あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

「わたしの」ベトナム、になった。

 ベトナムから帰国し、アルバイト生活を経て2泊3日の瀬戸内国際芸術祭弾丸旅行を終えて、やっと落ち着いて文章を書く時間が取れるようになった(大学の講義が始まった)ので、つらつらとベトナムでのこと等々をつまんでみます。

 

 まずざっくりと、前回1年前の学部のプログラムとして訪問した回と、今回の個人旅行として訪問した回とでは、自分の意識が大きく違ったように思います。まず前回は、私がベトナムに対して思っている理想像を全面的に押しつけて、そのフィルターを以てベトナムを見ていました。その典型が自分が前回の集大成として出したプチ論文のテーマ「カフェの街・ホーチミン」であり、「Cà phê sữa ₫à(ミルク入りアイスコーヒー)」でした。今回4,5日目あたりから、「あれ、そんなにベトナムコーヒー大好き!ってわけじゃないかも…」と思い始めて、自分の思い込みに気づいたのでした。

 前回は最終的に論文形式でレポートを書かなければならない、自分の体験をテーマに沿うように近づけ、それを余すところなく文章として客観的にまとめなければならない、というプレッシャーがありました。もちろん大学のカネで訪問しているのであたりまえなのですが。とはいえ、それを必要以上に意識しすぎていたところがあったように思います。ベトナムのコーヒーまわりのことについてもっと知りたいと思い、前回私が選んだ手段は観察でした。カフェにいる人に(言語が分からなくても分からないなりに)仲良くしたり、友だちになったりということは全くしませんでした。

 しかし今回は1年経って自分の意識も変わり、先生の助言もいただき、おかげでプレッシャーからも解き放たれ、極めて主観的にコミュニティに入り込めたように思います。友だちになれた。今でもFacebookのMessengerに定期的に「Bạn ₫ang là gì(What are you doing?)」と送ってくれる友人たちができました。

 

 この影響で、今回の体験は、どうしても「日記」という形でしか言葉にすることができないものばかりになりました。朝5時の16度の真っ暗な道に半袖短パンでバスから降ろされ、道すがらのカフェでnóng(ホット)と言えずに頼んだCà phê sữa ₫à(アイス)をちびちび飲みながら明けるまで待ったり、かなり深刻に抱えている個人的問題を打ち明けてもらったり、朝っぱらからバナナ酒を飲まされて1日潰れたりなどなど。

 

 

 ただ、そうした主観的な体験を享受することを第一に持ってきたのは、得策だったように思います。そのおかげで、自分の価値観—何を買い何を買わないか、どこに住みどこで何をして働くか、何に注目し何を無視するか—も変わった、というより、ある程度定まりました。もちろん変化できる可塑性を孕んで。

 ちょうどベトナムに持っていって暇なとき読んでいた本(『謎床: 思考が発酵する編集術』『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』)も妙にシンクロし、自分なりに紐付けができました。

 

 まだ、自分の中でベトナムでの生活の余韻が残っているところがあります。これが刻印として自分の中に永遠に残っていくのか、はたまた一過性のものとして流れ忘れ去ってしまうのか、自分でも分かりません。