あまかけるの巣

今はうんちでも化石になるから。

まっすぐな道とくねくねの川

今日もシンハーで天に乾杯!

 

おなじみバンコクから北西に100km、バスに揺られること2時間。カンチャナブリー県に来ました。気になっているある写真家さんが以前訪問されていて、それについての投稿をFacebookでお見かけした、というのがきっかけです。

目的は、JEATH戦争博物館と連合軍共同墓地に足を運ぶこと。ただそれだけ、の予定です。

 

ところでカンチャナブリーに来るにあたって、久しぶりに飛行機に乗りました。今年の5月に派遣地へと向かう飛行機に乗って以来のことです。

ここ最近の移動手段は、もっぱら車でした。100kmも離れたランパーン市内にすら片道65〜80バーツ(約300円)で行けるもんだからバンバン利用しています。

 

市内へ行くには高速道路を通ります。というわけで毎度毎度ドライバーのみなさんがまあまあの飛ばすので左右にGがかかって危ねぇなぁと感じるドライビンなドライブ三昧なのですが、この車窓から見える風景が好きなんです。少しこの風景についての話を。

 

大して驚くことではありませんが、この車窓から見える地域は、山間部を除けばほとんどすべてに人の手が加わっているんです。田畑だったりゴム園だったり、もちろん村だったり。そこに今人がなくても、ああここには定期的に人が来て、いつも何かをしているんだ、という息を感じます。

日本にいたときも、まあ私の実家はそこそこ田舎だったので、こんなような風景はよく見ていたはずなのですが。風景の見方が変わってきたみたいです。

 

日本にいたときは、いわゆる「田園風景」というものを「きれいなもの」「美しいもの」というように単なる観賞物、はいはい都会の喧噪から離れて気持ちいいねー、くらいにしか見ていませんでした。

ところがこの地域に来たらそれが一変、この風景は人が作っているもので、決して自然(ありのまま)じゃないんだ!という見方になりました。例えば高層ビルを眺めるときのように、例えばタワーに登って街を見下ろすときのように、目の前に広がる風景の中に、たしかにここに人が生きていて、人の暮らしがここにあるんだと感じるようになりました。

 

みんなで田植えをして、あぜ道に米袋敷いて腰掛けて、酒飲んで騒ぐときの気持ちはどんなんだろうとか。町から新しい農具を買ってきて、畑に立ってさあいざ使ってみようとするときの気持ちはどんなんだろうとか。不作で種を新しく買わなきゃいけないのにその年偶然出費がかさんで十分に買えないと分かったときの気持ちとか。

そんな日々の暮らしの妄想が沸いてきて、この風景を前にして、とても手放しに「大自然だ!空気がきれい!清々しい!」と大きく空を仰いで安らぎを得る、、、ことができなくなってしまいました。

 

またひとつめんどくさい大人への階段登りました。けれど、この風景の中に自分が長く暮らしたからこそそう思うのかもしれませんね。

 

 

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さて、ひさびさに飛行機に乗りました。どうやら、自分の派遣地のこうした風景についていろいろ妄想を繰り広げてきた自分は、飛行機での移動に耐えられないほどの妄想力を異様に鍛えあげてしまったみたいです。

飛行機の窓から見える風景。日本と同じで上から見れば、あたりまえですが一部の都市以外はすべて田舎です。どこかで見たことのあるような田舎。人の暮らしが見えるところ、あるいはまったく自然のままであるところ。いろいろあります。

そこに見える、それぞれ違う形をした町々をひとつひとつ見て、もし自分がそこに暮らしていたらという目線で、目の前に広がる衛星写真的風景を眺めていくわけです。そりゃもう、妄想が追いつかない。

飛行機で来たことを後悔しました。飛行機は、ゆっくり妄想するのにはちょっと速く動きすぎる。

 

その風景の中でも目についたのは、平野にやたら多くそしてひとつひとつがとても長い、まっすぐな道路。それと、バンコクに近づくにつれて増えてきた、はっきりと区分けされ同じ形の建物がずらーっと並んだ住宅街でした。

日本では土地の広い北海道くらいでしかお目にかかれない、平野にすーっと引かれた直線と、どう見ても絵に描いたようにしか見えないくらいキレイに区画された家々は、なんとなく自分の「不気味の谷」を超えたように見えました。

特にこのまっすぐな道路や住宅街と対照的に、とても自然な形で流れている川が目立つんですね。タイを縦に走る川たちはどれも平野を走っているためか、龍のようにくねくねと曲がっています。そして川は、おそらくあまりその流れに人間が手を加えていない。だからなんとなく「ありのまま」の姿を感じるのです。この川と道路の対比が、さらに不気味の谷底を深くしている。

 

少し観点が変わりますが、まっすぐな道路をずーっと運転してると辛くなるんですよね。いつ終わるんだろ、この道、みたいな。刺激が少ないからなのか、あんまり楽しくありません。サイクリングに適した道というのを考えると、東京が懐かしくなります。

もちろんまっすぐな道を敷いた方が物も人も運びやすくなるからいいんだろうけど、さ。

 

 

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妄想ついでに。まだ車も高速道路もなかったころの移動って、楽しかったんじゃないかなあと思うことがあります。特に、五街道の移動。いくつか宿場に泊まって、道中も疲れたら茶屋に入ってひと休み。高速道路も飛行機もないから、移動はいくら時間がかかる分からないもの。けれど藪の中を通っていく必要はなく、誰かが作ったその道を、えっちらほっちら歩いていくというのは、何にも代えがたい楽しみだったんじゃないかなあ、と。

道中も含めて楽しめるような、そんな気持ちと時間と金に余裕のある生活が続けばいいのにと、心から思った日でした。

 

 

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