あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

けじめがないとブログすら書けないってどういうわけなんだ!

 世間は文書改竄疑惑で持ちきりですね。図書館で朝日新聞を覗いてみたら、「財務省はここまで落ちたか。きちんとけじめを」とまあ強気の編集委員さんの詔が掲載されていました。けじめ。空恐ろしい響きのすることばですが、大事ですよねえ。
 昔(といっても5,6年前の話ですが)、中学校の始業式のあと、当時の担任の先生が教室で「人間には節目がいる。バカにする人の方が多いけれど、どこかでいったんぴしゃっと切ると、次の行動が起こしやすい」とおっしゃっったことを思い出します。確かにそうだと思います。少なくとも、日付や曜日をすぐ忘れる怠惰な私にとっては、そういった節目、けじめをつけられる人が羨ましいものです。
 
 さて、久しぶりにブログ*1をつけておこうと思ったのは、自分の生活に(そう意識したにせよそうでないにせよ)けじめがついたからです。けじめがないと、腰が上がらない質でして。
 大学を年間休学しました。家族のおかげで、幼小中高大と(名目上は)まっすぐに教育機関に入っていた私ですが、物心ついてはじめての、教育機関一時退却です。そんなに「おごと~!」(feat. IKKO)な話なの? うん、まあなんだかんだ言ってビビるところは正直ありますよ。高校生のときの卒業式で「これからみなさんの中には、社会に出る方もいらっしゃるでしょう。」と言われて「え、俺たちって社会に出てなかったの? 社会ってどこにあるの?」と焦りまくったこともある私、自分は社会人なんだぞと意識して大学生活を送ってきたつもりではいましたが、面と向かって君社会人だよと言われるとうえっぷとなる自分はいます。
 
 こういったけじめがあると、前のけじめから今目の前にあるけじめまでの期間の自分の言動を、自然と省みちゃいますよね。ちょうど平成が終わると「平成とは」という特集が組まれるのと同じように。
 自分の大学生活とはなんだったろうか、いや大学卒業したわけではないんですけれど、自ずからそういう観点が向こうからやってきます。
 雑にまとめてしまいますが、おそらく、「自分を支えているものはいったい何か、そして自分が支えているものはいったい何か」という問いの答えを探していたのかなあと思います。私の大学生活は、いろいろあって「自分はひとりで生きているわけでないし、これからもそうだろう」という仮定から始まっています。ならば、私を支えているものは何なのか、言い換えると私をこのような環境においているものはいったい何か。自分が、他人に対して成したことの影響を、自分は自覚できていない。なにそれ怖い! その正体を知りたくて知りたくて、大学に入った…んだったと思います。当時の日記を見ていると笑。
 無知の事柄への恐怖、いわゆる暗闇を歩くときに感じる類いの恐怖です。あれを、私はたぶん人一倍感じていた。「モンハン知らないの?」と言われることへの恐怖。
 
 養老孟司さんの新書『バカの壁』を高校生のころに読んで、目の前がくらくらしたのを覚えています。正確には引用しませんが「人間によって作られた都市の中で生活するということは、他人の脳の中で生活するようなものです」というような主張がされていました。このあたりから、「自分」というものの範囲、個人=私とはなにかという問いの探求に火がつきました。そして自ずから、じゃあ「他者」って何、他者にも自分と同じようにあるはずの「自我」って何、といった問題からみんな大好き学問の世界に入っていったつもりです。
 その問いの探求の経験は、後のベトナムホーチミン、バンメトート訪問の際や、映画サークルで映像と向き合うときや、何気ない友人・知人・恩師・先輩後輩との会話のなかでぽつぽつと花開いてきました。その経験の積み重ねをこれまた、自覚する必要がありそうです。
 
 
 あまりに長く思ったことを思った順に書く散文をやめていたので、ちょっと慣れません。こればっかりは、場数ですから仕方ない。ほぐしほぐしやっていきます。
 
 今後のことを少し書いておきます。
 来週の日曜日から、私は晴れて日本語パートナーズという、海外で日本語を教える先生になる機会をいただきます。自分が先生になるなど、目の前にそびえ立つ責任に圧倒されそうですが、自分なりの方法を見つけていきます。そこで、これまで教育機関という檻に入っていた私が急に別の檻に投獄されるわけですから、いろいろと考えるところもあると思います。その中でどうしても散文的になってしまう、頭の中で整理がつかないことを、以前に引き続きこのブログに書きつらねていきます。
 そのほかに、また続けることができるか不安でしかありませんが、日本語パートナーズとしての活動日記のようなものを別ブログで組もうと思います。実は、先代の日本語パートナーズが残してくれたWeb上のいくつかのブログを参考に、自分もやってみようと思い立ったという経緯がありまして、そのご意志を勝手に引き継ぐつもりです。後代の日本語パートナーズの方々はもちろん、日本語教育、教育、派遣先の人々の暮らし、伝え聞いたことなどなどにご興味がある方にも、それなりに読み応えのある記事を書くつもり…書けたらいいなあと思っています。
 
 
 引き続き、文字だけのお知り合いの皆様も含めて、ご贔屓賜りますようよろしくお願いいたします!

 

 

 

 
 

*1:余談ですが、ブログという言葉の響きがあまり好きではありません。理由はおそらくカタカナであることと、使い古されすぎて古い言葉に感じるからだと思います。ビデオとか、オーディオに感じるちょい古さ。日記、としてはあまりにオープンすぎるし、エッセイ・随筆、としてはあまりに腰が重すぎる。どうにかして、ブログというものを、自分のことばで表現してみたいのだけれど。うーむ。