あまかけるの巣

雑記など

声、大事にしていきましょう。

 少しずつ、「声」というメディアに対する興味が湧いてきています。

 

 せっかくなので、「情報を得る」という行為をするヒトの歴史を簡単に紐解いてみましょう。少し学んだことを羅列しますが、他人から聞いた話を右から左に受け継いでいるだけなので、読み飛ばしていただいても問題ありません。

 

 まずその視線が求められるのは、動物です。動物たちはどんなふうに周囲の情報を得ているのでしょうか。五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)は、まずすぐに思いつきますね。暗い場所でも草木の生い茂る森の中でも、耳を澄ませて目を凝らせば、次第に周囲の情報が把握できます。目の前にあるキノコは食べられそうか、目の前の崖は足をかけて登れそうかなど、舐めて嗅いで触ってみれば、なんとなく分かります。周囲の情報を察知することはもちろん、仲間の情報を察知することも、共栄していくためには必要です。相手は発情しているのか、病気になっていないか、私に何を伝えたいのか。

 さて、ここまでは動物として、他の動物にもみられる行動をとってきたヒトですが、あるとき驚くべきことが起こります。直立二足歩行です。それまで四つん這いになって移動していたヒトが、突如二足歩行になった。そのおかげで眼高が高くなり、より広い視野を獲得しました。さらに直立するにつれて圧縮された声帯筋は、常に首のまわりの筋肉とともにひっぱられるようになり、複雑な声を出すことができるようになりました。ここで、声の出し方で自分の情報を伝える「言語(オーラル・コミュニケーション)」が発達していきます。ここで、自分の持つ情報を的確に他者に伝えることができるようになりました。

 さらに直立二足歩行により自由になった両手で、道具を使うようになり、次第に指の関節も器用になり、指を折ることで数概念を得ました。ここで、抽象的な概念(目に見える実体ではないものを考える)を扱えるようになったのです。その概念を表すために、棒で図をかくようになりました。これが記号=文字の誕生です。それまで、自らの身体器官あるいは自らの身の回りの道具を使って情報を得、また発信していたヒトですが、ここで、そうした「自分」が離れたところにいても情報をその場に残し、あとから見返すことができるようになりました。

 ここから先は、世界史でも詳しく述べられているとおりです。ヒトは石板、木片に続き紙を発明し、出版革命が起きます。情報は質量として軽くなり、持ち運ぶことが容易になりました。さらにのち、電話がつながりテレビが映り、インターネットが起きてきます。ついに情報は質量を伴わなくなりました。

 

 非常に雑に、人間がどのように情報を得てきたのか、そのメディア(情報を媒介するもの、媒体)の変遷を追ってみました。

 ここで、私はつっこみたい。「なんで文字メディアばっかなん!」と。

 

 今でも、「公式文書」という言葉があるように、公式に(まじめに)取り扱われるのは文字メディアばかりです。これと比較して、ラジオや電話、音楽などの音声メディアはエンターテイメントの領域でしか使われていません。その要因は音声メディアの特性にあるでしょう。音声メディアを正確に再現することは難しいものです。楽譜や今読まれている文章なども、使う楽器や声に出して読む人が変わればまったく違うものになってしまいます。また動画と同じように、音声メディアは話し手が、読み手の「時間」を制限します。文字メディアは読むスピードを変えることも、ちょっと前に戻ることも、あるいは複写も比較的かんたんです。ところが音声メディアは、「パッと見て理解する」ということができません。音楽は図ではないのです。

 

 それでも、私は「声」というメディアにもっと注目してみたい。

 

 こう思う背景には、私が地方出身だということも絡んでいるかもしれません。私には標準語とは違う、方言があります。さらに私の方言、もっと精確には私の「生活ことば」は、自分で自覚している限りでは4県の方言のフュージョンでできています。つまり、例えば「名古屋弁」として紹介される方言すべてを使うことはない、ということです。部分的に津軽弁をしゃべったり、讃岐弁をしゃべったりすることもありうる。おそらく方言ユーザーのみなさんの多くは、これに該当する方がほとんどだと思います。

 この「生活ことば」のおかげで、テレビでアナウンサーのみなさんが話す「正しい日本語(話し言葉)」と、新聞や本で読む「正しい日本語(書き言葉)」と、自分の話すことばの違いに敏感になりました。「俺は方言なんてしゃべんないぜ!」と思われている関東の標準語ユーザーのみなさま、その「なんてしゃべんないぜ!」があなたの話しことばですよ。

 つまり、誰だって自分のオリジナルの「生活ことば」を持っているわけです。さらにそれは、自問自答するとき、親しい人と話すとき、目上/目下の人と話すとき、初めての人と話すとき、4,5人を相手に話すとき、10人を相手に話すとき、100人を相手に話すときで、それぞれ違ったことばになるはずです。子どものころ、私が母親に怒られているところに電話がかかってきて、受話器を握ると途端に声色が変わる母を見て爆笑していたことがありました。このおもしろさよ!

 

 自分の個性がわからないと嘆く若僧は、声を出してこの文章を読んでみなさい。その声があなたの個性だ!(笑)

 

 最近は音声メディアもやっと脚光を浴びるようになりました。音声で広告を届けるSpotifyに、資金繰りに困らないほど出資者が殺到したり、スマートスピーカー(ダサいなこの名前)なんてものも、大真面目に日経新聞にも取り上げられ売れていたりします。

 

 声、大事にしていきましょう。エーザイ。ただそれだけの愛のシャウトでした。