あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

心の友、というよりその優しさにつけ込んでいる【ベトナム滞在12日目】

2017 08 27

 4時頃にぼーっと起床。なんで電気ついてんねやろ…と昨晩のことを思い出すと、バナナ酒。くそう、アレのせいでシャワーも浴びんで寝てしまったんやなあ…。うまかったけど、ありゃだいぶ悪酔いしかねん酒やな。とりあえずシャワーを浴びて、もう一寝入りしました。6時にまた起きました。朝早くのバンメトートを見とくのもいいなあと思いましたが、この顔でトゥン(Tun)に会うのはキツいということで、また一寝入り。

 最終的に起きたのは8時頃。ミニハウス(ゲストハウス)のお母さんがドンドンと扉を叩く音で起きました。朝ご飯を持ってきてくれたようです。扉を開けると女の子2人と一緒に朝ご飯が。今日の朝ご飯はバインミーとCầ phê sữa ₫à。部屋の中で食べると蟻がたかろうなと思い、子どもたちと一緒に表のロビーへ。子どもたちと戯れながら、ときに眠りこけながら、ぼーっとしながら1時間半くらいバインミーをもしゃもしゃ。気がつくと10時半。そろそろ行くか。

 2日前に、ベトナムの新興カフェAZZAN COFFEE(アーザンコーヒー。ベトナム語はアンジャン)で友達になったスタッフ・トゥン。私と同じくらいの年の男の子です。トゥンがお茶を注ぎに来てくれたとき、なぜかいろいろ話すことになって、これまたなぜかトゥンの家族のコーヒー農園に連れて行ってもらえることになりました。こんなにうまく物事って進むもんですか?

 会う約束の時間は午後2時。まだまだ時間があるし、せっかくなのでいつもタインさんやタクシーに連れてってもらっている道を、歩いてみることにしました。ミニハウスからAZZAN COFFEEのある中心街までは4, 5km。時速4kmで歩くとして、1時間ちょい。まあよろしかろう。

 

 いつもビュンビュンバイクで飛ばしていた道。歩くだけでいろいろと発見があるものです。昨日教えてもらったベトナム語「cơm(コーム。米→ご飯)」「ch(チャッ。市場、日本のスーパーの機能を持つ)」を見つけたり、ガラス瓶だけを売っているお店、ベトナムの家庭やレストラン等でよく見る後光がネオンサインの仏壇のお店を見つけたり、私の住んでいる通り(Dương Y Wang。イーワング通り)は通りだけが浮き出ており通りの周りはヘコんでいて、森や畑に覆われていることに初めて気づいたり。住めるなあ。

 途中スコールにやられ足止めを喰らいましたが、1時間ちょいで中心街に着きました。

 

 自分で歩いたり自転車で走ったりバイクで走ったり(バイクは持ってないけど)しないと、それぞれの場所の位置関係頭に入りづらいんですよね。地図だけ見ていても、道は分かってもスケール感がまったく分からない。なぜそのスケールを体感しないと落ち着かないのかは自分でも分かりませんが、なんとなく自分の足で、少なくとも自分の住んでいる地域は歩き倒したくなるんですよね。日本でいろいろな地域を自転車で駆け巡る理由も半分はそれです。もう半分は息抜き。

 

 バイタクの兄さんに「うぉーい!」と言われて無視しながらも、中心街に到着。時間は12:30。だいぶかかったな…、飯食う時間あるかな。

 Ph(フォー)を食べたくて食べたくて、歩き探した挙げ句、建物の2階に広がる食堂で発見。席につき、おばちゃんに「Chô tôi phở bò(牛肉のフォーください)」と言うと、両手を平行に左右に振って「ないない」のポーズ。売り切れ…なんという。おばちゃんが、なにやらその他の料理の名前っぽい言葉を並べてきたので、最後に聞こえた「フォー・ノン」を注文。ノン(nóng)ならホットって意味だから、熱いフォー、素麺ってことか?と、アルミのコップにお茶を注ぎながら考える。出されたのは、まさかの汁なしフォーでした。うそ…喉も渇いてんのにな…。汁なしフォーは、どんどん麺が乾燥して食べづらくなってしまうから、あまり好きではないのです。しかたなく、もしゃもしゃ。でも、一緒に入っていた鶏肉がものすごくおいしかった。ので、結果オーライ。

 

 目覚めの一杯にコーヒーを飲みたかったので、待ち合わせ場所のAZZAN COFFEEに早めに行くことに。お店に着くなり、店員さんとXin chào(こんにちは)と挨拶。Xin chàoと言うと、奥の方にいたトゥンが笑顔でひょこっと顔を出しました。Cà phê nóng(カーフェーノン。ホットコーヒー)を頼みました。久しぶりに、コンデンスミルクの入っていないおいしいコーヒーをいただきました。独特の苦味で目も冴えます。しばらくすると、トゥンが席の向かいに座りました。仕事中だろ…。しかもあんた制服やし。他のカフェでもそうですが、やはりベトナムでは「店員―客」の垣根が必要以上になく、例えば店員さんが客席でお金を数えていたり、暇なときはお客さんがいようと客席に座っておしゃべりしたりしています。それを特に咎める様子もないので、そういうものなのあろうと思います。確かに合理的。「スタッフは店の顔」とはいいますが、日本のようにお客さんがひとりもいないのに笑顔でカウンターの前に突っ立っているのも、不思議に思えてきます。

