はねやすめ
たぶんそういう感じなんだろうな、と思っていたことが、現実になったときの悦び。
今週の講義では、フィールドワークをするときに使える道具のひとつ、「エクスポージャー理論」を与えてもらった。
エクスポージャー理論について。鉄則はこれ。
Not only look but see
Not only hear but listen
Not only know but feel
(概要・役員 - 国際法人ALBA公式サイトより)
要は、天の上の神様みたいに、ありの巣を観察するかのように行うのでなく、実際にその地でその地に融け込みより観察する人々に近づく、という理論。文化人類学のフィールドワーク手法と似ている。
フィールドワークのやり方が分かれば、あとは自分の好みをできるだけはっきりさせることに尽きる。それが後々自分のフィールドワークのテーマになるから。
僕が挙げたのは「学問とアート」「宗教と自然体」「コミュニケーションとリズム」の三本です。あれだけ短い間だったけどよくすっきり好みなんてアバウトなものをまとめられたと手前味噌に思う。それぞれのトピックの詳細についてはおいおいこのブログの中で書いていこうかな。
そしてこの講義の後に浅田さんが開いてくれた飲み会で、みんな頭おかしいことがよく分かった。ホッとした。居心地が悪くなかった。第二のサークルのようなものだ。
それぞれ自分の長所についてその未熟さを悩み、みんなでお互いの価値転換を促して一周回って自己肯定感に浸る…という感じの不思議な会になった。ひとりひとり、自分が選択してきた道について「それは成り行きで」「なんとなく」「よく分からないけれど」そうなった、という理由つきで語った。みんな自信なんてものがないように見えた。
でもそれって全部勇気なんだよね。勇気があったからそういう決断ができたんだよね。勇気なかったら席となりの子に何が何でも気に入ってもらおうとか、カギカッコつきの「いい会社」に入って働こうとか、夜の校舎窓ガラス壊してまわって周りの人の注目浴びてみたりとかしてたと思う。でもそれをせずに自分で決めて、自分で選択して、今までそれをやってきた。から今のメンツが揃っている。
めちゃくちゃ勇気ある決断してる人が、それを自覚せずにやっているということが、僕の支えになった。もちろん全員じゃないんだろうけれど、めちゃくちゃ勇気あるから勇気ある決断できる、ってわけじゃない。全然そんなことなくても勇気ある決断はできるもんなんだ。そんなもんなんだ。
昔から「根拠のない自信」を使ったときに吉報が来やすい質だった。大学に来たときもそう、タイでふらふらしてたときもそう。いわば自信に根拠なんて存在しないんだけど。根拠がないから「信じてる」わけで。
それでいいんだ、ってかそれしかないんだ。
その会はいい感じで終わったんだと思う。最後らへんはよく覚えていない。
でも、確か。家に帰ってきたときに、その飲み会を思い出して。
「はねやすめのためのコミュニティだな」と思った。
ピット。駅。
その場所自体に長く居座ってはいけない。だけどそこで、密度濃い交流がなされる。そういう感じ。あくまで。それでも決してうわべだけの関係じゃない。むしろどのコミュニティよりも熱くぶつかり合える可能性は、ある。
やっと大学生はじまったなあと思った日でした。
ふつつか者ですがよろしくお願いします。改めて。
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