ホーチミン日本人学校補習校を見学【ベトナム滞在10日目】
気づいたことを羅列します。
・授業は二人体制、ひとりが授業を進行していて、もうひとりがテストの採点などをしている。
・どこまでが日本人学校の道具で、どこまでが補習校の道具なのだろう? 引き出しのものはどちら?
・子どもたちに決まった席はあるのか?
・筆記具が日本でも見るようなもの(クルトガ、コクヨ、フェルトペン、3色ボールペン)
・校則をつくるのにも一苦労だろうな…。
・テスト用紙の紙が日本仕様(つるつるのやつ)
・「ヤマザキパン」「妖怪ウォッチ」「ぐでたま」など、日本の文化を子どもたちも知っている。
・国語の授業で日本の戦争の話を扱っていた。
・同じく国語の授業で、子どもたちに文を読ませる。長く読みたい人はいくらでも長く読んで良し、あまり読みたくない、読めない人は最低一文とすることで、能力の差を緩和。
・先生の教え方も多様
・たくさんいる先生の「教育方針」をどこまで統一する?
・教育の国際化って何? 可能なの?
・子どものアイデンティティ(よりどころ)はいずこへ。
・発達心理学で、アイデンティティを形成することは発達の大切な過程だ、と聞いた。が、ではアイデンティティのない子は「悪い子」なのか? アイデンティティがないことはいけないことなのか。すべての子がアイデンティティを見つける「べき」なのか。しかし、「私は何者か」という問いで私自身苦しんできたのも事実、子どもたちはどうなのだろう?
・黒板消しのクリーナー、平成27年度設置。日本でしか作っていない。
・自分の母校を誇りに思うことは、自分の人生を誇りに思える要素のひとつ。
・「考える」ことは母語がなければできない?
・自分は「祖国は日本です」と言いたくない(日本、というには広すぎる)
・そういえば自分も筑前国出身で、関東に出るとやはり違いを感じる。ことばのアイデンティティは博多弁、佐賀弁にあり、標準語にはない。自らの基準はやはり九州であり、九州フィルターを通してものを見ている。