 トゥンはコーヒーについて教えてくれました。トゥンの住むここバンメトートは、主にロブスタ種の生産が盛ん。バンメトートは標高500mの地域にあり、500~800mが育てるのに最適と言われているロブスタ種が豊作だそうです。ちなみにアラビカ種は1100m以上の高山地域が最適で、ダラットがそれにあたります。ロブスタ種は育てるのも比較的簡単、そのためベトナムの多くの農家さんはロブスタ種を育てています。と、まあここまでは知識の再確認。

 ロブスタ種とアラビカ種について話していると、おもむろに彼はカウンターに向かい、仲間に何か話にいきました。すると、フィン(穴の開いたフィルター)の上にロブスタの粉を乗せてもってきてくれました。嗅いでみろというわけです。おいおい、そんなことできんのかよ…。ありがたやありがたや。さらに、アラビカ種であるCatimor(カチモール)も持ってきて、嗅ぎ比べをさせてくれました。なんとオープンなこころをお持ちなんだ!

 嗅ぎ比べてみると、まったく違います。ロブスタ種は、日本のインスタントコーヒーにも含まれているおなじみのコーヒーの匂いで、「あの」匂いがします。Catimorはフルーツの澄んだ匂いがします。「like a fruit?」と言うと、「That’s right!」とニッコニコの笑顔で返してくれる。うわあ、ごめんトゥン、癒やされる。

 

 仕事に戻らなきゃ、とトゥン退席。しばらくすると灰色のパーカー姿で登場。ANZZAN COFFEEの水色の制服のイメージとはまたがらりと変わってより輝いてる。「Now we go!」行きましょう。トゥンに借りたヘルメットを手に、トゥンのバイクにまたがり出発です。

 バイクで合計1時間半ほど走りました。どうやらトゥンは私に中心街以外のバンメトートを見せてくれていたようで、帰ってミニハウスで地図を見てみたら、行きはかなり遠回りをしていたようです。嬉しい、嬉しいけどトゥン、遠いぜよ。お尻と両足が悲鳴を上げとるぞよ…。距離にして30km弱。おいおい突然大宮行くようなもんじゃねえかい。

 途中、腹ごしらえにBanh Xeo(バインセオ。ライスペーパーでやや固いお好み焼きのようなものを挟んで食べる)を食べました。そこで知りましたが、トゥンはなんと23歳。うそん、年上やん。ベトナムの人は若く見える方が多い。トゥンも、独特の優しい笑顔のせいで私と同い年かむしろ年下だと思っていました。大学でビジネス(経営?)を専攻し、今は大学を卒業してAZZAN COFFEEで、兼業農家バリスタになるべくアルバイトをしているといいます。平日は1日AZZANで修行、土日は家族の農園を手伝っているとのこと。

 

 そして、だんだんと人が少なくなってきて、いよいよ農園地帯へ。コーヒーノキが大量に見えてきました。どこまで行ってもコーヒーノキ。ところどころコーヒーチェリーを摘んでいる人もみられます。コンクリートを逸れて、小路へ。直前に降ったスコールのおかげで、赤土がぐちょぐちょ。何度か降りて、歩いてトゥンの農園に向かいました。

 突然現れた小屋、ここがトゥンの農園。これが農園か…、と立ちすくむ私。トゥンは中に入ろうかと言って案内してくれました。

 トゥンの農園では、最近はコーヒー豆よりペッパー(胡椒)を多く育てているそう。見ると、コーヒーノキとペッパーが交互になるように植えられています。どうしてこんな風に植えているの?と聞くと、経験からこれが一番効率がいいとのこと。初めて触るペッパーの実とコーヒーチェリー。コーヒーチェリーはこの時期、多くがまだ青く、収穫できるものはありませんでした。

 私が観察を始めると、トゥンはおもむろにノートを取り出しました。そこにはびっしりと農園についての情報が。まさかこれをこの2日間で用意してくれたの…? 本当に優しい。私の質問でこれ全部聞き出せるのかプレッシャー。

 

 この農園は、1995年にトゥンのお父さんが作ったもの。開墾を終えて、苗を植え、3年かけて初めての収穫に辿り着いたそう。その後4年目以降コーヒー豆を収穫することができるようになりました。農園では1500本のコーヒーノキを育てているため、毎年およそ計3tのコーヒー豆を収穫しているそうです。また、胡椒についても同様に収穫可能になるまで3年かかり、現在は200本の胡椒の木から毎年1t収穫しているそうです。

