はなす

 映画「プレシャス」で、両親の虐待からなんとか抜け出してフリースクールに通い始めたプレシャスに、先生が毎日作文を書かせる課題を出すシーンがある。書くべきことが何もなくても、綴りや文法が間違っていてもとにかく書くの、とスクリーンでプレシャスに語る先生の祈るような目を思い浮かべると、その目はなんだか自分に向けられているようにも思えてくる。

 


 その台詞は、ぼくが小学生のころWebに出会ったとき、ブログに出会ったときの感動を連れてくる。自分や自分の身の回りのこと、考えていることや気に入っていることなんかについて、何を書いてもいい空間。しかもそこは完全に開かれていて、誰かによって読まれ、ときどき返信が来る空間。ぼくがどこにいても、何をしていても、ぼくとは違うぼくであるその空間は誰かが見つけて、読んで、読み取り、記憶してくれる。

 SNSが台頭してもその特別さは変わらなかった。自分のフォローがつくった世界に「えいやっ」と自分や自分のプロジェクトについての情報を投げるSNSとは違って、ブログでは枠を持った自分の世界、箱庭を作って、そこに書きためていくことができる。その枠のなかで、書き手の自分以外はあくまで他者であって、まず初めに自分が自分の話をしなければ、その世界は決して動くことがない。そんな自由の心地よさというものを、プレシャスの先生は思い出させてくれる。

 


 あれだけしっかり話したい、書きたいと思っていたタイでの経験も、過ぎゆく毎日のせいにしてざぶとんの下に敷いてしまっていた。あのときあそこで自分が何を感じ、何を考えていたのか、断片的に手元の日記には残っているけれど、ブログの文章のような、他者を意識した文章はもう残っていない。もったいないことしたなあと思う。

 それだけ自分を揺るがすような、自分にとってはとても大切な問いをもらえた出来事が立て続けに起こった、そんな時期だったのかもしれない。とはいえ、いつまでも過ぎた出来事を反芻して、いまをおざなりにしているわけにもいかない。

 いまをいきたい。過去を思い出しながら。書くことで、ひとつずつはなしていこうと思います。

 自律心自律心!