったら行ったで前いたところのラーメンが恋しくなる。いや人もそうなんだけども、やっぱりラーメン。かも。

 

 ところで私がどこのラーメン屋を前提に話しているのか、私が最近よく行くラーメン屋の名前を挙げておきます。「せい家」は家の近くにあるから。「まるきん」も。あとは、だいたい毎月通っているヘアサロン(理容室? 床屋? 3000円くらいでカットしてくれる理容師さんの店、の気取ってない言い方が分かりません)の近くにある「町田商店」。町田商店なんかは面白いですよ。うるさいし。麺あげる男の人が「中麺いきます!」って言ったら周りの若い衆が「お願いします!」って言って客に配りに行く。たまに「オネガイシマス!」ってアニメみたいな声でやってる人もいるし、ポジティブに言えばノリがいい。あとはあまり見かけなくなった「スープまで飲んだら」特典があるところ。10杯で1杯無料。最高です。

 なんだかんだチェーン店ばかりでした。

 

 いや、東京でも、個人でやってらっしゃるラーメン屋さんいくつか目星つけてるんです。次郎みたいな個人ラーメン屋に見せかけたチェーン店、ではなく。でも入らない。入りづらくもないんだけれど、むしろ勝手にこっちで親近感覚えちゃったりしてるんだけど。なんとなく。

 突然ですが、ここらへんの感覚は、自分の他人との距離感のはかり方と似ているところがあります。別に彼のこと嫌いではないんだけれど、まあ今はそんなに深入りするタイミングじゃないかな、みたいな。だから私が面接で「私10秒で誰とでも仲良くなれます!」とか言い出したら「何か辛いことでもあったの?」と聞いてください。たぶんあります。

 相手からぐいぐい来られるときはそのぐいぐいに適当に合わせるんですが、自分からそんなに無理してぐいぐい行くことはないかなあ。コミュニケーションの苦手なヤツ、と言われればそれまでなんだろうけど、なんだろう、暇さえあれば人に話しかけるという姿勢は私には辛いような気がします。

 そういう感覚がなんとなく私にはあるので、そうやって目星をつけてる店は増えていくばかりなのです。

 

 

 誇大して言ってしまえば、「泥臭い」の、好きなんですよね。今やってる配達のアルバイトもそういうところはある。「この仕事大好き!私の天職!」というわけでは決してないし、「一生この仕事やっていきます」なんて気は全くないけど、なんとなく好きなんです。好き、というより、お気に入り、の方がしっくり来るかな。その仕事自体も、それをやっているときの自分も。

 かといって、じゃあお前明日から家出てゼロから人生たたき上げてみろ!社会の底辺を見てからモノ言わんかいボケェ!というのは辛すぎます。「下積み時代」を盲信する気は全くないのですが、それでも自分の生活範囲の中にある「泥臭さ」の中に身を置いときたい感覚はあります。

 

 だからでしょうか、「まほろ駅前多田便利軒」が好きなのは。

 

 

f:id:o5h4pi:20170627031819p:plain
映画「まほろ駅前多田便利軒」のワンシーンより

 

  この映画を「泥臭い」の一言で済ませるなんて絶対にあり得ない!と強く思うほどこの映画は私の中に染みこんできちゃってる(内在化されてる)のですが。こういう感じです、こういう感じ。(少なくとも私の持っている)言葉では語れないこの感じ。がんばって書いてみるか。「非日常に根を下ろしたまま暮らす日常」「儚い…、うーん。きちんと伝わるんだろうか心配。

 

 眠くなったので寝ます。というより寝なきゃやばいので寝ます。夕食のせい家のラーメンにかけたニンニクのせいで疲れ果ててるのに眠れません。がんばります。お休みなさい。