 価格について。つい最近までコーヒー豆の価格は下落が続いており、1kg30,000ドンで取引されていましたが、現在は50,000ドンまで回復しました。それに対し、胡椒は1年前まで1kg200,000ドンで取引されていました。コーヒー豆と比較して大きな収入が得られると期待しましたが、同じように考えた他の農家さんも胡椒を育て始めたため、現在はなんと70,000ドンまで下落しました。今後もこの価格は上がりそうにないということです。

 収穫物は自分で手売りすることはせず、すべて業者に売ります。そのため、価格について文句が付けられないとのこと。業者の取引価格の是非を疑いようがないそうです。

 

 農園規模としてはずいぶん小さく、この地域の平均農園規模が10ヘクタールであるのに対し、トゥンの農園は1.8ヘクタールです。そのため農園はトゥンの家族、主に父母とトゥン、トゥンの弟で運営されています。10ヘクタール規模の農園では、労働者を雇うことが一般的です。朝7時から夕方5時まで働いてもらい、給料は平均1日150,000ドン(750円)。これにまかないがつきます。

※バンメトートの位置する中部高原地域の一人当たり月当たり平均収入は、2010年現在1,088,000ドン(5000円強)。東京大学社会科学研究所の発行資料による。

 

 トゥンは自身の周囲の人々の話もしてくれました。トゥン自身はバリスタ兼農家としてやっていきたいそうですが、弟は医者になりたいということ。彼はお金をたくさん稼ぐだろうと言っていました。そういえば、私の滞在しているゲストハウスの子どもが一時病院に通っていたのですが、そのときにお父さんは「医者はお金をたっぷり持ってる。ベトナムの医療は高い」と漏らしていました。このあたりの認識は日本も一緒ですね。

 トゥンには農家の友人が数人いますが、高校や大学時代の友人はほとんどサイゴンホーチミン市)で勉強したり仕事をしたりしているそうです。長期休みで彼らが帰ってきたときに一緒に会うことがひとつの楽しみだと。

 また、家族の家から1kmほどのところに祖母の家があり、ほとんど毎日行けるときは行っているとのこと。それは当然帰省という感覚ではなく、日常のことだと捉えています。また、トゥンの地域の人々はお互いに毎日会っており、知らない人はいないとのこと。

 

 ぐちょぐちょの赤土を通って、農園を後にしました。トゥンは、この農園が好きだと言っていました。「Can you hear?(聞こえる?)」と鳥の声に耳を傾けて、都会にはないこの静けさが好きなんだ、と。その顔はどこか誇らしげに見えました。

 バイクは祖母の家へ。木製の、日本にあったら一発地震で崩れてしまいそうな家屋。その家屋の奥に、後で建てたと思われるベトナム式のきれいな家屋があります。家に入る前に、庭先のランブータンをいただきました。木から獲ったばかりのランブータンには、蟻が大量にうようよしています。でもそれが、おいしい証。と、ごまかせるくらいには慣れました。

 

 突然の外国人の来客にもかかわらず、嫌な顔も驚きもせず、ニッコニコに笑顔で迎えてくれました。うそん…。成り行きで夜ごはんをいただくことになってしまいました。

 そのとき来ていたトゥンのおじさんおばさん夫婦がごはんを作ってくれている間に、私たちはまたバイクにまたがり、トゥンのお気に入りの場所を回ることになりました。ベトナムの街によく見られる「square」という大きな広場。トゥンの通った高校。日本のそれとよく似た広大な田んぼ。

 1時間ほどのドライブを終えて帰ると、ほっくほくのごはんが炊けていました。おじさんおばさん夫婦、おばあさん、夫婦の2人の子ども、トゥンと私で食卓を囲みます。メニューはごはん、豚肉、空芯菜(っぽい緑黄色野菜)、かぼちゃスープ、大豆のスープ、大豆醤油。お醤油と豚肉以外はすべて畑で獲れたもの。なるほど、おいしい。ごはん、5杯もおかわりしてしまいました。

 

 名残惜しさもほどほどに、トゥンは市街地に用事があるため食い逃げする形で家を後に。あっという間に市街地につき、AZZAN COFFEE前でお別れ。その後なかなかタクシーが捕まらず、バイタクのおじいさんに捕まり、30,000ドンで交渉が成立、ところがおじいさん、途中で住所が分からなくなり、にっちもさっちも行かなくなり。いろんな人に道を聞きまくって、いろんな人に同情され、ホントはどうでもいいのだけれどプンスカ怒っているフリをしてみたりなどなど一悶着ありましたが、総じてやっぱり優しい人が多い街だなと思います。自己を犠牲にしない程度に利他的な人。私も見習うところはたくさんあるなあと思いつつ、できっかなあとお布団に入ったのでした。

 

 トゥン、ありがとう。